南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

故郷というもの

転勤族をやめて地元大分に帰ってきて、何だかまだペースが掴めないような日々だ。

もうぼくは、この街を離れることはないだろう。思えば、一つの街にずっと住み続けて、そこを離れない事を前提とした生活をした事がなかった。

 

高校生になった頃には、いつかこの地方都市を出て、もっと大きな街へ行くんだという風に思っていた。その頃の地方の少年たちは、多分、多かれ少なかれそんな気持ちを持っていただろうと思う。その後、実際に街を出る事になるかどうかは別として。

 

今まで色々な街で様々な人たちに会ってきた。多くの時間を共に過ごし、目の前で起きることに、喜んだり、悲しんだり、悔しがったり。そんな人たちとの濃密な時間を思い起こせば、今は全てが愛おしく感じる。

 

だけど、その時々で「ぼくはまたいずれ、この街を離れて、この愛おしい人たちと離れ離れになるんだ」という思いは、いつだって消えることはなかった。でも、もうそれも終わり。

 

20年近く前によく通ったラーメン屋のラーメンをじっくりと味あう。。まるで変わっていなかった事が嬉しい。おまけに値段まで変わっていなかった。ラーメン一杯400円だった。

懐かしいカウンターに座ってラーメンを啜りながら、小上がりのテーブル席に、中学サッカー部時代の後輩の姿を思い出す。お互いに仕事の合間で、この店でたまに会った。気の良い男だった。おおらかな男だった。多くの友人に本当に慕われていた。その彼が、40歳迎えるか迎えない頃に急に亡くなったのも、もう昔の話だ。お葬式で、ずっと泣いていた奥さんと、その横でぎゅっと口許を結んでいた十代の息子さんの事を思い出す。

 

街中を歩けば、高校生の頃に通ったお好み焼き屋がまだ商いを続けていた。この店のチーズがたっぷり乗ったお好み焼きを、友達に連れられて食べたのが最初だ。あまりの美味しさに、ぼくは別の友人たちに教えたくて、誘って一緒に食べた。なあ、美味しいだろう?

あの時、最初に連れてきてくれたのは、誰だったろう。思い出せない。

 

生まれたこの街には、些細な想い出が、そこかしこに虚ろに浮かんでいる。この街の想い出はこれからも増えるだろう。

 

古い友人に連絡を取った。時間が調整できずに、まだ会えてはいないけれど焦ることもない。そのうちに、河口近くの小さな町で、小学校の時のマドンナがやっているお店に行こうと約束した。あの娘は元気だろうか。

f:id:fuku-taro:20220619205338j:image

f:id:fuku-taro:20220619203503j:image

f:id:fuku-taro:20220619205351j:image

f:id:fuku-taro:20220619203600j:image


忙中閑あり

 

長い長い転勤族生活に終止符を打ち、地元の大分県に帰ってきた訳です。

新生活は、引越と転職の二大イベントを同時にこなすというハードなもので(自分でやったことですが)、目が回るように日々が過ぎていきます。

新しい土地が、勝手知ったる生まれ故郷なので、まさにホームゲームな訳で、それでなんとかやり過ごせている部分があります。

本屋さんへ出掛けた時に、地元が生んだスーパーボランティアさんの本を見かけると「ああ、大分に帰ってきたなあ」と思うのです。

 

そんな落ち着かない日々を縫ってダム湖へバス釣りへ行き、豚骨ラーメンの名店「大砲ラーメン」のラーメンを食し、露天風呂に浸かります。

 

まだ引越の段ボールが残っていて、家の中も落着きません。早く生活を落ち着けて、ブログもしっかり書いていきたいと思います。

 

 

ダム湖の最上流にて

久し振りのバスに歓喜の瞬間

 

豚骨ラーメンの発祥の地、久留米の名店大砲ラーメンを大分で頂きます。

 

露天の温泉。入浴料400円。

 

お風呂から出ると通路に畳の休憩所

 

畳に寝転がって体を休める。簾の天井を眺めると、鳥の声、風の音が聞こえてくる。、ゆったりとした時間が流れる。

 

温泉の駐車場にいる犬。7年前に来たときも居たはず。同じ犬か?後継者か?とにかく、おひさしぶり。

 

 

私的不定期名曲選『この曲もえーやん』  ウミワタリ / 根間うい


www.youtube.com

 

