南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

街の記憶 18

f:id:fuku-taro:20210307205258j:plain

 

2月末で沖縄県独自の緊急事態宣言も解除され、国際通りに観光客の姿も見られるようになりました。

 

f:id:fuku-taro:20210307205410j:plain

 

「紅芋タルト」で有名な「お菓子御殿」のピンクのショッピングバッグは、観光客の目印のようなものです。若い人のグループは卒業旅行でしょうか。

 

陽射しも春めいてきて、国際通りにも少し明るさが出てきたようにも思うのですが、一歩脇道に入れば相変わらずのシャッター街が続きます。

 

f:id:fuku-taro:20210307205442j:plain

f:id:fuku-taro:20210307205520j:plain

 

有名な公設市場へ続く通りもこんな感じです。公設市場は現在仮設移転中なんですけどね。

 

f:id:fuku-taro:20210307205556j:plain

 

テイクアウトで活況なのはたこ焼き屋さん。最近は、ここのたこ焼きを買って帰るのが楽しみのひとつです。

 

f:id:fuku-taro:20210307205206j:plain

 

沖縄でもルアーフィッシングを続けていますが、未だに本命のブラックバスは釣れず・・・。沖縄にいるうちに一匹は釣りたいと思います。転勤した各地で、その土地のバスを釣るのが目標です。でも、沖縄はバスアングラーは殆どいないんですよね。

魚が釣れなくても、釣り場で食べるカップヌードルは格別です。

 

f:id:fuku-taro:20210307205643j:plain

 

釣り場からの帰り道、国道58号線を下って走ると、米軍基地のフェンスが長く続きます。最初は凄く違和感を感じたこの景色も、随分と慣れてきました。

思えば、沖縄に来て1年半が過ぎたのでした。

 

f:id:fuku-taro:20210307205853j:plain

f:id:fuku-taro:20210307205939j:plain

f:id:fuku-taro:20210307205747j:plain

 このフェンスの向こうは異国なんですね。

カデナ・マリーナ

f:id:fuku-taro:20210228225712j:plain

 カデナ・マリーナには、沢山の外国人がいる。もちろん、日本人も少しはいるけどけど。

 

 その外国人たちの殆どは、米軍基地の関係者だと思われる。

 

 ぼくは通りすがりに目に付いたこのマリーナの看板に魅かれて、通り越した車を止めて歩いて戻ってきたばかりで、このマリーナの事を何も知らない。入って行っても良いものなのかもよく分からずに、海辺の景色に呼ばれるように進んで行った。少し緊張しながら。

 

 海べりまで進むと、砂浜に黒人と白人の男が二人デッキチェアーに寝そべって、日向ぼっこをしていた。Tシャツから伸びた腕は丸太のように太く厳つくて、いかにも軍関係者のようだ。彼らの上に柔らかな陽光が降り注ぎ、その向こうでさざ波がきらきらと揺れていた。気持ちの良い午後だった。

 

 海辺にある敷地内のレストランでの支払いは、米ドルかクレジットカードのみだそうだ。日本語は通じるのだろうか。いつか、このレストランで海を眺めながら食事をしてみたいと思った。

 

f:id:fuku-taro:20210228225815j:plain

f:id:fuku-taro:20210228225848j:plain

 

50ミリの世界 ~ 壺屋やちむん通りなど

f:id:fuku-taro:20210221200408j:plain

 

前回、沖縄本島北部の街、名護市をD750と50ミリのレンズで撮った記事を書きました。

普段、街歩きにはGRⅢを持って歩くのものですから、街の風景を見る時に28ミリの画角で見る感覚が身についていました。

急に50ミリのレンズで街を眺めると、画角に慣れずちょっと戸惑ってしまいます。

 

写真を始めるなら、まず50ミリのレンズから始めて、50ミリでいろんなモノを撮れるようになれば写真が上達すると、何かで読んだことがあります。

今更だけど50ミリの特訓をしてみようかと思った次第です。

 

それに単焦点のレンズは画がキリリと澄んでいて、気持ちが良いですよね。

 

f:id:fuku-taro:20210221200511j:plain

天気が良かったので、久し振りに那覇市壺屋のやちむん通りを歩いてみました。

戦争で那覇市は焼け野原になってしまったのですが、戦後、那覇市の復興はここ壺屋の街から始まったそうです。

戦後復興は、日々のご飯を食べる為のお茶碗作りから始まったのでした。

 

