高知市 2018年2月
昨年来のコロナの影響で、いろいろな事を我慢して生活していますよね。
不要不急はガマンといいますが、不要不急も長期間にわたると、必要至急に転じてくるものもあるんじゃないかなあと思いますよ。
ぼくの場合で言えば、それは、サウナに行くこと。
ぼくにとってサウナに行くという事は、至福の時間の一つであり、ストレス解消の重要な時間なのでしたのよ。
コロナ禍において、そりゃあ不要不急ですよ、サウナ。
サウナに行かなくても生活は困窮しないし、世の中のシステムは回るし、ましてや誰も死ぬこともない。
だけどですよ、サウナに行くことがとても楽しみであって、それが日常のリズムを整える、重要で必要不可欠的なイベントだったという人も多いんじゃないかなあと思う。
ああ、サウナ。
以前は月に2、3度は行ってました。いや、よく考えたら週一くらいの頻度の時も多かったかもしれない。
あの熱いサウナ室の中でじっとりと汗を浮かべ、瞑想のように目を閉じるのも良し。
また、サウナ室にTVが設置されていた場合、チャンネル権もなく、ただ流れている番組を、瞼の汗を拭いながら眺めるというのも良しなのである。
ぼくは熱めのサウナが好き。
10分も入っていると、クラクラしてくるような気がして、慌てて閉じていた目を開ける。ああ、もう限界かも。でも、もう少し・・などと逡巡するのが堪らない。
しかし、本番はここからだ。
脱兎のごとくサウナ室を飛び出し、桶で水風呂の冷水を体にかける。最初は手足の先から。やがて、胴体へ。最後には頭からざばーっと。そして、水風呂に飛び込む。くううぅ。
最初は刺すような冷たさと感じられた水風呂が、やがて、温かく感じてくる。手足を動かすと、また冷たさが流れてくる。不思議な感じ。不思議大好き。
そして、本当の本番がやって来る。
水風呂をあがり、デッキチェアーに横たわって目を閉じる。この休憩時間こそがサウナの醍醐味なのだ。休憩室が屋外になっている施設が最高で、外からの風がデッキチェアーに横たわり熱を帯びた体を、やさしく撫でながら流れていく。
「ととのったーー」という言葉を「サ道」というマンガで知ったのは、最近の事だが、この「ととのったーー」は、まさしく言い得て妙である。
あの恍惚感を言葉にすれば「ととのったーー」になるのだ。うん、それ以外に言いようがない。
ここまで書いてきて、まるでサウナに入ったような高揚感を感じてきたりしそうになるのだが、もちろん「ととのったーー」とはならない。
ああ、サウナに行きたい。ああ、サウナに行きたい。
今日のぼくの頭の中は、自粛しつつも、そんな思いでいっぱいなのだ。