南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

街の記憶 8

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スナップ写真は楽しい。そこには写真を撮ること自体の楽しみがあると思う。

写真を始めるきっかけになったのは、やっぱりスナップ写真からだった。RICOHのGRを購入して、楽しくて、街歩きをしながらシャッターを切りまくった。

その後、一眼レフを購入して更に写真に入り込んでいくのだけど、やっぱりコンパクトカメラを手にして街を歩くのは特別な時間だ。

最近、RICOHのGRの新型が出たという。店頭で手に取って,、何枚かシャッターを切ってみたのだけれど、スナップを撮るカメラとして凄く進化しているように思った。

でも、もうしばらく旧型で通そうと思う。だけど、価格がもう少し下がれば、きっと買うだろうなあ。

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タイムカプセルを開ける

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休みの日に部屋の片づけをしていて、押し入れの奥を整理していた時に、インスタントカメラ(レンズ付きフィルム)が2つ出てきた。

自分でも何を撮ったものなのか全く覚えていないものだったので、恐る恐る現像してみた。

レンズ付きフィルムの現像ってどこで出来るんだろうと思いながら、カメラのキタムラへ持ち込むとちゃんと対応してくれた。

フィルム2本の現像と、現像したデータをディスク落としてもらって2,376円でした。

果たして、出てきた映像を見て苦笑する思いです。

1本はどうやら会社の独身寮の部屋で撮ったスナップのようでした。鹿児島時代、ぼくが20代の頃の会社の先輩と後輩が写っています。男子特有のバカバカしさ溢れるスナップ。今となっては微笑ましい。

長いこと現像せずにそのままにしてあったので、画質は良くありません。

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更にはバス釣りの写真。そういえば会社の先輩や後輩とよく釣りに行ったものでした。

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鹿児島の住吉池?でロッドを振る先輩。もう随分会ってないけどお元気だろうか。

 

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この頃はよく釣れたなあ(遠い目)。

 

 

 

そしてもう一本のフィルムは、30歳くらいの頃に会社の仲間たちと山梨県の西湖へキャンプに行った時のスナップでした。

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この頃は年に2回はキャンプに行っていました。14,5人で1泊2日の青年合宿のようなキャンプでした。夜になって焚火を囲んでお酒を飲みながら語り合った事が忘れられません。焚火には人を素直にさせる効果がある事を知りました。

 

懐かしい写真を見ながら、まるで浦島太郎が玉手箱を開けたような気分になりました。今はデジタルですから撮ったそばから写真を見れますが、現像するまで分からないフィルム写真の面白さもありますね。

ちなみに、鹿児島の池田湖畔でデートした女の子が、ソフトクリームを片手に微笑んでいる写真があったのは内緒にしておきます。

 

スナップ写真の面白さは、時が経つほど増してくるのですね。

 

土佐おもてなし海援隊 最終公演

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土佐おもてなし海援隊の最後のステージがあるというので、お疲れ様の気持ちで出かけてみました。

 

土佐おもてなし海援隊は、「志国高知 幕末維新博」のPRの為に結成された高知のご当地アイドルグループです。

 

坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、岩崎弥太郎、吉村虎太郎、ジョン万次郎の6名が歌って踊る幕末維新志士アイドルとして、JR高知駅南口の「こうち旅広場」を拠点に活動を行ってきました。

  

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幕末維新博が開幕したのは2017年3月4日の事でした。開幕式典には俳優の高橋英樹さんや高知出身の広末涼子さんが来場し、TV中継なんかもあったりして、それはそれは賑やかでした。

そしてこの時、1,000人以上の観客の前で行ったおもてなし海援隊のステージは、まさに晴れ舞台でした。彼らは維新博開幕の一年以上前から、地道に活動していました。朝早い時間、駅前で練習をしているのをよく見かけました。

 

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 幕末維新博も終了し、あれから二年が経ってこの日が最後のステージ。

晴天だけど、まだ肌寒い3月の旅広場に数十人のファンが詰めかけました。

おもてなし海援隊は最後まで走り切りました。本当にお疲れさまでした。

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龍馬さんも「ご苦労さんじゃったのう」と言っているでしょう。