この日のやちむん通りは、以前と違って観光客もまばらで、ゆっくりと焼き物を見て回りました。

f:id:fuku-taro:20210221200601j:plain

f:id:fuku-taro:20210221200700j:plain

f:id:fuku-taro:20210221200753j:plain

f:id:fuku-taro:20210221200835j:plain

f:id:fuku-taro:20210221200940j:plain

 

やちむん通りから平和通り商店街を抜けて、シャッターをパチパチ切りながら歩きます。50ミリのの画角での街撮りは、いつもの感覚では距離が近すぎて、カメラを構えてから後退ることばかりです。それでも画角に収まりきれずに、自然と縦構図が増えていきました。そういえば28ミリのGRⅢでは、あまり縦構図を使いませんね。

 

思えば写真を初めて5年が経っているのですが、ちゃんとした勉強もせずに自己流で街撮りばかりしてきましたので、僕の写真はまったく成長しないのです。

こんな写真をブログで公開していて良いのかとも思いますが、そこはまあ、遊びの世界なのでご容赦ください。

f:id:fuku-taro:20210221201032j:plain

f:id:fuku-taro:20210221201125j:plain

f:id:fuku-taro:20210221201347j:plain

この日の那覇市の街歩きは、長袖ではちょっと暑いくらいの陽気でした。少し疲れて自宅に戻り、この日買ったカップにコーヒーを淹れたのでした。

名護の街

f:id:fuku-taro:20210214192819j:plain

 

沖縄県本島北部の町、名護市を歩いてみた。

ニコンD750に50ミリの単焦点のレンズをつけて持って行った。

 

カメラを趣味にする人達の間には「レンズ沼」という言葉があるが、ぼくはレンズ沼を避けながら歩いている。

「レンズ沼」とは、カメラレンズには多くの種類があり、それぞれに個性があるので、あれもこれも欲しくなってしまうというものらしい。そして、恐ろしいことに、レンズの一本一本がとても高価なのだ。

 

元来、凝り性のところがある事を自覚しているので、沼には近寄らないようにしている。カメラは写ればよい、とうそぶきながら沼を避けて歩いている。

でも、実際、ぼくはカメラやレンズよりも、撮る対象の方に興味があるのだ。自分が歩いた街を記録しておきたいというのが、写真を始めたきっかけなのだから。

f:id:fuku-taro:20210214194353j:plain

 

それでも、単焦点で街を撮る楽しみは感じている。ズームが効かない分、自分の体もカメラと一体になる感じが良い。

ところで、名護の街なのだが、2000年に行われた九州・沖縄サミットが行われた街だと言われれば、何となく記憶にあるだろうか。

米国のクリントン大統領や、英国のトニー・ブレア首相ら主要国の首脳を集めて行われた九州・沖縄サミットは、20世紀最後のサミットであった事と、初の地方開催サミットであった事として記憶されている。そして、ホストを務めた日本の総理大臣が森喜朗首相だった。

歓迎夕食会で安室奈美恵が「NEVER END」を歌ったり、記念の2000円札が発行されたりと、当時は随分話題を振りまいた。その2000円札だけど、ここ沖縄でも滅多に見かける事はない。たまにお釣りに交じってくると嬉しくなり、しばらくは財布の中に留まっている。

f:id:fuku-taro:20210214194302j:plain

f:id:fuku-taro:20210214192945j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193026j:plain

日本ハムファイターズのキャンプが行われるのは、名護市営球場だ。本来は賑わう時期なのだが、コロナ禍の下では街もひっそりとしている。

中心街の市営市場の飲食店は殆どが店を閉めていて、街を歩いていてもコーヒーを飲むことも出来ず、何もすることが無い。ただ、歩くのみだ。

f:id:fuku-taro:20210214193102j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193135j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193725j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193208j:plain

シャッターが上がらなくなって、しばらく経った感のあるボーリング場を寂しげに眺めながら歩く。

f:id:fuku-taro:20210214194451j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193808j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193857j:plain

f:id:fuku-taro:20210214193945j:plain

f:id:fuku-taro:20210214194029j:plain

樹齢300年といわれる「ひんぷんガジュマルの樹」は、街のシンボルだ。

f:id:fuku-taro:20210214194107j:plain

今回は、人通りも少なく、店も閉まっていて寂しげな名護の街であったが、名護湾を臨み、山地も迫るこの街は夏が良い。大学のキャンパスもあるので、若者たちが伸び伸びとこの小さな楽しんでいる様子が覗える。

