南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

土佐おもてなし海援隊 最終公演

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土佐おもてなし海援隊の最後のステージがあるというので、お疲れ様の気持ちで出かけてみました。

 

土佐おもてなし海援隊は、「志国高知 幕末維新博」のPRの為に結成された高知のご当地アイドルグループです。

 

坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、岩崎弥太郎、吉村虎太郎、ジョン万次郎の6名が歌って踊る幕末維新志士アイドルとして、JR高知駅南口の「こうち旅広場」を拠点に活動を行ってきました。

  

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幕末維新博が開幕したのは2017年3月4日の事でした。開幕式典には俳優の高橋英樹さんや高知出身の広末涼子さんが来場し、TV中継なんかもあったりして、それはそれは賑やかでした。

そしてこの時、1,000人以上の観客の前で行ったおもてなし海援隊のステージは、まさに晴れ舞台でした。彼らは維新博開幕の一年以上前から、地道に活動していました。朝早い時間、駅前で練習をしているのをよく見かけました。

 

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 幕末維新博も終了し、あれから二年が経ってこの日が最後のステージ。

晴天だけど、まだ肌寒い3月の旅広場に数十人のファンが詰めかけました。

おもてなし海援隊は最後まで走り切りました。本当にお疲れさまでした。

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龍馬さんも「ご苦労さんじゃったのう」と言っているでしょう。

 

高知市は桜の開花宣言も出され、いよいよ春本番です。

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植物園にて

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まだ肌寒い2月の末、高知市内の牧野植物園に出かけた。春の訪れにはまだ少し早い時期でしたが、それでも花々はそれぞれの出番を守るように咲いていました。

 

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この一週間はあらゆるメディアで、俳優としても活躍する有名ミュージシャンの薬物使用事件の報道が流れ続けた。

薬物使用を肯定する事はありませんが、表現者として第一線であり続ける事は、一般人には想像も出来ないくらいに過酷な事なのかもしれないなと想像しました。

 

編集者の河野通和氏が、先日お亡くなりになった作家の橋本治を偲んで書いた文章の中に次のような一文があった。それは橋本治の言葉でした。

 

<平成の三十年は不思議な時間だ。多くの人があまり年を取らない。‥‥年を取らず、成熟もしない。昔の時間だけがただ続いている。‥‥昭和は、その後の「終わり」が見えなくてまださまよっている――としか思えない。>

 

www.webchikuma.jp

 

時の流れが止まったような、恍惚とした夢の中に希望を見いだすことは出来ないと思うのです。

 

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園内に咲く花たちは、彩りの中に静かに燃える生命を表現している。

花たちは巡る季節に沿って、あるがままの姿で咲いている。その短い一時の目映さを惜しむことがあるだろうか。

 

「エバーグリーン」の時代を「映える」事で生きるぼくらは、きっと少し疲れている。

 

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植物学者の牧野富太郎博士は日本の植物学の先駆けであったが、その生涯の殆どで無名であり、経済的に困窮し、妻にも先立たれた。

70歳を超えてもフィールドワークに没頭した牧野博士の業績が、世間的に日の目を見るのは、75歳を過ぎた頃だ。牧野博士らしい大輪の花を咲かせたのは最晩年だった。そしてその事さえも、ただ「あるがまま」であったようにみえる。

 

2月末の植物園でこの日、牧野博士が一番好きだったというバイカオウレンの小さな花が、春の訪れを告げるように、静かに咲いていました。

 

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早春の記憶

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3月の年度末を忙しく過ごしています。そんな中、所用で高知から徳島までの日帰りドライブ。朝から春の柔らかな雨が降る中を、高速道路を飛ばしてゆきます。

車窓の外は雨のなのですが、景色は着実に春を感じさせるようになってきました。冬の冷たく暗い雨とは異なり、微かな幸せの予感を孕んだような優しい雨なのです。

車内3人で行く、片道2時間半の雨の高速道。行くべき場所へ行き、会うべき人に会う事で、楽しくもあるその所用は無事終わりました。

用事のついでのお楽しみにと、地元の方に聞いていた徳島ラーメンのお店へ向かう我ら3人組。

終わってみれば、徳島ラーメンの美味しさが際立って記憶に残る早春の1日となるのでした。

 

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 2017年に徳島発上陸を果たした一人旅の記事もどうぞ。

www.fuku-taro.net

 

 

活字漂流記 ①『ダンス・ダンス・ダンス(上)』

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学生の時に読んだ村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返している。かつては、この作家の新刊が出るたびに単行本を買って読んだものだが、いつ頃からかこの作家の小説を面白いと思えなくなった。最後に新刊を買って読んだのは「海辺のカフカ」だったろうか。