沖縄ロスが続いています。

職場近くだった国際通りの街頭モニターで、この曲がよく流れていました。

曲以外にも「沖縄あるある」っていうのもあって、こちらも何度も見ました。

 

沖縄の良さって、その土地の良さであり、そこに住む人の良さだったんだなあと思います。

コロナもあったけど、沖縄生活約3年にも関わらず殆どリゾート地に行ってないんですよね。そんなぼくが言うのもなんだけど、沖縄の良さはリゾートだけじゃないですよ。

 

あー、ゆし豆腐たべたい。

 


www.youtube.com

沖縄を離れて

f:id:fuku-taro:20220530000019j:image


f:id:fuku-taro:20220530000055j:image


f:id:fuku-taro:20220530000304j:image

沖縄を離れて5日ほど経ちました。既に沖縄が恋しくてたまりません。

 

沖縄は風景も生活習慣も内地とはずいぶん違っていて、九州に戻った今は、逆カルチャーショックのような状態です。

 

沖縄生活の3年弱は、本当にいい時間だったのだなぁという思いを、噛み締めています。

新居で引越の段ボールに囲まれながらこれを書いています。早く生活のリズムを作らねば。

今、どこ?

f:id:fuku-taro:20220522224904j:image

 

2年10ヵ月住んだ那覇市のマンションを出る日がやってきた。

 

引越作業でクタクタの日々をくぐり抜けて、管理会社の人に鍵を渡した後、那覇空港から飛んだ先は・・・・。

 

転居先の九州ではなく、何故か石垣島なのです。

ぼくと妻の自分達へのご褒美旅行。何のご褒美なの?って突っ込むのはご勘弁。

 

そんなわけで、今夜は石垣市のホテルに滞在しています。詳細は、またいずれかの機会にということで、旅行を楽しみます。

街の記憶29

 

沖縄生活が残り少なくなる中で、最近は「ここに来るのは今日が最後かも」と思うことが増えた。この日は、牧志駅周辺をカメラ散歩。

 

 

昼食は餃子が有名な中華屋さん。

 

 

この日は4月初旬。コロナで閑散としていた街が、少しずつ回復しつつあった。

ずっとシャッターの下りていた小さなお店が開いていたりして、嬉しくなる。

 

息を吹き返し始めた国際通り。街に動きが出てきました。

 

沖縄カウントダウン(ゆいレール気まま編)

沖縄生活が残り少なくなりそうだと思うようになってきて、今のうちにやっておこうと思うことをやっています。沖縄でやっておきたいことの一つが「ゆいレール乗り放題散歩」です。

 

これは2月のこと。平日休みのある日、沖縄モノレール「ゆいレール」の一日乗車券(800円)を使って、乗り放題の気まま散歩をしました。国際通り最寄りの「県庁前駅」からスタートです。

 

 

各駅の構内にはガラスやタイルで出来た、沖縄らしさを表すアートデザインがあります。

これは首里城最寄りの「首里駅」のアートデザイン。首里城と古式行事が描かれています。

昼時にスタートしたので、まずは昼食に目星を付けていたお店へ。お店は首里駅から徒歩3分の場所にある「ななほし食堂」です。ここは地元民に人気のお店で、ウリは自家製の「ゆし豆腐」や「島豆腐」です。

 

こちらが、ツマが頼んだ「ゆし豆腐」。見た目よりも結構なボリュームだったようです。

ぼくはカレーを注文。隣の席のおじさんたちが食べていたので、つられてしまいました。カレーにはそんなパワーがありますよね。沖縄っぽさゼロだけど。

お店は家族連れがいっぱいで、地元民に愛されているのが分かります。観光客の姿もちらほら。首里城が近いからかな。気になった「自家製おから」を購入して店を出ます。

首里駅にもどり

こんなところにも越来先生が。越来先生は沖縄ローカルタレントで一番有名な人です。

 

 

www.fuku-taro.net

 

首里駅から経塚駅へ。ここで下車します。

経塚駅の各駅アートは「二童敵討」。

二童敵討は、琉球伝統芸能「組踊(くみおどり)」の代表的な演目です。

あらすじはこんなかんじ。

 

「天下取りの野望に燃える勝連城(かつれんじょう)城主、阿麻和利。阿麻和利は、首里王府(しゅりおうふ)に偽りを言って、中城城主・護佐丸を攻め滅ぼします。そして、護佐丸を討ち取ると同時に、その子ども達も殺しました。


