南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

日々の生活


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三連休の中日で久し振りに釣りに出掛けた。本島中部の小さな河川でのルアーフィッシングだ。

 

沖縄県には大規模な河川がないので、淡水魚をターゲットにする釣り人には少し残念だ。

 

転勤をした各地でもう26年も続けているバスフィッシングを楽しんできたが、ここ沖縄はバスフィッシング不毛の地のようだ。沖縄にやって来てこの二年で、そう確信するに至った。沖縄のバスフィッシングについては、またいつかまとめて書こうと思う。

 

先日の退院以来食生活に気を遣っていて、3.5キロ程体重が落ちている。どうやら炭水化物カットには効果がありそう。目標にはまだ至らないが、焦らずに時間をかけて落としてゆこうと思う。体重そのものよりも生活態度の見直しが目的なのだ。

 

 

未来の小さな楽しみ


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沖縄に台風が近づいているようです。雨風が強くなってきました。週末には九州にも接近するとか。用心して過ごしましょう。

 

今日、30年来の友達(昔の会社の同期の女性)と電話で話す機会があって、昔話で長話になりました。

他の同期たちの近況を聞いたりしていたら、あの頃勤めていた福岡の街に行きたくなりました。コロナが終わったら、必ず福岡に行くよ、と約束して電話を切りました。楽しみが1つ増えました。

 

感謝

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カテーテル手術を受けた。前後して3日の入院だった。

 

初めての手術室の中には、アームに吊られた3連モニターや、その下にも別のモニターがあって、様々な情報が表示されている。部屋全体が白く明るく、何かの実験室かのように見えた。

 

手術台の上に乗ってからは、まさにまな板の上の鯉状態だ。6,7人の男女がてきぱきとぼくの体を固定する。

 

若い女性の「じゃあ、やりますか!」という引き締まった声の後、マスクから麻酔を吸引し、その後は何も覚えていない。

 

手術室で見た先生たちの姿は、現場仕事のプロ集団だった。それは外来で見せる表情とは少し違って見えた。

 

 

術後12時間体を固定され、点滴に繋がれ、寝返りも打てない。これがなかなか辛かった。

 

看護師の方々の仕事に支えれながら、12時間を過ごした。

 

看護師の方々もプロの職業人だなあと思った。本当に有難かった。

 

ぼくの病室は4人部屋だったが、ぼくが入院する時にいた3人の患者さんは、ぼくが退院する時にもまだ残られていた。自分がこんな風になっていろいろと思う所もあって、皆が早く家に戻れますようにと願った。

 

主治医の先生や医療スタッフの方々、そして看護師の方々には感謝の想いしかない。

 

今まで自分の体を過信していたようなところがあった。

 

今まで無頓着に生きてきて、何事もなかったのがラッキーだったのだ。

 

これからは、健康であるように努力しようと思う。

 

相手の立場に立って考える

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2021.8  那覇市

 

 那覇市は交易都市として発展してきた歴史もあり、本土と大陸との中継点に位置する事もあって、アジアの影響を強く受けているようだ。

 また戦後は、米国の統治下におかれた「アメリカ世(あめりかゆ)」を経た事から、アメリカンカルチャーが根付き、アジアとアメリカと琉球の文化が入り混じった「チャンプルー文化」になったと言われる。

 

 そんな異国情緒の漂う街に多くの外国人観光客が溢れていた時は、風景も人も混沌として、ここが日本だという事を忘れそうになった。しかし、もう二年近く外国人観光客が街角をそぞろ歩きする様子は見られない。街は急に萎れてしまったように見える。

 

 国際通りの一等地のお土産屋さんは店を畳んでしまい、その空テナントには、今、コロナ検査センターという名の検査キット販売業者が入っている。

 

 何か楽しい事を書こうと思うのだけれど、そんな事が難しく思えるこの頃だ。

 コロナ禍について、何が正しくて何が間違いなのか僕にはよく分からない。正直、そんな事を考えるのも疲れてしまった。

 

 しかし、宮古島在住のエッセンシャルワーカーと思われる方がつぶやいた、「本当に本当に。患者さんが減るまで宮古に来ないでおくれ」という切実なツイートを見て、何とも悲しい気持ちになった。