 

改めて読んでみると、ストーリーは全く覚えていなかったのだけど「いるかホテル」や「羊男」などのキーワードは朧気に覚えていた。中でも特に記憶に残っていたのは「高度資本主義社会」という言葉が、作中に何度も出てきたことだ。

 

2019年の今、1988年に出版されたこの小説を読んでみると、ポップな幻想小説のようでいて、意外にも、当時の時代を的確に表した作品で驚いた。

思えば「ダンス・ダンス・ダンス」が世に出た年は、日本はバブルの真っただ中だった。

この頃、まさに「高度資本主義社会」を形成しつつあった日本は(作中で言われるほど洗練されたものではなかったかもしれないが)、国や企業や市民を巻き込み、天界へ駆け上がるつむじ風の様相を呈していたように思う。しかし、その翌年にバブルがピークを迎え、その後崩壊した事もあって、この小説は余計にシンボリックだ。

 

主人公の「ぼく」は、フリーのライターとして生活の糧を得ながら、「それなりにまっとうに」暮らしている34歳の男だ。結婚はしたが妻はある日突然家を出ていった。そんな彼の仕事は、美味しいお店を取材し雑誌で紹介記事を書く事だ。

彼はとても丁寧に仕事をする男で、「下調べと綿密なスケジュールの設定」により、とても効率的かつ真摯に仕事を行う。

しかし、彼は自分の仕事を好きではなく、自分がやっている事は何の意味も無い事だと思っている。そして自身の仕事について次のように語る。

 

「雑誌に出してみんなに紹介する。ここに行きなさい。こういうものを食べなさい。でもどうしてわざわざそんなことしなくちゃいけないんだろう?みんな勝手に自分の好きなものを食べればいいじゃないか。そうだろう?」

「そしてね、そういう所で紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。需要と供給のバランスが崩れるからだよ。それがぼくらのやっている事だよ。(中略)何かをみつけては、それをひとつひとつ丁寧におとしめていくんだ。真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていくんだ。それを人々は情報と呼ぶ。生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網ですくっていくことを情報の高度化と呼ぶ。そういうことにとことんうんざりする」

 

彼はそういった自分の仕事を、「文化的雪かき」と揶揄する。情報さえも高度資本主義社会に組み込まれ、消費されているのだ。

1980年代が「情報の洗練化」された時代だとすれば、インターネットやSNSが発達した今の時代をなんと表現すればいいのか。「SNS映え」が流行語になる昨今では、みんなこぞって「雪かき」をしているのかもしれない。もちろん僕も。

 

「高度資本主義社会」については、こんな記述もある。

作中に出てくる中学の同級生は、「経費を使って」高級外車に乗り、分厚いステーキとサラダを食べ、高級コールガールと寝る。そして、「クリーンでぴかぴかな領収書」を受け取る。

「経費」はお金でさえないという。使うことが義務でさえあるようなものなのだと。そして、それが「高度資本主義社会」なのだと。

しかし、そんな生活をしながらも、自分が本当に求めるものは「みんなぼくの手の指の間からするっと逃げていく」のだ。

これを書いていて、ふと「グレート・ギャッツビー」を思い出した。全てを手に入れたにも関わらず、本当に欲しいものが手に入れない男の悲劇。村上春樹が影響を受けたと公言する物語だったと思う。

 

社会が1つの方向へ向かって 怒涛のように突き進み始める時、その中に組み込まれない人間は非国民のようにに扱われる。これは、もちろん戦時中だけの事ではない。社会が大きな曲がり角を曲り、それから迷いを振り切るかのように突き進み始める時には、いつだってそのようなものだ。国でも企業でも。

主人公が警察に取り調べを受けるシーンでの刑事のセリフが印象的だ。

「なあ、今は1970年代じゃないんだよ」反抗的な態度をとる「ぼく」に刑事は言う。「ああいう時代はね、終わったんだよ。それで、私もあんたもみんなこの社会にきちっと埋め込まれてるの。権力も反権力もないんだよ、もう。誰もそういう考え方はしないんだよ。大きな社会なんだ。波風立てても、いいことなんか何もないのよ。システムがね、きちっとできちゃってるの。この社会が嫌ならじっと大地震でも待ってるんだね。穴でも掘って。」

80年代から随分の時間が流れて、日本は更に高度にシステム化されている。それを「ソフィスティケートされた社会」と呼ぶのだろう。野良犬が町中から消え失せ、リードに繋がれた愛玩犬ばかりが澄まして歩くようなことだ。そして、そこから逸脱する事は、今の時代には更に困難になっているようだ。

 