ところが、阿麻和利が殺したと思っていた護佐丸の遺児鶴松と亀千代の兄弟[二童]は、実は生きていました。落城の際に敵の目を逃れた鶴松と亀千代は、母のもとで成長し、父の敵を討つ機会を狙っていました。そして、阿麻和利が野遊びをすると聞きつけた2人は、仇討ちに向かいます。

阿麻和利一行が酒盛りをしているところに、踊り子に変装した鶴松と亀千代が近づきます。阿麻和利に所望されて踊る2人。2人の踊りを見て気分を良くした阿麻和利は、褒美として、自らの大団扇(おおうちわ)と太刀(たち)を与えます。さらに気分を良くした阿麻和利は、自ら着ている羽織なども、次々に与えます。そして、丸腰になった阿麻和利のすきを見逃さず、2人は首尾よく父の敵を討ちます。」(文化デジタルライブラリーより要約)

 

 

 

ゆいレールを降りた後は、てくてく歩くのです。それがゆいレール乗り放題散歩。

 

ぼくの人生で、この道を歩くのは今日が最後かもしれないな、と思いながら歩くのです。

 

経塚の目当ては「座波菓子店」です。ここの琉球伝統菓子「くんぺん」が美味しいと評判なのです。店内は、平日にも関わらず客が途切れませんでした。「お菓子はここに来れば間違いなし」と地元民の絶対的な信頼を得ているお店です。

色んなまんじゅうも美味しそう。

経塚駅まで戻り、ゆいレール東の終点「てだこ浦西駅」へ。

駅アートは天井に円形のガラスアート。てぃーだ(太陽)からイメージされるデザインです。てだこ浦西駅は2019年に開業したばかりの新しい駅。因みに、てだこ浦西駅の「てだこ」は「太陽の子」の意味です。構内は明るくとてもきれいです。

 

てだこ浦西駅周辺を散策してから、再びゆいレールに乗って石嶺駅へ戻ります。

 

石嶺駅の駅アートは「エイサーと旗頭」。この2年はコロナのせいで、エイサーも見れませんでしたね。残念。

各駅にはスタンプがあって、ツマはスタンプ帳を楽しみに持ってきていました。駅のスタンプが増えていくのを嬉しそうに眺めています。

石嶺駅の目的は「アロハ洋菓子店」。伝統菓子が「座波菓子店」なら、洋菓子はここです。

ぼくとツマは沖縄の「ジャーマンケーキ」が大好きです。ジャーマンケーキって知ってます?他所であまり聞いたことがありません。

ぼくは沖縄に来て初めて食べたのですが、ハマっています。そのジャーマンケーキは「アロハ洋菓子店のものが一番好き」と、ツマの職場の人が言ったとか。地元の人の情報は信じられると思うのです。

ここも老舗で地元民に愛され続けるお店です。

美味しそうなケーキが沢山並びます。

ジャーマンケーキを購入してから、石嶺駅へもどってから・・・

 

一気に西の終点「那覇空港駅」へ。那覇空港駅の駅アートはデイゴの花と琉球古典舞踊です。誰もがイメージする沖縄のイメージですね。さすがは空港駅です。

 

 

日本最西端の駅がここだそうです。

 

 

さて、随分歩きました。ゆいレール散歩は結構歩きます。

でも、歩くからこそ見れる景色もあります。2月なのに沖縄の街は美しい花が咲いています。さすが南国です。この光景を覚えておこう。

 

 

自宅に戻ってから、早速、今日買ったお菓子を頂きます。コーヒーカップは沖縄の陶芸家、金城由美子さんのものです。沖縄に来てハマったものの一つが金城さんの器。

コーヒーとジャーマンケーキ。

そして、伝統菓子くんぺん。くんペンは座波菓子店が一番美味いという地元民多数です。納得の美味さ。

チョコまんじゅう。これも金城さんの器です。さんごブルーのお皿。

レモンクリームだったかな?

そして夕食には、ななほし食堂で購入したおからも登場。

 

ほとんど、お菓子を買い求めてばかりでしたが、沖縄でやっておきたかったこと「ゆいレール散歩」をコンプリートです。最近はツマと歩くことが増えています。ツマも沖縄を離れることを寂しく思っているのです。