南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

私的不定期名曲選『この曲もえーやん!』㉒ Yellow Submarine / The Beatles


The Beatles - Yellow Submarine

 

徐々に深く潜行してゆく潜水艦の中のような生活だ。

 

そんな時には、そんな時なりの楽しみがあるってもんだ。

買ったまま積んであった本やマンガを読み耽ったりしてみる。

自宅でゆっくりと音楽を聴くのも、思えば随分と久し振りの事。

TVからは大量の情報が流れてくる。ネットからもしかり。

そのほとんどが、どうでもよい議論や意見のようにみえる。

ぼくに必要な事は今のところ、清潔と栄養と衛生だ。

 

TVやネットから離れて、ソファでうつらうつらしながら本を読んだり読まなかったり。そんな一日が、しばらくなかったような落ち着いた安らぎの時間だと気が付いた。

 

「ソノ赴ク所ソレニ従イテ楽シミヲ求ムルハコレ君子ナリ」

今日読んだ遠藤周作のエッセイにそう書いてあった。

沖縄の飲み屋界隈を歩く

f:id:fuku-taro:20200322225939j:image

 

転勤の楽しみとして、土地土地の「良い酒場」を見つけるというものがあります。

ぼくの好みは、安くて、大衆的で、美味いお店。そんなお店は、みんなも大好きですよね。

沖縄生活もようやく落ち着いてきて、この頃はふらりと飲み屋街を歩きます。

最近、よくお邪魔するのが「栄町市場」界隈のお店。この辺りは、ちょっとマニアックな感じで、那覇市内にしては観光客よりも地元の方々が多く通う界隈です。

 

「1000ベロセット」なるものがあるお店も多く、お酒3杯におつまみ一品で1,000円です。

おつまみは日替わりで10品くらいの中から選べるようになっていて、この日は「串揚げ4品」をアテにしてハイボールを飲みました。

隣席に居合わせた地元のお兄さんと何気ない会話が始まり、追加で頼んだハムカツやナポリタンを2人でシェアしながら楽しみました。

ようやく「沖縄の行きつけ候補」が、いくつか出来始めました。


f:id:fuku-taro:20200322225900j:image


f:id:fuku-taro:20200322225914j:image


f:id:fuku-taro:20200322225925j:image

 

新たな行きつけを見つける楽しみは、何とも言えないものがありますが、飲み過ぎには注意したいものです。

この日は、お兄さんとの話が楽しかった事や、沖縄の泡盛の飲み方に慣れていなかった事もあって、ちょっと酔い過ぎました。ツマへのお土産に買った「べんりやの餃子」を、二件目のお店に置き忘れてきてしまいました。反省です。

f:id:fuku-taro:20200322233644j:plain

 

 

 

 

お葬式


f:id:fuku-taro:20200315192758j:image

身内に不幸があり、急遽、九州大分へ戻ることになった。土曜日の19時過ぎに那覇空港を発ち福岡空港へ。そこからJR特急で大分に向かう。大分着は24時を回っていた。

 

お葬式に出るという事の感じ方は、年齢とともに変わってゆくように思う。1人の人間がその人の人生を真っ当に生ききったという事は、それがどのようなものであれ、立派なことだなあと自然に思えるようになった。

 

どんな人も生まれて死ぬ。たとえ考え方がどんなに異なっていて、どうしても相容れなかったとしても、最後は同じに訪れる。そう思えば、些細な差異や小さなプライドなど何になろう。

 

たまには葬式に出るのも悪くない。厳かな心持ちになって、日常をまた少し違ったように見れるかもしれない。

 

帰途、福岡空港で、久し振りに福岡ごぼう天うどんを食べながら、そんな事を考えた。

人間の顔

f:id:fuku-taro:20200308145410j:plain

 

 子供の頃、ぼくが生まれた九州の海の近くの田舎町には、常識はずれのオモロイおっちゃんがけっこういた。

 漁師町の路地では、酒に酔って上半身裸のおっちゃんたちが、頭にタオルの鉢巻を巻いて、格闘技のような本気の騎馬戦をしていたりした。その騎馬にしがみつくようして、漁師のお母ちゃんたちが、夫たちの非常識を止めに入ったりして賑やかだった。馬鹿げた事のように思うけど、生活を懸命に生きる庶民のいる光景だった。

 あの町を歩く時はちょっとおっかなかったけど、日に焼けた男たちの明るい笑顔は、男らしくて味わい深かったと、少年のぼくには記憶されている。ああいう「いい顔」をした大人の男を、すっかり見なくなったと思う。

