(この記事は2019年3月に書いた、活字漂流記①の続きです。下書きになったままだったものを、今回掲載しました。)
学生時代に読んだ「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返して、この頃の村上春樹作品が、思ったよりも大きくて深くて面白い。物語は下巻に突入する。
主人公「ぼく」は、80年代の街をくぐり抜けてゆく。マイケル・ジャクソンやプリンスやアイアン・メイデンが流行の80年代。BARでウオッカ・ギムレットを飲み、ビヨン・ボルグが引退する80年代。パックマンがドットをパクパクと食べ続け、東京ディズニーランドが開園するポップでファンタジーな80年代。そして高度資本主義社会である80年代。
やがて舞台は「お金でさえない経費」を使って行くホノルルに移り、色々なキャラクターが「ぼく」の前に現れて去ってゆく。
霊感のある美少女とエキセントリックな写真家の母、片腕の詩人、幼馴染の映画スター、そして、娼婦。
霊感少女は言う。
「あなたは死というものを通して世界と繋がっているのよ」
そして、少女と主人公のロードムービーのような物語が進む。
この作品もまた、いつもの村上春樹の小説のように、ポップで抽象的な現代絵画のようだ。意味ありげでもあり、単にファタジーのようでもある。
主人公が『異世界』との境界を越えそうになりながら、ギリギリで『現実世界』に繋ぎ止められるというモチーフは、何度も繰り返し提示されていると思う。(例えば騎士団長)
そして、この『ダンス・ダンス・ダンス』で、『ぼく』を現実の日常に繋ぎ止める鍵は、ユミヨシさんといういるかホテルの女性従業員だ。
彼女の『肉体』が『精神の深淵』に落ちて行きそうな主人公を現実の世界に繋ぎ止める。
ユミヨシさんが傍らで寝息をたてる、この現実世界の日常には、太陽の光が今日も降り注ぎ、それは明日もまたそうであり続ける。
この物語のラストで、取り敢えずであるが、主人公『ぼく』は何かから救われ、ここでようやく羊をめぐる冒険は完結する。
しかし、村上春樹の精神の深淵を巡る旅は、この後も長く続くのだ。