 

高知市は桜の開花宣言も出され、いよいよ春本番です。

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植物園にて

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まだ肌寒い2月の末、高知市内の牧野植物園に出かけた。春の訪れにはまだ少し早い時期でしたが、それでも花々はそれぞれの出番を守るように咲いていました。

 

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この一週間はあらゆるメディアで、俳優としても活躍する有名ミュージシャンの薬物使用事件の報道が流れ続けた。

薬物使用を肯定する事はありませんが、表現者として第一線であり続ける事は、一般人には想像も出来ないくらいに過酷な事なのかもしれないなと想像しました。

 

編集者の河野通和氏が、先日お亡くなりになった作家の橋本治を偲んで書いた文章の中に次のような一文があった。それは橋本治の言葉でした。

 

<平成の三十年は不思議な時間だ。多くの人があまり年を取らない。‥‥年を取らず、成熟もしない。昔の時間だけがただ続いている。‥‥昭和は、その後の「終わり」が見えなくてまださまよっている――としか思えない。>

 

www.webchikuma.jp

 

時の流れが止まったような、恍惚とした夢の中に希望を見いだすことは出来ないと思うのです。

 

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園内に咲く花たちは、彩りの中に静かに燃える生命を表現している。

花たちは巡る季節に沿って、あるがままの姿で咲いている。その短い一時の目映さを惜しむことがあるだろうか。

 

「エバーグリーン」の時代を「映える」事で生きるぼくらは、きっと少し疲れている。

 

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植物学者の牧野富太郎博士は日本の植物学の先駆けであったが、その生涯の殆どで無名であり、経済的に困窮し、妻にも先立たれた。

70歳を超えてもフィールドワークに没頭した牧野博士の業績が、世間的に日の目を見るのは、75歳を過ぎた頃だ。牧野博士らしい大輪の花を咲かせたのは最晩年だった。そしてその事さえも、ただ「あるがまま」であったようにみえる。

 

2月末の植物園でこの日、牧野博士が一番好きだったというバイカオウレンの小さな花が、春の訪れを告げるように、静かに咲いていました。

 

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早春の記憶

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3月の年度末を忙しく過ごしています。そんな中、所用で高知から徳島までの日帰りドライブ。朝から春の柔らかな雨が降る中を、高速道路を飛ばしてゆきます。

車窓の外は雨のなのですが、景色は着実に春を感じさせるようになってきました。冬の冷たく暗い雨とは異なり、微かな幸せの予感を孕んだような優しい雨なのです。

車内3人で行く、片道2時間半の雨の高速道。行くべき場所へ行き、会うべき人に会う事で、楽しくもあるその所用は無事終わりました。

用事のついでのお楽しみにと、地元の方に聞いていた徳島ラーメンのお店へ向かう我ら3人組。

終わってみれば、徳島ラーメンの美味しさが際立って記憶に残る早春の1日となるのでした。

 

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 2017年に徳島発上陸を果たした一人旅の記事もどうぞ。

www.fuku-taro.net

 

 

活字漂流記 ①『ダンス・ダンス・ダンス(上)』

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学生の時に読んだ村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返している。かつては、この作家の新刊が出るたびに単行本を買って読んだものだが、いつ頃からかこの作家の小説を面白いと思えなくなった。最後に新刊を買って読んだのは「海辺のカフカ」だったろうか。

 

改めて読んでみると、ストーリーは全く覚えていなかったのだけど「いるかホテル」や「羊男」などのキーワードは朧気に覚えていた。中でも特に記憶に残っていたのは「高度資本主義社会」という言葉が、作中に何度も出てきたことだ。

 

2019年の今、1988年に出版されたこの小説を読んでみると、ポップな幻想小説のようでいて、意外にも、当時の時代を的確に表した作品で驚いた。

思えば「ダンス・ダンス・ダンス」が世に出た年は、日本はバブルの真っただ中だった。

この頃、まさに「高度資本主義社会」を形成しつつあった日本は(作中で言われるほど洗練されたものではなかったかもしれないが)、国や企業や市民を巻き込み、天界へ駆け上がるつむじ風の様相を呈していたように思う。しかし、その翌年にバブルがピークを迎え、その後崩壊した事もあって、この小説は余計にシンボリックだ。

