南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

映画の夜。夜の那覇市街。

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那覇市の「桜坂劇場」は刺激的な場所だ。

そもそもの始まりは芝居小屋だったらしい。1952年に開業した芝居小屋の名は「珊瑚座」という。1953年に映画館に転進し「桜坂琉映館」と改称した。その後、曲折を経て「桜坂劇場」となった。

 

土地には、そこで起きた出来事の思念のようなものが宿ると思う。芝居小屋としてスタートしたこの劇場は、立ち上げた先人たちの想いの染み込んだように、どこかアンダーグランドの自由さを感じる。個人的な感想だけど。

 

息苦しいように管理された現代社会で、その与えられた条件下で最善を尽くすのは当然としても、この自由でクリエイティブな場所は、未来への何かを創造する期待感が漂う。今、こういう場所が必要だと思う。

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ドイツ人映画監督ヴィム・ベンダースの映画を初めて観たのは、日本でも大ヒットした「ベルリン天使の詩」だった。

詩的な映像表現と、淡々と映し出される人間の営み。小津安二郎に影響を受けたというこの監督の映画がぼくは好きだ。

 

初期に発表され、ロードムービー三部作と言われる「都会のアリス」「回り道」「さすらい」が、この監督のカラーを決めたと言えると思う。

興行的にも成功し、評価も高かった「パリ・テキサス」もまたロードムービー的であり、ロードムービー好きのぼくは、ビム・ベンダースを当然のように好んで観る事となった。あと、この監督の有名な作品としては、「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」がある。

そして、今回見た「世界の涯ての鼓動」の話である。

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まずは、「孤独」と「純粋な想い」を見事に表現した主演の二人の演技には魅了された。切なさが迫ってくる大人の純粋な愛は、この映画のテーマの一つだ。

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しかし、ビム・ベンダースの映画としてのこの作品は、ぼくにとって物足りないものであった。

この監督らしい、移ろい続ける舞台(つまりロードムービー的)や、小津安二郎的な、淡々とした人の営みの表現が見られなかったからだ。また、「ヨーロッパを覆うテロの脅威、イスラムとの文明間対立」と、より大きな視点として「海洋」の対比も消化不良に思える。

正直、この監督の映画を観るのは随分と久し振りだった。つい最近買った、中古のDVD「ゴールキーパーの不安」は、ビム・ベンダースの長編第一作で、この作品を見たばかりのぼくは初期ベンダースにどっぷり浸っていたのだろう。

 

少しがっかりしながら劇場を出た。夜の9時を少し回ったこの界隈は、若者たちやお洒落で自立した大人たちがナイトライフを楽しんでいた。

最近忙しい日々を過ごし、遅い時間に出かけることなどなかったが、今夜は夜の那覇市街をぶらぶらと堪能したのだ。

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沖縄の空の色は美しい

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沖縄の空は広い。そして青いと思う。

 

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9月のある休日、久し振りに車を走らせて釣り場を探しに行った。

ぼくの20年以上続く趣味である、ブラックバス釣りの釣り場を探しに行ったのだ。

ここ沖縄ではバス釣りの情報が極めて少ない。インターネットで見つけた数少ない情報を頼りに嘉手納町の「屋良城址公園」へ到着した。比謝川に沿うこの公園でバスが釣れるという。

 

駐車場から川辺の公園へ向かう道は、左右に迫るジャングルのような木々のせいで薄暗い。しかも、所々に無縁墳墓の跡が点々と見える。ネットによれば、幽霊が出るという噂もあるらしいが、納得の雰囲気だ。

 

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川に沿って歩いてみると、いかにも釣れそうなポイントがいくつか見えた。

ああ、あの倒木の脇に魚が付きそうだな、と思う。

でも、この日は様子見なのでロッドやルアーは持ってきていない。更に歩いていくつかのポイントを見つけたが、バスを目視する事は出来なかった。釣り人も一人もいない。

釣り人どころか、この公園で人を見かける事がなかった。遊歩道の向こうに展望台が見えるが、ゴーストタウンのようでちょっと怖い。本当に幽霊でもでそうだった。あまり見たことのない熱帯系のような植物が茂っていた。鳥なのか虫なのか「ギュン・ギュン」とアラームかサイレンのような鳴き声が響き続けた。

