南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

若き日に旅をせずば、老いての日に何をか語る

f:id:fuku-taro:20200828114627j:plain

 

「若き日に旅をせずば、老いての日に何をか語る」とゲーテが言ったとか。

ぼくは若き日に旅をしてこなかった人だと思う。だけど、転勤族として知らない街を転々としてきたので、それを旅だと考えれば、人生そのものが旅のようだ。

 

若き日の数少ない旅の中で、北海道を5日間かけて回ったことがある。釧路まで飛び、そこからレンタカーで走り網走を抜け、道北、宗谷岬へ。そして、稚内からは船に乗り礼文島に渡った。思えば、もうあの北海道旅行から20年ほどの年月が経っているのだ。驚くことに。

その時に買ったマグカップは、今も大切に使っている。

 

f:id:fuku-taro:20200828114654j:plain

 

最近気が付いたんだけれど、ぼくには記念品としてマグカップを買うという癖があるようだ。

これは、高知県津野町で行われたお茶のイベントで買ったカップ。津野町は山間の静かな町で、お茶の産地だ。空気が澄んでいて夜になると星空が素晴らしいところ。高知市内からも随分遠いこの町に、もう一度行けるだろうか、と思ってしまう。

 

f:id:fuku-taro:20200828114721j:plain

 

こんなのもある。1996年か97年に鹿児島県で行われた山下達郎のコンサートで買ったカップ。

このコンサートには思い出があって、会社の後輩Sくんが女の子とデートしようとチケットを買ったんだけど、結局誘えずに、ぼくが一緒に行ったというもの。当時としても、デートで山下達郎はシブすぎる選択だと思ったよねえ。

f:id:fuku-taro:20200828114819j:plain

 

これは、今年になって沖縄本島北部、やんばるへ行った時に買った物。生まれて初めて野生のヤンバルクイナを見た事もあって、ヤンバルクイナのカップです。

 

車を運転していたら、ヤンバルクイナが、道路をヒョコヒョコと歩いて渡っていました。因みに、ヤンバルクイナは飛べない鳥なんです。だから、道路をヒョコヒョコ渡っている時に、車に轢かれて死んでしまうものが少なくないそうです。

 

繁殖時期は春なのですが、今年の春はコロナ禍のステイホームで交通量も激減したために、雛が轢かれてしまう事故が少なかったようです。ヤンバルクイナの保護に携わる方が、少し安心したように教えてくれました。

 

沖縄で買ったカップの後ろに、北海道で買ったカップが並びます。なんだか楽しい。

f:id:fuku-taro:20200828114843j:plain

 

最後に、赤毛のアンが牛になっているというシュールな絵柄のカップは、ツマが若き日にカナダでホームステイした時のものです。淵が欠けていますが、大切に使っているようです。

f:id:fuku-taro:20200828114912j:plain

 

マグカップなどは、若い時に買った物を大切に使う方が、思い出も相まって価値が増すように思います。

若き日にマグカップを買わねば、老いての日に何を思いコーヒーを飲む。そんな風に思えてきました。

これからも、大切に使いたいカップたちでした。

 

ショート・トリップ(記録 / 2020.8)

f:id:fuku-taro:20200827084014j:plain

 

<沖縄そばの強者>

沖縄に来て一年が過ぎた。ここは、独特で多様な文化を持つ土地だと改めて思う。文化と言っても様々な分野があるが、能天気な転勤族は食文化への「郷土文化研究」に勤しむ。

 

独身時代は週3~4でラーメンを食べ、「麺食道」を精進してきた身としては、まず、新たな土地の「麺」にお手合わせ頂きたいと考えるのだ。

 

沖縄の麺界には、独自の系統で発展してきた沖縄麺界の王、「沖縄そば」がある。

それは、異種格闘技戦ブーム初期の中で、ボクシングやレスリングやプロレス、空手などの主流にや割り込んできた、タイ王国の国技ムエタイのようだ。「よく分からないけど、なかなかやるらしい」といった感じ。

 

ところがである、麺食道をコツコツと精進する中で沖縄そばの有名店もいくつか食べ歩いたが、正直、インパクトを残すものには出会えなかった。そのいずれも、スープは淡白で麺はもっさりと感じられる。三枚肉と呼ばる角煮のようなトッピングだけが印象に残る。

 

沖縄そばは、この地でこそ成立する麺であって本土で通用するものではないのかもしれない、と思いかけていた時に岸本食堂のそばに出会った。

 