更に「高度資本主義社会」について。

上巻の最後の方で登場する、ある才能の枯渇した作家が言う。

「なんでも金で買える。考え方だってそうだ。適当なものを買ってきて繋げばいいんだ。簡単だよ。その日からもう使える。(中略)こだわっていると時代に取り残される。小回りがきかない。他人にうっとうしがられる」

 

数十年ぶりの再読で、この作者の「時代を読み取る力」というようなものを、再発見したように思う。

ぼくが、ある時期からの(意外に社会派の)村上作品を面白く思えなくなってしまったのは、実社会があまりにも複雑になってしまった為なのか、それとも作者の認識と実社会が乖離してしまったのか、この作者の「読み取る時代」というものに簡単には同調出来なくなってしまったかもしれないな、と思った。

 

もちろんこの小説は単なる社会批評の物語ではない。主人公(ぼく)の生活のように、深く内省的な哲学の物語でもある。そのシンボルであろう「羊男」に繋げられ、導かれるように物語は下巻へと続くのである。

 

久し振りの初期村上作品は、刺激的であった。

在台灣轉來轉去旅行⑧(たいわん うろうろ たび)

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【2018.8.21】③

<淡水へ>

ぼくらの台湾旅行は、ただただ歩き回り写真を撮ってばかりだ。台湾旅行も三度目になるのだけど、今まで台北市から出たことが無い。それでも、少し前の日本のような台北の街の雰囲気が好きだし、食べ物も何を食べても美味しいので充分に満足している。そんなものだから、未だにあの有名な観光地の「九份」にも行っていないのだ。

九份は台北市からちょっと遠い。中心街から移動に一時間以上はかかってしまうのは、限られた旅行日程の中で時間が惜しいというのがぼくと家人の共通した意見だ。だから、この記事はちょっと変わった人達の台湾旅行記事なのです。

 

そんなぼくらが初めて台北市を脱出することになった。

「もし、台北を出るなら淡水はどう?電車で40分で行けるから九份より近いよ」という家人のリサーチにより、淡水行が決まった。

「淡水は40分で行けるから9分より近いよ」って、知らない人が聞いたら何だか混乱しそうだなと、こっそり思ったんだな。

 

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.16時になる頃、電車は淡水駅に滑り込んだ。淡水はいかにも観光地といった雰囲気な場所であった。この「観光地」というものは、日本だろうが台湾だろうがやはり気分がアガるものなのだ。通り沿いにお祭りのようにカラフルな屋台が並んでいて、早速、その内の一つで、エビのから揚げを買った。香草の効いたエビは美味しく、食べ歩きにもってこいだったけれど、これが食べても食べても無くならない。正直、途中でうんざり気味になるので要注意だ。

 

そぞろ歩きをする人達は外国人観光客も多いけど、台湾の人も結構いたんじゃないかと思う。地元の高校生カップルが初めてデートするのにピッタリ、といった感じの場所だった。ゆったりと揺れる水面と、ひらけた風景を見ながら歩くだけで健康的な気持ちになるようだ。

 

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川岸に沿ってずっと続く遊歩道の向こう、発着場に向かってクルーズ船が入ってくるのが見えた。発着場のチケット売り場の周辺が、にわかに活気づく。しかし、せわしく賑わったのはその周囲だけで、他の人々はのんびりと対岸の景色を眺めたり、語らったりしている。

 

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家人のリサーチによれば、水辺の遊歩道を少し歩いたところに「VILLA・DAN SHUI(ヴィラ・タンスイ)」という、洒落たカフェレストランがあるという。そこで休憩しようという事になったのだが、歩いても歩いても目的地は見つからない。

 「もう着くはずなんだけど」と、駆け寄ったお店はいずれも目的地ではなく、結局、1時間程歩いてようやく「VILLA・DAN SHUI」に到着した。ほうほうの体で店内になだれ込む。そして、ようやくありつけた冷え冷えの、レモンピールソーダの爽やかな甘さが有難かったこと、有難かったこと!

 

夕刻を迎え、店内はディナータイムに移ろうとしている。他の客らは皆、きちっとした服装でテーブルに付いてゆく。もうしばらくすれば、窓の外はマジックタイム包まれるのだろう。そんな状況で茹で上がったような顔のぼくらは、ウエイターの顔色を伺いながら冷たいドリンクをゆっくりと飲み続けたのだった。

 

 

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つづく。

 

冬から春へ

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【2019.1.23】

2017年10月から期間限定で運営された高知市のミニシアター「kinema M(キネマM)」が、一旦休館となりました。

最終日の夜、建物の正面のボードには、

「THANK YOU!  WE‘LL  BE  BACK  IN  2021」の文字が、並んでいました。そして、「MI・TE・RO・YO!」

カメラを構えていると、奥から kinemaMの代表で映画監督の安藤桃子監督が、ふらりと出て来られました。その瞬間をパチリ。

この映画館のお陰で素敵な映画に出会う事が出来ました。感謝です。

終わりは始まり。そして2021年にもう一度。

 