 宮古島の10万人当たり感染者数が、世界最悪の数字となったというニュースを見たのは、その数日後の事だった。

 

ぼくには、ポール・マッカートニーがいる

「ぼくにはポール・マッカトニーがいる」

カーラジオから流れて来た「ジェット」を聴きながら、そう思った。

 

 ぼくは10代の半ばで、ビートルズを聴くよりも早くジョン・レノンのアルバム「ジョンの魂」に出会った。それから、すっかりジョンの虜になってしまい、その後の数年間のぼくのヒーローは、ジョン・レノンだった。

 そのせいで、ジョン目線でビートルズを見てしまい、ポールの印象があまり良くなかったのだ。

 

 確か、町田か橋本の駅の構内だった。外国人の若者が、洋楽アーティストのピンナップ写真を地べたに並べて売っていた。その頃は、よく分からない外国人の若者が路上に商品を並べて売っているという光景が、よく見られた。ハンドメイドっぽいアクセサリーなんかが多かったかな。もう最近は、そのようなシーンに出くわすことも無くなったけど、当時は当たり前の光景だった。

 

 それでその中に、ジョンのピンナップ写真があって千円で買った。広げた布の上に胡坐をかいている若い外国人に、千円札を渡して受け取ったピンナップ写真。モノクロの画面の中で、ウエーブのかかった長髪にサングラスをかけたジョン・レノンが、腕組をしてこちらを見ている。Tシャツには「NEW YORK CITY」のロゴ。

 アルバイト帰りにそれを買ったぼくは、下宿に戻ると、早速そのピンナップを部屋の壁に貼った。ジョン・レノンが亡くなって10年程経っていた。

 

 ジョンはNYのダコタアパートの前で銃に撃たれて40歳で亡くなった。当時の新聞がジョンの死を「暗殺」と書いた事もあって、センセーショナルな伝わり方をしたのだろうと思う。ずいぶんと政治的な発言やパフォーマンスもやっていたジョン&ヨーコ。ぼくには、その頃の記憶はなくて。20歳の頃のヒーローは、あの頃からずっと40歳のままだ。

 ぼくはと言えば、彼の年齢をとっくに越えて生きている。50歳を越えてた自分を、あの頃は想像できなかった。あのピンナップは、引っ越しの度に新しい部屋の壁に貼られたのだけれど、いつの間にか忘れ去られて何処へ行ったのだろう。

 

 最近、ちょっと体調が悪かったりもして、少し弱気になっていた。

そこへ、カーラジオからの「ジェット」だ。

 

 ポール・マッカートニーは79歳だけれど、バリバリの現役で、昨年12月にはフルアルバム「ポール・マッカートニーⅢ」を発表したばかり。このアルバムで31年振りにチャート1位を獲得したのも話題になった。

 

「ぼくにはポール・マッカートニーがいる」と思う。

 

最近はいなくなってしまった、本当にわくわくさせてくれる音楽を生み出してくれる稀有なアーチスト。

 

そしてまた僕は思うのだ。

「ずるいよ、ジョン・レノン」

 

ポール・マッカートニーは、絶対にそんなこと思っていないだろうけれど。

 


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エバーグリーン

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2021.7 那覇市

 

最近、病院通いが続いている。

去年の春頃から調子が悪い感じが続いていたのだが、今年の健康診断で指摘された。

これまで健康自慢で通してきたが、やっぱり年齢相応に今までの無理のツケが回ってきたようだ。

 

若い頃から、好き放題やっていた時期が長かったり、仕事で、なにが何でも絶対やるのだという気概で、自分にハッパをかけてやってきたが、体が「もうそろそろ落ち着きなさいね」と言っているのかもしれない。認めたくないけれど。

 

世の中は、画面の中のキムタクをもてはやし、若さがずっと続くように願うけれど、自然の成り行き、道理というものがある。

 

しかし、そんなものだろうと老け込むにはまだ早い。ギアチェンジをしながら、今までよりももっと人生を快活に楽しむつもりだ。

 

それにしても、相変わらずのコロナ禍。皆さまも、どうぞご自愛ください。