2021.5 那覇市
沖縄県の人口当たりのコロナ感染者数が、日本で一番多いという日は、もう随分と続いています。
緊急事態宣言で、飲食店も時短や休業ばかりとなっていて、ランチのお店に苦労したり。
そんな日常に、流石にちょっと滅入ってくるこの頃です。
そんな中、今更なのですが、我が家に任天堂Switchがやって来ました。
しばらくは、ゼルダの伝説の世界に逃避しようと思います。今更だけど。
沖縄が緊急事態宣言に入る前に、映画を観た。
話題になった映画なので、観た人も多いかも知れない。タイトルは『ノマドランド』。
僕はロードムービーが好きなので、この映画がロードムービー的だと聞いて、とても気になっていた。
イージー・ライター、ファンダンゴ、スタンド・バイ・ミー、パリ・テキサス、サイド・ウェイ、リトル・ミス・サンシャイン。
思い付くままにタイトルを挙げてみたが、どれも好きなロードムービーだ。
その上での『ノマドランド』なのだけれど、正直、ちょっと観ていて「しんどいな」と感じる部分もあった。
元来、ロードムービーは、まだ人生の定まっていない若者と相性が良い。それはモラトリアム的な、一時の猶予とでも言おうか。
『ノマドランド』には、そんな甘さはどこにもない。現実の生活は、今日一日を猶予させてくれない。むしろ、意思を持って、そこに自分を組み込んでゆく。
この超高度資本主義社会の、明日なき明日を生きる高齢者達の生活が、そのままロードムービー的であるとは、なんという皮肉かと思ってしまう。
(この記事は2019年3月に書いた、活字漂流記①の続きです。下書きになったままだったものを、今回掲載しました。)
学生時代に読んだ「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返して、この頃の村上春樹作品が、思ったよりも大きくて深くて面白い。物語は下巻に突入する。
主人公「ぼく」は、80年代の街をくぐり抜けてゆく。マイケル・ジャクソンやプリンスやアイアン・メイデンが流行の80年代。BARでウオッカ・ギムレットを飲み、ビヨン・ボルグが引退する80年代。パックマンがドットをパクパクと食べ続け、東京ディズニーランドが開園するポップでファンタジーな80年代。そして高度資本主義社会である80年代。
やがて舞台は「お金でさえない経費」を使って行くホノルルに移り、色々なキャラクターが「ぼく」の前に現れて去ってゆく。
霊感のある美少女とエキセントリックな写真家の母、片腕の詩人、幼馴染の映画スター、そして、娼婦。
霊感少女は言う。
「あなたは死というものを通して世界と繋がっているのよ」
そして、少女と主人公のロードムービーのような物語が進む。
この作品もまた、いつもの村上春樹の小説のように、ポップで抽象的な現代絵画のようだ。意味ありげでもあり、単にファタジーのようでもある。
主人公が『異世界』との境界を越えそうになりながら、ギリギリで『現実世界』に繋ぎ止められるというモチーフは、何度も繰り返し提示されていると思う。(例えば騎士団長)
そして、この『ダンス・ダンス・ダンス』で、『ぼく』を現実の日常に繋ぎ止める鍵は、ユミヨシさんといういるかホテルの女性従業員だ。
彼女の『肉体』が『精神の深淵』に落ちて行きそうな主人公を現実の世界に繋ぎ止める。
ユミヨシさんが傍らで寝息をたてる、この現実世界の日常には、太陽の光が今日も降り注ぎ、それは明日もまたそうであり続ける。
この物語のラストで、取り敢えずであるが、主人公『ぼく』は何かから救われ、ここでようやく羊をめぐる冒険は完結する。
しかし、村上春樹の精神の深淵を巡る旅は、この後も長く続くのだ。
2021.5 那覇市
ある日。梅雨の日の事。
スコールのような強い雨が、地面を叩きつけるように降り続けた。
ここは南国の島だという事を思い出させるような雨。
傘も持たないのにカメラだけはしっかり持って出かけたカメラ散歩は、思いの外の強い雨で行き場を失う。
幸いだったのは、強い雨がいきなり降り始めた時、ちょうど牧志公設市場跡近くのアーケードの中を撮影していたことだった。
アーケードの天井の隙間の雨空が、一面の光を放つストロボのように発光し、直後、ズドンと大気を震わせる雷音が響く。一瞬、雨音が消えたような静けさは錯覚だ。
この日、ゆうに2時間を超えて降り続けた強い雨によって、古びたアーケード商店街に閉じ込められた午後を過ごした1日となったのだった。
2021.5 那覇市
そういえばという感じの話なんだけど、気がつけば4か月以上断酒している。
今年の正月三日までは普通にお酒を飲んでいたけれど、いつの間にか飲まなくなってしまった。飲んべえの、このぼくがである。
別に気合を入れて決意して、よし、断酒しよう、というようなこともなかったんだけれど、いつの間にか飲まなくなっていた。たぶん一番大きな原因はこの一年以上、職場の飲み会というものが一度もなかったからだと思う。
それと、もう一つには、コロナ禍や、それに伴うリモート勤務への進行などで、仕事の密度が極めて高くなり、心身に疲れが蓄積していのか、アルコールを体内に入れる事を「しんどい」と感じ始めたという事もある。自然とお酒から離れていったような状況だ。
そんな訳で、環境面と体調面の両方のタイミングがぴたりと合って、ぼくはお酒を飲まなくなっている。しかし、これがずっと続くかと言われれば分からない。取り敢えず飲みたいと思わないから飲んでいないという感じ。
考えてみると、お酒の美味しさは環境と雰囲気だったんだなあと思う。ぼくにとっては。
例えば、旅行に出かけた先で、その土地の肴で当地自慢の酒を飲むなんて最高だ。そして、カウンターなんかで飲みながら、見知らぬ隣客と取り留めのない会話をしつつ、地元言葉の響きに耳を傾けるなんてのも良いもんだ。まさに旅情を掻き立てられる。だけれども、そんなシチュエーションもとんとご無沙汰だ。
断酒に加えて最近は、朝からジョギングなんてらしくない事にも挑戦している。
一般的に言えば、酒を飲まず、健康に気を使った生活は褒められたものなのかもしれない。
しかし、ぼくにとってそれは、楽しみの無い生活がもう随分続いてきたぞ、他にする事もなく日々の生活に精一杯だぞ、ということのように思われる。
でも、幸いなことに断酒と運動の健康的な生活は、心身を前向きにしてくれているようだ。おかげでなんとか頑張っている。それなりに日々を楽しみながら。
80年代のミュージックシーンに咲いたあだ花「フランキー・ゴーズ・トゥー・ハリウッド」。
実質的には4年程度の活動期間だったが、話題性のあるヒット曲を連発し、センセーショナルに一世を風靡した。中でもこの曲は、一度は聴いた事があるんじゃないだろうか。
その歌詞の内容から本国BBCで放送禁止になったこの曲は、それでも80年代を代表する楽曲のひとつになってしまった。BBCが禁止でも、日本ではTVCMにこの曲が使われていたっけ。それにしても、歌詞を見ると『うっせーわ』なんて可愛いものだと思いません?
歌詞を気にしなければ、今聴いても良い曲だと思う。しかし、このMVはちょっと酷い(笑)