 

「いい顔」と言えば、むかし観た映画「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」というドキュメント映画に出ていた、キューバの老音楽家たちは皆、「いい顔」をしていた。自分の手足で、生きる事に格闘してきた者の顔だった。音楽家である前に、「人間」である男や女たちの顔だ。

 

  人生で為になることを、学校の外で学んだ人の顔は良い顔だ。生きる力が溢れている。

人生で為になることを (若い頃は、何が為になるのかが分からないものだ) 学校の外で教えてくれる人、学べる場所がなくなったように思う。ぼくが知らないだけかもしれないけど。

 

 まあ、最近はいろいろな事があって、世の中に元気がない。事が起きる度に、頭の良い顔をした人達が対応策を矢継ぎ早に打ち出している。それを見聞きしながら、ぼくはその効果を期待していようと思っている。

だけど、その対策を打ち出す人たちの顔にも元気が無いように思ったりする。元気というか、格闘する生活者の「生き抜いてやる」という信念ようなものが。

 

 改めて思うのだけれど、利益ばかりを追い、効率を極めるばかりの世の中は、意外に脆いものだなと。

 今、無自覚の内に皆が本当に求めているものは、血が通って、温かで、幸福な人間の生活ではないだろうか。本当はそれを求めていたのに、何かに絡め捕られて、本来の目的を忘れてしまっているのではないだろうか。そして、そんな世の中に必要なのは、経済的効率よりも、信念や、哲学なのではないかと思うこの頃なのだ。

 

f:id:fuku-taro:20200308151447j:plain


f:id:fuku-taro:20200308153439j:plain

 f:id:fuku-taro:20200308160434j:plain

 

街の記憶13

 

f:id:fuku-taro:20200113183312j:plain

 

ラビリンスのようなアーケードは、どこもまたそうであるように、シャッターが閉まったままの通りが続く。

廃墟のような通路を進むと、不意に光が溢れた一角に出た。薄暗い路地の中で、そこだけ光が満ち溢れ、電灯の下に酔客たちの上気した顔が並び浮かぶ。

この辺はかつて色街だった言うが、今はもうその様子はない。しかし、地面に染み付いた過去の人々の記憶が、陽炎のように揺らめくようだ。

人間の営み。愛すべき日常。その時々で今も昔も。

f:id:fuku-taro:20200113182859j:plain

f:id:fuku-taro:20200113182946j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183010j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183218j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183335j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183408j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183535j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183706j:plain

f:id:fuku-taro:20200113183754j:plain

 

 

ホテル・ハイビスカス

f:id:fuku-taro:20200224000619j:plain

映画「ホテル・ハイビスカス」を観た。

「ホテル・ハイビスカス」は2002年に公開された映画で、舞台は沖縄県名護市だ。この映画の風景や街並みには、沖縄の日常の空気感が強く出ていると思う。


<ストーリー>

ホテル・ハイビスカスは一泊4千円のところ、今なら沖縄料理付きで3千円。お客さんが泊まれる部屋はひとつだけ。ホテルを営んでいるのは腕白でお転婆な小学校3年生の美恵子をはじめ、バーで働きながら一家を支えている美人の母ちゃん、三線とビリヤードが得意な父ちゃん、黒人とのハーフのケンジにぃにぃ、白人とのハーフのサチコねぇねぇ、そしてくわえタバコのおばぁ。美恵子は今日も忙しく、親友ガッパイとミンタマーを引き連れて、森の精霊キジムナーを探しに出発するのだった……


主人公の小学生の元気な女の子「美恵子」を演じた蔵下穂波が、素晴らしいキャラクターを発揮していて、それがこの映画の明るさを際立たせている。
ちなみに、この時子役だった蔵下穂波は、後にNHKの朝ドラ「あまちゃん」であまちゃんと一緒にアイドルグループを結成する、沖縄出身の喜屋武エレンという役を演じている。


f:id:fuku-taro:20200224000638j:plain

この映画には、仲宗根みいこの原作マンガが存在する。

映画の方は、明るく楽しい南国家族の物語になっているが、マンガの方は米軍基地の存在や沖縄に生きるハーフ達の複雑な環境など、明るい沖縄とは異なる「もう一つの沖縄」についても描かれていて、それがこのマンガの奥深い味わいになっていると思う。

ぼくには、映画もマンガもそれぞれ大いに楽しめた。

でも、メディアに乗ってくる「明るくて素朴な沖縄」だけではないマンガ版には、深く愛着を持つようになったように思う。