沖縄本島の北部に位置する本部町(モトブ チョウ)にあるこの店のそばは、かつおだしのスープが力強くキリリと澄んでいる。薪を焼いて残った灰を水に溶かし込み、上澄みを用いて作ったという麺は程よくもっちりとしている。麺そのものに味わいがあり、スープに負けていない。三枚肉には、旨みが凝縮されていて、スープ、麺、三枚肉の三位一体。はっきりと「美味い!」と言い切れる沖縄そばだ。

 

創業明治38年。本物の存在感だ。ここへ来て初めて知ったのだが、本部町はカツオの町なのであった。戦後、カツオで栄えたというが、その後、漁獲量は減少しているそうだ。それにしても、あの、かつおだしのスープはこの町だからこそのものか。

 

格闘技でもそうだが、真の強者の佇まいは静かで穏やかだ。この沖縄の片隅のそば屋の店構えにも通ずるものがあるな、と思うのであった。

f:id:fuku-taro:20200823231704j:plain

 

 

<コロナ禍のリゾート地>

 

沖縄県のコロナ感染者の拡大が収まらない。人口10万人当たりの感染者は東京を遥かに上回り、全国一位を続けている。そんな中で観光県沖縄は息も絶え絶えに見える。

 

通年、外国人観光客の姿が途切れることが無かった国際通りでは、今は、シャッターが下りたままのお土産店の前を、日本人観光客がまばらに歩いて行く。沖縄県の緊急事態宣言が発出された中でのGO TO TRAVELキャンペーン。コロナ対策と経済の回復を両立する事は、本当に難しいようだ。

 

今回ぼくらが泊まった宿は、オクマ プライベートビーチ&リゾートの宿である。ここは、戦後アメリカの接収地となり、米軍の保養所として使用されていた歴史を持つ。それが日本に返還された後、JALが開発運営に乗り出し、高級リゾート施設としてスタートした。因みに現在はJALは経営から退いているらしい。

 

その歴史的な経緯からアメリカ的な雰囲気を感じさせるこのリゾートの売りは、自然のままの珊瑚礁群や、紺碧の海に続く約一キロの真白い砂浜で、沖縄本島北部の自然の豊かさを満喫できることである。

f:id:fuku-taro:20200828110048j:plain

 

そんな宿が、朝食付きで二人で、格安の8,000円で泊まれるという事を発見したのはツマである。仕組みは詳しくないが、GO TO TRAVELと沖縄県民向けの宿泊キャンペーンの合わせ技らしい。でかしたぞ、ツマよ。

 

「こんな事でもないと、普段なら泊まれないよねえ」などど囁きつつ、チェックインした。

荷物を解いて一息ついてから、早速ビーチへ繰り出した。台風が接近しているという事だったが、雨は降らず、今のところ風も穏やかだ。白い砂浜を散策すると、波打ち際に珊瑚の欠片が沢山打ち上げられていた。ツマは珊瑚の欠片の中からハートの形に見えるものを拾い集めた。ぼくも、それに加勢したのだが、いつの間にか夢中になり、時間を忘れてハート型の珊瑚を探してしまう。パズルゲームに夢中になった時のようだ。

「これはどう?」

「いや、それはハートじゃなくて Vでしょう。どう見ても」

そんな感じで海辺のゆるい時間が過ぎていった。

f:id:fuku-taro:20200828110610j:plain

f:id:fuku-taro:20200828110649j:plain

f:id:fuku-taro:20200828110718j:plain

f:id:fuku-taro:20200828110945j:plain

f:id:fuku-taro:20200828111025j:plain

f:id:fuku-taro:20200828111057j:plain

 

<夏のおもてなし>

 

夜になると、このビーチで島唄ライブが催されるというので出かけた。

RYUTY(リューティ)というユニットが、日の落ちた砂浜でライトに浮かんでいた。

三線の女性ボーカルと男性ギターのコンビで、軽妙かつパワフルな演奏をしてくれた。このユニットは地元ではかなり有名らしい。

 

f:id:fuku-taro:20200828112346j:plain

女性ボーカルの照喜名さんとギターの比嘉さんの演奏で、砂浜の聴衆たちも盛り上がってくる。ソーシャルディスタンスと飛沫対策で、沖縄独特の指笛は自粛らしい。

それでも沖縄の踊り「カチャーシー」の踊り方をレクチャーし、演奏に合わせて聴衆たちは口を閉じたまま手を左右に揺らせた。

地方にはこういったローカルな音楽ユニットがよくあって、地元のイベントなどでライブ演奏をしている。ライブを沢山こなしているので、会場の聴衆との付き合い方がとても上手い。わざわざ自分たちを聞きに来た訳じゃない聴衆たちを、きっちり良い気分にさせて帰ってゆく。プロの仕事だなあと思う。そういえば高知にもサンドイッチ・パーラーというユニットがあったっけなあと思い出す。

f:id:fuku-taro:20200828113640j:plain

 