 

主人公の「ぼく」は、フリーのライターとして生活の糧を得ながら、「それなりにまっとうに」暮らしている34歳の男だ。結婚はしたが妻はある日突然家を出ていった。そんな彼の仕事は、美味しいお店を取材し雑誌で紹介記事を書く事だ。

彼はとても丁寧に仕事をする男で、「下調べと綿密なスケジュールの設定」により、とても効率的かつ真摯に仕事を行う。

しかし、彼は自分の仕事を好きではなく、自分がやっている事は何の意味も無い事だと思っている。そして自身の仕事について次のように語る。

 

「雑誌に出してみんなに紹介する。ここに行きなさい。こういうものを食べなさい。でもどうしてわざわざそんなことしなくちゃいけないんだろう?みんな勝手に自分の好きなものを食べればいいじゃないか。そうだろう?」

「そしてね、そういう所で紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。需要と供給のバランスが崩れるからだよ。それがぼくらのやっている事だよ。(中略)何かをみつけては、それをひとつひとつ丁寧におとしめていくんだ。真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていくんだ。それを人々は情報と呼ぶ。生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網ですくっていくことを情報の高度化と呼ぶ。そういうことにとことんうんざりする」

 

彼はそういった自分の仕事を、「文化的雪かき」と揶揄する。情報さえも高度資本主義社会に組み込まれ、消費されているのだ。

1980年代が「情報の洗練化」された時代だとすれば、インターネットやSNSが発達した今の時代をなんと表現すればいいのか。「SNS映え」が流行語になる昨今では、みんなこぞって「雪かき」をしているのかもしれない。もちろん僕も。

 

「高度資本主義社会」については、こんな記述もある。

作中に出てくる中学の同級生は、「経費を使って」高級外車に乗り、分厚いステーキとサラダを食べ、高級コールガールと寝る。そして、「クリーンでぴかぴかな領収書」を受け取る。

「経費」はお金でさえないという。使うことが義務でさえあるようなものなのだと。そして、それが「高度資本主義社会」なのだと。

しかし、そんな生活をしながらも、自分が本当に求めるものは「みんなぼくの手の指の間からするっと逃げていく」のだ。

これを書いていて、ふと「グレート・ギャッツビー」を思い出した。全てを手に入れたにも関わらず、本当に欲しいものが手に入れない男の悲劇。村上春樹が影響を受けたと公言する物語だったと思う。

 

社会が1つの方向へ向かって 怒涛のように突き進み始める時、その中に組み込まれない人間は非国民のようにに扱われる。これは、もちろん戦時中だけの事ではない。社会が大きな曲がり角を曲り、それから迷いを振り切るかのように突き進み始める時には、いつだってそのようなものだ。国でも企業でも。

主人公が警察に取り調べを受けるシーンでの刑事のセリフが印象的だ。

「なあ、今は1970年代じゃないんだよ」反抗的な態度をとる「ぼく」に刑事は言う。「ああいう時代はね、終わったんだよ。それで、私もあんたもみんなこの社会にきちっと埋め込まれてるの。権力も反権力もないんだよ、もう。誰もそういう考え方はしないんだよ。大きな社会なんだ。波風立てても、いいことなんか何もないのよ。システムがね、きちっとできちゃってるの。この社会が嫌ならじっと大地震でも待ってるんだね。穴でも掘って。」

80年代から随分の時間が流れて、日本は更に高度にシステム化されている。それを「ソフィスティケートされた社会」と呼ぶのだろう。野良犬が町中から消え失せ、リードに繋がれた愛玩犬ばかりが澄まして歩くようなことだ。そして、そこから逸脱する事は、今の時代には更に困難になっているようだ。

 

更に「高度資本主義社会」について。

上巻の最後の方で登場する、ある才能の枯渇した作家が言う。

「なんでも金で買える。考え方だってそうだ。適当なものを買ってきて繋げばいいんだ。簡単だよ。その日からもう使える。(中略)こだわっていると時代に取り残される。小回りがきかない。他人にうっとうしがられる」