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【2019.2.3】

釣れない釣り人の活動も始まります。2月の波介川は、まだ冬の表情です。

この日、今年最初の魚が釣れました。本命のバスではなくニゴイ君でした。冷たい風に手がかじかむこの時期、オイル式の携帯懐炉が重宝します。

 


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【2019.2.10】

高知市のグリーンロードにある屋台「ボギー亭トラちゃん」には、ちょくちょくお邪魔しています。

ここの大将は、ゴルフと阪神タイガースが大好きだそうで、それでこんな屋号になったそうです。

ピンクの細長い蒲鉾のようなものは「すまき」といいまして、高知独特のおでん種です。いも焼酎のお湯割りと合わせて、冬の屋台もぽかぽかです。

 

 

 

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【2019.2.17】

下手な写真を続けています。写真を始めてから光に敏感になったような気がします。どこに光が当っているか、どこから光が射しているか。

近所の公園で、小さな桃の花が咲いていました。逆光気味にシャッターを切りながら、降り注ぐ光に春を感じます。

私的不定期名曲選⑮「この曲もえーやん!」/すべてのありふれた光 ( GRAPEVINE)


GRAPEVINE - すべてのありふれた光 (Music Video)

 

2000年前後の事だったと思う。当時、大田区の大森に職場があって、毎晩その界隈を飲み歩いていた。まあ、あの頃はよく飲んだものだと思う。バカなお金の使い方をして良い気になったり、かなり危なかったなと、今になって冷や汗をかきそうな出来事に遭遇したりと、自分史の中の「無頼派気取りの時代」だった。恥ずかしい事に。

 

ある夜。たしか、京浜東北線のガード下のバーだったと思うが、カウンターで見知らぬ男と並んで酒を飲んだ。ぼくはたぶんもう何軒かをハシゴしてその店にたどり着いたのだと思う。そこそこ酔っていた。

気分が良かったせいもあって、その見知らぬ男に声を掛けたのが始まりだ。最初はお互いに「この店はよく来るんですか」みたいな当たり障りのない事を話したが、いずれ話題は音楽の事に落ち着いた。ぼくもその男もロックミュージックが好きだという共通点があったので、話は意外に盛り上がった。どんなバンドを聴いてきたか、そして、どんなロックが好きかについて。

 

90年代の日本はユーロビートブームに沸き、ダンスミュージックが街を席巻した。日本語ラップが台頭しつつあったりもして、ロックミュージックは片隅に追いやられているような気がしていた。ぼくと見知らぬ男はそんな状況が不満で、ロックミュージックの再興を願っていたのだ。

 

いくつかのロックバンドの名があがった後、その頃「退屈の花」というアルバムでデビューしていたGRAPEVINEの事が話題にあがった。

ぼくは「退屈の花」のCDを買って聴いていたので、このバンドが地味だけど、とても本格志向で良いバンドだと思っていた。その事を伝えると、その男は嬉しそうに、GRAPEVINEの良さについて語った。

しばらくして彼が言う。

「俺、GRAPEVINEのドラムスの亀井さんと知り合いだけど、話してみたくない?」

ぼくが酔った顔で彼を見つめ少し驚いて見せると、彼はジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出し電話をかけ始めた。

「お疲れっす。いや、いま大森で飲んでまして、隣にいる人がバインのファンだっていうんで電話したんです。ちょっと代わりますね」

ぼくは急な展開に戸惑いながら携帯電話を受け取った。

「あ、もしもし」

「あ、どうも」

 

電話の向こうでぼそぼそとした低い声が聞こえた。少し眠そうな声だった。もしくは、酔っぱらった知人からの深夜の電話に、少し戸惑っているような声。

 

「あ、退屈の花、聴きました。とても良かったです」

「あ、ありがとうございます」

 

たどたどしい会話が数往復して、ぼくは携帯を隣の男に返した。

 

もう二十年近く前のバーでの出来事を不意に思い出したのは、カーラジオのFMから、この曲が流れて来たからだ。

 

「GRAPEVIN すべてのありふれた光」

 

あの晩の男とその後会うことはなく、あの携帯電話の声の主が本物かどうかも分からない。

GRAPEVINが「葡萄のつる」という意味で、西洋では「よくない噂」という意味でも使われると知ったのは、つい最近の事だ。

20年経って、このバンドがブレずに本格派のロックバンドであるという事を嬉しく思った。そして、聴いていない古いアルバムたちを、一つづつ順番に聴きたくなった。