30分程のライブが終わり、会場が良い感じになった頃、ボーカルの照喜名さんが言った。

「さあ、皆さんお待ちかねの花火が上がりますよー。桟橋から打ち上げますから皆さんの後ろ側でーす」

この日は、ライブの後に打ち上げ花火が上がる事になっていた。

ステージを見ていた聴衆たちが、向きを変える。桟橋の方へ向かって走っていく子供たちの姿が見える。やがて、桟橋から上空へ花火が上がった。

花火職人の人たち、RYUTYのメンバーとスタッフ、そして、ホテルの従業員の皆さんたちの、コロナ禍の中でも安全に楽しんでもらおうという意気込みが溢れていた。早く、コロナが終息して欲しいと真に願う。

 

花火が砂浜の上空に、次々と大きく花開いた。それはコロナ禍でもやもやとしているこの夏で、初めて夏らしい光景だった。

f:id:fuku-taro:20200828113946j:plain

f:id:fuku-taro:20200828114025j:plain

 

ショート・トリップ


f:id:fuku-taro:20200823230245j:image

 

この土日で、沖縄本島北部へ一泊旅行へ行ってきました。さすがに県外からの観光客の姿は殆どなく、沖縄県内の地元客が多く見えました。とはいえ、平常と比べると、人も車もとても少なかったのです。

 

このコロナ禍で観光県である沖縄は、本当に厳しいと思われます。そして、一方で、このような中で旅行に出掛けるのは、少し勇気が要ります。それでも、感染しない、させないと充分に用心しながら行ってみると、旅行客の安全を懸命に配慮しながら、なおかつ、せっかくの旅行をゆっくりと心地よく過ごして欲しいという、ホテルやレストランや沢山のお店の方々の努力に、嬉しさと共に敬意を表したくなります。

 

日常生活に戻っても、一段とコロナに用心しながら過ごしたいと思います。旅行の詳細は、またいずれご報告します。


f:id:fuku-taro:20200823231704j:image

私的不定期名曲選『この曲もえーやん!』㉖ 夏祭り / Jitterin’ Jinn


ジッタリン・ジン / 夏祭り ( Jitterin’ Jinn / Natsumatsuri )【MV】

 

夏の光景がいつもと違うこの8月を過ごしています。

そんな時は、カラッと乾いてポップなこんな曲を聴きたくなります。

 

懐かしい友人と会う約束も流れてしまい、なんだかなあといった感じのこの頃です。

丁度その時に、以前このブログでも登場したそうちゃんから小包が届きました。中には彼のお薦めのCDが3枚。ぼくらは音楽はCDで聴く派なんですね。嬉しい便りでした。

 

先週、本棚の事を書きましたが、CDも結構な枚数あります。ちゃんとしたCDラックを買おうかなあと悩むこの頃です。

 

大阪にインディアンカレーというカレー屋さんがあって、ここのカレーはスパイシーで、ほんのりフルーティでとても美味いんです。こう毎日暑いとカレーを食べたくなります。というか、あの匂いを嗅ぐと、カレーなら食欲が湧いてくる言うべきでしょうか。また、大阪にも行きたいですが、今はなかなか難しいですね。

 

夏祭りの思い出は、悪ガキ仲間とのロケット花火。それに淡い恋。

この曲を聴いていると、その思い出が本当か幻か分からなくなってきました。暑さのせいでしょうか。大丈夫か、俺?

 

 

 

 

嬉しい本棚

f:id:fuku-taro:20200810003055j:plain

2020.3 那覇市

 

3連休中の真ん中だけど、コロナ感染拡大と台風接近で家から出ない休日を過ごしています。そして、こういう時にしか出来ない事をしようと本棚の整理をしています。

 

どうやら、我家は本が多いようです。昨年の引っ越しの際に、業者さんから「家具はそんなに多くないですが、本が多いですね」と言われましたっけ。

 

今回の本棚の整理で、出来るだけ捨てようと思っています。まず、本棚から本をすべて出してしまい、段ボールの中に仕舞ったままの本も出して、残すもの、捨てるものを選り分けているのですが、これが難しい。僕は断捨離に向いていないようです。

今回の本棚整理は、テーマを設けました。それは「眺めているだけで嬉しくなる本棚」です。ですから、仕事関係の本は、別の部屋に保管することにします。家で、寛いでいる時に眺めていて嬉しくなるような本棚にしたい、と考えているのです。