春が近いようだ。今年は名護の街をもっと撮ってみたい。

f:id:fuku-taro:20210214194202j:plain

 

サウナに行きたい

f:id:fuku-taro:20210207225419j:plain

高知市 2018年2月

 

昨年来のコロナの影響で、いろいろな事を我慢して生活していますよね。

不要不急はガマンといいますが、不要不急も長期間にわたると、必要至急に転じてくるものもあるんじゃないかなあと思いますよ。

 

ぼくの場合で言えば、それは、サウナに行くこと。

ぼくにとってサウナに行くという事は、至福の時間の一つであり、ストレス解消の重要な時間なのでしたのよ。

 

コロナ禍において、そりゃあ不要不急ですよ、サウナ。

サウナに行かなくても生活は困窮しないし、世の中のシステムは回るし、ましてや誰も死ぬこともない。

だけどですよ、サウナに行くことがとても楽しみであって、それが日常のリズムを整える、重要で必要不可欠的なイベントだったという人も多いんじゃないかなあと思う。

 

ああ、サウナ。

以前は月に2、3度は行ってました。いや、よく考えたら週一くらいの頻度の時も多かったかもしれない。

あの熱いサウナ室の中でじっとりと汗を浮かべ、瞑想のように目を閉じるのも良し。

また、サウナ室にTVが設置されていた場合、チャンネル権もなく、ただ流れている番組を、瞼の汗を拭いながら眺めるというのも良しなのである。

 

ぼくは熱めのサウナが好き。

10分も入っていると、クラクラしてくるような気がして、慌てて閉じていた目を開ける。ああ、もう限界かも。でも、もう少し・・などと逡巡するのが堪らない。

 

しかし、本番はここからだ。

脱兎のごとくサウナ室を飛び出し、桶で水風呂の冷水を体にかける。最初は手足の先から。やがて、胴体へ。最後には頭からざばーっと。そして、水風呂に飛び込む。くううぅ。

 

最初は刺すような冷たさと感じられた水風呂が、やがて、温かく感じてくる。手足を動かすと、また冷たさが流れてくる。不思議な感じ。不思議大好き。

 

そして、本当の本番がやって来る。

水風呂をあがり、デッキチェアーに横たわって目を閉じる。この休憩時間こそがサウナの醍醐味なのだ。休憩室が屋外になっている施設が最高で、外からの風がデッキチェアーに横たわり熱を帯びた体を、やさしく撫でながら流れていく。

 

「ととのったーー」という言葉を「サ道」というマンガで知ったのは、最近の事だが、この「ととのったーー」は、まさしく言い得て妙である。

あの恍惚感を言葉にすれば「ととのったーー」になるのだ。うん、それ以外に言いようがない。

 

ここまで書いてきて、まるでサウナに入ったような高揚感を感じてきたりしそうになるのだが、もちろん「ととのったーー」とはならない。

 

ああ、サウナに行きたい。ああ、サウナに行きたい。

今日のぼくの頭の中は、自粛しつつも、そんな思いでいっぱいなのだ。

 

 

上を向いて歩こう

最近、目線が下がっている気がする。

遠くを見通すこともなく、足元を踏み誤らないように歩いているようだ。

 

そんなある日。

上を向いて歩こう、と。

そうだ、カメラを手に上を向いて歩こう、と思ったわけです。

 

そして、那覇市の国際通り周辺を、パチリパチリとシャッターを切りながら歩き始めたのは、もう午後の遅い時間からでした。

 

f:id:fuku-taro:20210131133019j:plain

f:id:fuku-taro:20210131133235j:plain

沖縄県庁舎は黒川紀章の設計だとか。

 

f:id:fuku-taro:20210131133054j:plain

ビルの壁面に木が張り付いたようなデザイン。

 

f:id:fuku-taro:20210131133342j:plain

リュボウデパートの入っているパレットくもじは、ゆいレール県庁前駅と直結している。

 

 

そして、国際通りへ。

f:id:fuku-taro:20210131133426j:plain

f:id:fuku-taro:20210131133500j:plain

f:id:fuku-taro:20210131133620j:plain

f:id:fuku-taro:20210131133738j:plain

f:id:fuku-taro:20210131133849j:plain

 

