<沖縄そばの強者>
沖縄に来て一年が過ぎた。ここは、独特で多様な文化を持つ土地だと改めて思う。文化と言っても様々な分野があるが、能天気な転勤族は食文化への「郷土文化研究」に勤しむ。
独身時代は週3~4でラーメンを食べ、「麺食道」を精進してきた身としては、まず、新たな土地の「麺」にお手合わせ頂きたいと考えるのだ。
沖縄の麺界には、独自の系統で発展してきた沖縄麺界の王、「沖縄そば」がある。
それは、異種格闘技戦ブーム初期の中で、ボクシングやレスリングやプロレス、空手などの主流にや割り込んできた、タイ王国の国技ムエタイのようだ。「よく分からないけど、なかなかやるらしい」といった感じ。
ところがである、麺食道をコツコツと精進する中で沖縄そばの有名店もいくつか食べ歩いたが、正直、インパクトを残すものには出会えなかった。そのいずれも、スープは淡白で麺はもっさりと感じられる。三枚肉と呼ばる角煮のようなトッピングだけが印象に残る。
沖縄そばは、この地でこそ成立する麺であって本土で通用するものではないのかもしれない、と思いかけていた時に岸本食堂のそばに出会った。
沖縄本島の北部に位置する本部町(モトブ チョウ)にあるこの店のそばは、かつおだしのスープが力強くキリリと澄んでいる。薪を焼いて残った灰を水に溶かし込み、上澄みを用いて作ったという麺は程よくもっちりとしている。麺そのものに味わいがあり、スープに負けていない。三枚肉には、旨みが凝縮されていて、スープ、麺、三枚肉の三位一体。はっきりと「美味い!」と言い切れる沖縄そばだ。
創業明治38年。本物の存在感だ。ここへ来て初めて知ったのだが、本部町はカツオの町なのであった。戦後、カツオで栄えたというが、その後、漁獲量は減少しているそうだ。それにしても、あの、かつおだしのスープはこの町だからこそのものか。
格闘技でもそうだが、真の強者の佇まいは静かで穏やかだ。この沖縄の片隅のそば屋の店構えにも通ずるものがあるな、と思うのであった。
<コロナ禍のリゾート地>
沖縄県のコロナ感染者の拡大が収まらない。人口10万人当たりの感染者は東京を遥かに上回り、全国一位を続けている。そんな中で観光県沖縄は息も絶え絶えに見える。
通年、外国人観光客の姿が途切れることが無かった国際通りでは、今は、シャッターが下りたままのお土産店の前を、日本人観光客がまばらに歩いて行く。沖縄県の緊急事態宣言が発出された中でのGO TO TRAVELキャンペーン。コロナ対策と経済の回復を両立する事は、本当に難しいようだ。
今回ぼくらが泊まった宿は、オクマ プライベートビーチ&リゾートの宿である。ここは、戦後アメリカの接収地となり、米軍の保養所として使用されていた歴史を持つ。それが日本に返還された後、JALが開発運営に乗り出し、高級リゾート施設としてスタートした。因みに現在はJALは経営から退いているらしい。
その歴史的な経緯からアメリカ的な雰囲気を感じさせるこのリゾートの売りは、自然のままの珊瑚礁群や、紺碧の海に続く約一キロの真白い砂浜で、沖縄本島北部の自然の豊かさを満喫できることである。
そんな宿が、朝食付きで二人で、格安の8,000円で泊まれるという事を発見したのはツマである。仕組みは詳しくないが、GO TO TRAVELと沖縄県民向けの宿泊キャンペーンの合わせ技らしい。でかしたぞ、ツマよ。
「こんな事でもないと、普段なら泊まれないよねえ」などど囁きつつ、チェックインした。
荷物を解いて一息ついてから、早速ビーチへ繰り出した。台風が接近しているという事だったが、雨は降らず、今のところ風も穏やかだ。白い砂浜を散策すると、波打ち際に珊瑚の欠片が沢山打ち上げられていた。ツマは珊瑚の欠片の中からハートの形に見えるものを拾い集めた。ぼくも、それに加勢したのだが、いつの間にか夢中になり、時間を忘れてハート型の珊瑚を探してしまう。パズルゲームに夢中になった時のようだ。
「これはどう?」
「いや、それはハートじゃなくて Vでしょう。どう見ても」
そんな感じで海辺のゆるい時間が過ぎていった。
<夏のおもてなし>
夜になると、このビーチで島唄ライブが催されるというので出かけた。
RYUTY(リューティ)というユニットが、日の落ちた砂浜でライトに浮かんでいた。
三線の女性ボーカルと男性ギターのコンビで、軽妙かつパワフルな演奏をしてくれた。このユニットは地元ではかなり有名らしい。
女性ボーカルの照喜名さんとギターの比嘉さんの演奏で、砂浜の聴衆たちも盛り上がってくる。ソーシャルディスタンスと飛沫対策で、沖縄独特の指笛は自粛らしい。
それでも沖縄の踊り「カチャーシー」の踊り方をレクチャーし、演奏に合わせて聴衆たちは口を閉じたまま手を左右に揺らせた。
地方にはこういったローカルな音楽ユニットがよくあって、地元のイベントなどでライブ演奏をしている。ライブを沢山こなしているので、会場の聴衆との付き合い方がとても上手い。わざわざ自分たちを聞きに来た訳じゃない聴衆たちを、きっちり良い気分にさせて帰ってゆく。プロの仕事だなあと思う。そういえば高知にもサンドイッチ・パーラーというユニットがあったっけなあと思い出す。
30分程のライブが終わり、会場が良い感じになった頃、ボーカルの照喜名さんが言った。
「さあ、皆さんお待ちかねの花火が上がりますよー。桟橋から打ち上げますから皆さんの後ろ側でーす」
この日は、ライブの後に打ち上げ花火が上がる事になっていた。
ステージを見ていた聴衆たちが、向きを変える。桟橋の方へ向かって走っていく子供たちの姿が見える。やがて、桟橋から上空へ花火が上がった。
花火職人の人たち、RYUTYのメンバーとスタッフ、そして、ホテルの従業員の皆さんたちの、コロナ禍の中でも安全に楽しんでもらおうという意気込みが溢れていた。早く、コロナが終息して欲しいと真に願う。
花火が砂浜の上空に、次々と大きく花開いた。それはコロナ禍でもやもやとしているこの夏で、初めて夏らしい光景だった。