 

「眺めて嬉しい本」の候補は、読んでいると温かい気持ちになる「宮本 輝の小説」や、旅に出れない今だからこその、星野道夫の「旅する木」、沢木耕太郎の「深夜特急」などがあげられます。

 

趣味の釣り関係でアイザック・ウオルトンの「釣魚大全」に、開高健の「オーパ!」シリーズなども見ているだけで嬉しい。

 

同じく趣味の写真関係では、森山大道「路上スナップのススメ」写真集「写真よさようなら」、原康「お散歩写真のススメ」も良いなあ。カメラを持って出掛けたくなります。

 

マンガでは、ユルさが堪らない高田三加の「ねこロジカル」に、エルジェ「タンタンの冒険」シリーズ。それに、藤子F不二雄の「SF短編集」など。あと、現在連載中の「MIX」は、あだち充ですね。これも嬉しいです。

あと、忘れてはいけないのが、沖縄に来てから知った仲宗根美恵子の「ホテル・ハイビスカス」。このマンガは沖縄の空気感がとても現れていて傑作です。

 

更に、時々読みたくなる、谷川俊太郎の「自選 谷川俊太郎詩集」も捨てがたい。そういえば、若い頃に好きだった「ランボオ詩集」も手放してしまったなあ、などと考えていると時間があっという間に過ぎてゆきます。

 

これらに「台湾旅行のガイドブック」も、加えてみたくなります。

本棚の整理は、始めてみると思った以上に楽しいものでした。結局、終わらずに明日も延長戦です。

 

 

単眼複眼

f:id:fuku-taro:20200802231533j:plain

沖縄県 金武町 2020.7

 

世の中が正論で溢れている。

他人に迷惑をかけないように充分に気を配りながら生活するべきだし、ルールは守るべきだし、非生産的なことは良くない事だ。

合理的で、生産的で、理知的で、論理的な有能な人になりたい。皆がそう思うような世の中に見える。

 

アマノジャクなぼくは、千鳥の相席食堂のボタンを押したくなる。「ちょっと待てーい」と。

 

人間は、そんなに立派に出来ていないじゃないかい。そんな立派に出来ていない人間が、何とか立派でありたいたいと頑張ってるんじゃないかと。ずいぶんと無理ばかりしている毎日じゃないかと。そこの前提をなしにすると人間しんどいんじゃないかと。

 

仕事でお世話になっている駐車場に、ちょっと外人ぽい顔をしたおじさんがいる。もう、今まで充分に働いてきて、自分のそれなりの役割分くらいは働いて、今はゆっくりと駐車場の雇われ管理人のおじさんだ。

 

むっちりした体形に仕事用の青いシャツがよく似合う。大きな二重の目にはいつも笑みを浮かべていて愛嬌がある。冗談ばかり言っていて、誰にでも愛想が良い。

 

そんなおじさんが、車を出そうとしているぼくに、いつもの脱力した笑みを浮かべながら言う。

「コロナ対策だっていうけど、なんでパチンコ屋ばっかり閉めようとするの?パチンコなんてみんな台に向かって正面向いて打ってるし、会話なんてしないし、台と台の間にアクリル板置けば、飲食店よりもよっぽど安全だよ。俺はパチンコが趣味だからねえ」

 

正直、それを聞いてぼくは不謹慎な発言だなあと思った。でも、ちょっと待てよ、とも思う。言われてみれば、確かにそうかもしれない。飛沫感染がリスクだとすれば、向い合って飲食するお店の方がよっぽど危険かもしれない。そう思わないでもない。

 

「パチンコ屋で感染したって話ないでしょう。ねえ」このパチンコ好きなおじさんは、世の中の風潮が不満そうだ。

「でも、パチンコ屋で感染しても、パチンコ好きはそうだとは言わないわなあ」そう言っていつもの愛想の良い笑顔を浮かべる。

 

ぼくの車が出庫状態になり、会話は途切れる。車に乗り込み、キーを捻ってエンジンをかける。暑い日だ。カーエアコンの温度を下げる。

 

世の中にはいろいろなモノの見方があるものだなあと思う。ぼくの考えは、そのおじさんとは相容れていなかったけど、そういった考え方もあるんだなあと気付かされる。

 

皆、立場が違うし、物事の優先順位も違う。いろいろな見方、考え方があってしかるべきだろう。おじさんの話を聞きながら、自分が色眼鏡をかけて世の中を見ていると気付かされる。

 