目線を下げれば、国際通りは臨時休業でシャッターを下ろしたお店ばかりになっている。それが今の現実の光景。

f:id:fuku-taro:20210131195312j:plain

f:id:fuku-taro:20210131195358j:plain

 

目線を上にしながら、現実もしっかりと見ておこうと思う。

 

f:id:fuku-taro:20210131133936j:plain

f:id:fuku-taro:20210131134016j:plain

f:id:fuku-taro:20210131134308j:plain

f:id:fuku-taro:20210131134349j:plain

 

いつか、コロナ禍の時が過ぎ去って、あの頃の国際通りはシャッター街になっていたんだよ。信じられないだろうけど、と言える日がくる時のために

 

f:id:fuku-taro:20210131195904j:plain

f:id:fuku-taro:20210131134447j:plain

 

土曜日の18時には、もうこの商店街は薄暗くて、お店もほとんど開いてなくて

 

f:id:fuku-taro:20210131200042j:plain

f:id:fuku-taro:20210131134528j:plain

 

人もまばらで、みんな足早に家路を急いでいて

 

f:id:fuku-taro:20210131134615j:plain

 

開いている数少ない飲み屋さんは、店内よりも外の方が客が多くて。そうは言っても、ぜんぜん少ない客数で

 

f:id:fuku-taro:20210131134752j:plain

 そんなことが昔あったんだよ、って言うために

今のこの景色もしっかり見ておこうと思う。

 

現実を踏みしめながら、視線は上に。

 

 

マガジンラック

いつもお世話になっている美容室のオーナーから、不要になったというマガジンラックを頂いた。一見簡単な作りに見えるが、オーダーメイドらしいマガジンラックは継ぎ目がしっかりとしていて、とても丁寧に作られている。

 

「要らなくなった店のインテリアを処分したんですけど、作りが頑丈過ぎて叩いても潰せないので苦労しました」と、ぼくの髪を切りながらオーナーは笑った。

 

確かに随分と頑丈に作られている。素材もしっかりとしたものを使っているらしい。こんなものを頂いていいの?と恐縮しながら頂いた。

 

うちのツマも同じ美容室に通っていて、以前、髪を切っている時のお話の流れで「あのマガジンラックは何処で買ったんですか?」と、何気なく聞いた事があったそうだ。オーナーはその事を憶えていてくれたようで、ぼくに声を掛けてくれていた。そんな訳で、今回、こいつが我が家にやって来る事になったのだ。「捨てるよりは、喜んで使ってくれた方が良いですから」と。

 

髪を切り終えた頃、「うちの若いヤツが自宅まで持って行きますよ。ご自宅近いでしょう?」と、オーナーが言ってくれたので、お言葉に甘える事にした。「若いですけど気の良い連中ですから」とオーナーは、また笑った。

 

少し雨が降り出しそうな空の下、二人の青年が手で抱えて、大きなマガジンラックを快く運んでくれた。

「このアルミの部分は自分たちで組み立てたんですよ」と、片方の大柄な青年が言う。昔、このマガジンラックが置いてあった店舗を新しく出店した時の事らしい。懐かしそうに。少し感傷的に。今回、何店舗か運営しているうちの、このお店を閉じる事になったのだ。

 

ぼくが「オーナーが妻との会話を憶えてくれたようで、頂くようになったんですよ」と話すと、「ああ、あの人はそういう所ありますから」と、二人の青年は顔を見合わせて微笑んだ。

 

二人の青年は、マンションのエレベータを上がって、わざわざ自宅の玄関まで運んでくれた。

「引っ越し屋さんみたいに使ってしまってすみませんね」というと、「いえいえ」とはにかむような表情で「それでは失礼します」と二人の青年は帰って行った。

 

そんな訳で、ぼくの家の玄関脇には立派なマガジンラックが置かれている。

その仮置きのマガジンラックに、ぼくとツマは早速、それぞれのお気に入りの雑誌を立ててみたりした。するとなんだか、どこかのお店のようになった玄関脇は、急にすました顔をした。

 

翌日、ぼくとツマは素敵なマガジンラックを眺めながら「ちゃんとしたお礼をしないとね」と、浦添のパルコにお礼の品を求めて出かけることにしたのでした。

 

f:id:fuku-taro:20210124141225j:image