 

数十年ぶりの再読で、この作者の「時代を読み取る力」というようなものを、再発見したように思う。

ぼくが、ある時期からの(意外に社会派の)村上作品を面白く思えなくなってしまったのは、実社会があまりにも複雑になってしまった為なのか、それとも作者の認識と実社会が乖離してしまったのか、この作者の「読み取る時代」というものに簡単には同調出来なくなってしまったかもしれないな、と思った。

 

もちろんこの小説は単なる社会批評の物語ではない。主人公(ぼく)の生活のように、深く内省的な哲学の物語でもある。そのシンボルであろう「羊男」に繋げられ、導かれるように物語は下巻へと続くのである。

 

久し振りの初期村上作品は、刺激的であった。

在台灣轉來轉去旅行⑧(たいわん うろうろ たび)

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【2018.8.21】③

<淡水へ>

ぼくらの台湾旅行は、ただただ歩き回り写真を撮ってばかりだ。台湾旅行も三度目になるのだけど、今まで台北市から出たことが無い。それでも、少し前の日本のような台北の街の雰囲気が好きだし、食べ物も何を食べても美味しいので充分に満足している。そんなものだから、未だにあの有名な観光地の「九份」にも行っていないのだ。

九份は台北市からちょっと遠い。中心街から移動に一時間以上はかかってしまうのは、限られた旅行日程の中で時間が惜しいというのがぼくと家人の共通した意見だ。だから、この記事はちょっと変わった人達の台湾旅行記事なのです。

 

そんなぼくらが初めて台北市を脱出することになった。

「もし、台北を出るなら淡水はどう?電車で40分で行けるから九份より近いよ」という家人のリサーチにより、淡水行が決まった。

「淡水は40分で行けるから9分より近いよ」って、知らない人が聞いたら何だか混乱しそうだなと、こっそり思ったんだな。

 

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.16時になる頃、電車は淡水駅に滑り込んだ。淡水はいかにも観光地といった雰囲気な場所であった。この「観光地」というものは、日本だろうが台湾だろうがやはり気分がアガるものなのだ。通り沿いにお祭りのようにカラフルな屋台が並んでいて、早速、その内の一つで、エビのから揚げを買った。香草の効いたエビは美味しく、食べ歩きにもってこいだったけれど、これが食べても食べても無くならない。正直、途中でうんざり気味になるので要注意だ。

 

そぞろ歩きをする人達は外国人観光客も多いけど、台湾の人も結構いたんじゃないかと思う。地元の高校生カップルが初めてデートするのにピッタリ、といった感じの場所だった。ゆったりと揺れる水面と、ひらけた風景を見ながら歩くだけで健康的な気持ちになるようだ。

 

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川岸に沿ってずっと続く遊歩道の向こう、発着場に向かってクルーズ船が入ってくるのが見えた。発着場のチケット売り場の周辺が、にわかに活気づく。しかし、せわしく賑わったのはその周囲だけで、他の人々はのんびりと対岸の景色を眺めたり、語らったりしている。

 

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家人のリサーチによれば、水辺の遊歩道を少し歩いたところに「VILLA・DAN SHUI(ヴィラ・タンスイ)」という、洒落たカフェレストランがあるという。そこで休憩しようという事になったのだが、歩いても歩いても目的地は見つからない。

 「もう着くはずなんだけど」と、駆け寄ったお店はいずれも目的地ではなく、結局、1時間程歩いてようやく「VILLA・DAN SHUI」に到着した。ほうほうの体で店内になだれ込む。そして、ようやくありつけた冷え冷えの、レモンピールソーダの爽やかな甘さが有難かったこと、有難かったこと!

 

夕刻を迎え、店内はディナータイムに移ろうとしている。他の客らは皆、きちっとした服装でテーブルに付いてゆく。もうしばらくすれば、窓の外はマジックタイム包まれるのだろう。そんな状況で茹で上がったような顔のぼくらは、ウエイターの顔色を伺いながら冷たいドリンクをゆっくりと飲み続けたのだった。

 

 

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つづく。