子供の頃に、学校の先生が教えてくれたエピソードがある。

太平戦争開戦の時、アメリカの議会で真珠湾攻撃に対して日本に宣戦布告すべきだという事が決議された。その時、ただ一人だけ反対した女性議員がいたという。

「なぜ一人だけ日本に宣戦布告する事に反対したのか」との問いに、「私以外のすべての議員が賛成したから、私は反対したのだ」と答えた。そして「民主主義において全員の意見が同じというのは危険な事だと考えるから、私は反対票を入れたのだ」と。確かそんな話だった。

 

このエピソードは、ぼくの人格形成に強く影響したと思う。そして、その先生は何故こんなエピソードを子どもたちに話したのか分からない。

 

それが正しいかどうかは別として、様々な意見がある事は悪いことではないと思う。

駐車場のおじさんに、いつの間にか凝り固まったものの見方をしつつある自分というものを気付かされた気がした。

 

床屋談義

f:id:fuku-taro:20200726210632j:plain

2020.3 那覇市

 

 

髪を切る時に、美容師さんと話をする事が好きだ。

そんな時にあまり話をしたくないという人もいるだろうけど、ぼくは髪を切られながらする、どうでもいいような雑談を好む。

 

いつも髪を切ってくれるスタイリストの人はクダカさんという同年代の男性で、同じような時代をくぐり抜けてきているので、話が合うという事もある。

 

それに美容室は貴重な生の情報ソースになる。転勤族は、地元の人との些細な会話で多くの情報を得るのだ。ちょとスパイ小説みたい(?)な事を書いているが、もちろん、そんな大層なものでもなく、誰かのお役立ち情報でもありません。悪しからず。

 

「最近の若い子たちはググらないって知ってました?」

クダカさんは仕事柄、若い人と接する事も多いようで急にそんな話題が始まる。

「ググらないって?えーっと」

髪を切られながら気持ちよくなりつつあったぼくは、眠くなっていた。

ぼーっとしながら、そういえば、「だから、僕はググらない」って本があったよなあ、と思う。

 

ググる前に自分の頭で考えた方が、面白いアイディアが生まれるよ、というようなビジネス書ではなかったか。まだ読んでいないけど気になってる本だ。

 

面白い! を生み出す妄想術 だから僕は、ググらない。 | 浅生 鴨 |本 ...

 

 

曖昧なぼくに、クダカさんが続ける。

「何かを検索する時にググるんじゃなくて、SNSでフォローをしている自分の好きな有名人なんかを、ハッシュタグで検索するらしいですよ」

 

ああ、ハッシュタグね。長州力の「井」の事ね。クダカさんが言っている事は、SNSに疎いぼくにも分かる。

 

「なんか、そういうのってスゴイ狭い世界ですよねえ」

「そうですよねえ・・」

デジタルが苦手なおじさん達は頷き合う。

 

ぼくらの若い頃と違って、インターネットとSNSの発展で情報量が多すぎる時代なのかもしれないと思う。若い人たちなりに、この情報の大洪水時代を生きる知恵なのだろうか。

 

「昔、インターネットが普及し始めの頃に、インターネットは便所の落書きみたいなものだ、って言っていた人がいましたねえ。何かのコラムだかエッセイだかにか書いてあったと思うんですが」

「え、どういうことですか」

「匿名の人が、適当で無責任な事ばかり書き殴っているって事だと思うんですけど。昔の公衆便所って、壁に落書きがたくさん書いてませんでした?電話番号と名前が書いてあって、この子は誰とでもデートします、みたいな下世話なヤツとか」

ぼくは30年くらい前の駅のトイレの個室の壁を思い出しながら言う。当時の駅のトイレの個室の壁は、大体そんなくだらない落書きが書かれていた。思い出したのだろう、クダカさんも笑っている。

 

ふと思う。そういえば最近のトイレの壁って清潔で落書きなんか書かれてないな、と。

これはひょっとするとインターネットやSNSの普及と、トイレの落書きの数は反比例しているのではないか?ぼくは重大な発見をしてしまったような気がしてくるが、もちろん、そんなものは重大でもない単なる思い付きだ。

 

トイレの個室の閉鎖された狭さとインターネット。減っていく落書きと、増えていくSNSでの誹謗中傷。あのコラムだかエッセイだかの文章はあながち間違いではなかったのかもしれない。

 

「デジタルが苦手で、できるなら、スマホとかも使わないで済むならいいんですけどねえ」

「だけど、最近じゃ飛行機のチケットを取るのでもスマホがないと不便でしょう」

「そうなんですよねえ。面倒な世の中になったなあ」

 

そんな、アナログおじさん達の会話(愚痴?)は、しばらくだらだらと続くのであった。