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公園のある嘉手納町から那覇市内までは、車で一時間弱ほどの距離。日が傾き始めた頃、この少しおっかない公園を後にした。

国道58号に出て那覇市内へ向かうと、土曜日の夕刻で、既に車が増え始めていた。

しばらく走っていると、車窓の左手にフェンスが数キロも続いている事に気付いた。フェンスの向こうに広大な芝生が続く。カーナビを眺めると、フェンスの向こう側は色を失ったグレイに表示されている。

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そのうち、フェンスの向こうに黒に近い濃緑の飛行機の、色気のない巨大な尾翼が見えた。市街地を普通に走るようには作られていない、色の無い車両が整列して休んでいるのも見えた。それらはフェンスの向こうの長閑な芝生の向こうに見えた。その上には沖縄らしい青い空が広がっていた。

 

急に、今、この時も、リアルな世界が回り続けている事を思い知らされたような気がした。

普段暮らしている街での、かりそめの現実やそれなりにサバイバルな日常とは違う、リアルな世界。

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やがてフェンスは途切れた。フェンスの向こうに広がる芝生の光景は、日常の光景に取って変わられた。

ロードサイドに連なる、ケンタッキーフライドチキン、ドミノピザ、スシローにファミリーマート。日本のどこででも見られる日常の光景。遠くに飛行機が飛ぶのが見えた。

 

沖縄の空は広い、そして青い。それはとても美しいと思う。

日没が迫る頃に、色を失ってゆく広い空もまた、沖縄らしく美しい空だと思った。

 

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台風襲来


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沖縄に来て地元の人に言われたことの一つ。

『台風の時は傘さしてはダメだよ』

これは本当にその通りです。コンビニで買ったばかりのビニール傘が、さして5秒で裏返ってぐにゃぐにゃになりました。風の強弱の変化が激しいのです。『なんとかなりそうだな』と思っていると突風がいきなりやって来る。スタートから10秒そこらで200㎞オーバーを叩き出す、モンスタースーパーカーのような突風です。

 

9月21日の未明から沖縄本島を暴風域に巻き込んだ台風17号は、とても強烈でした。狂ったように吹き荒れる風が窓を叩き『ひょっとしてガラス割れないか?』と思うほど。荒れ狂う風音は『びやゆうーー びやゆうーー』と夜明けまで恐ろしげに鳴り響きました。本当に怖かった。

午後になって国際通り辺りを歩いてみると、大きな街路樹が数本、根本から倒れていました。夕べの風音を聞けば、さもありなんと思えました。

那覇市内も一部で停電が発生しました。千葉のニュースが連日報じられる中で、こちらでも台風被害です。とにかく、各地で被災されている方々が早く平穏な生活に戻れるようにお祈り申し上げます。

この台風はターファーという名前らしい。台風に名前をつけるようになったの、いつからだろう?
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金曜日のまんじゅまい

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 ゆいレール「県庁前」から国際通りに入ると、観光客が楽しそうに行き交う光景を目にするだろう。観光客が楽しそうに行き交うのはどこの観光地でも同じだろうけど、ここ沖縄では、やはり南国の「開放感」が街中にも溢れているような気がする。「開放感」は、道行く人々の顔を明るく輝かせて見せる。

 

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 その国際通りを一本外れた裏道に「まんじゅまい」という沖縄料理のお店がある。ここは大衆的な料理が中心で、気軽に入れる良いお店だ。

 店を入るとテーブル席が並び、その奥には小上がりの座敷席がいくつか用意してある。壁には泡盛やハブ酒の瓶が並び、三線が掛けてあったりして沖縄の雰囲気が溢れているので、観光客も大いに旅情を感じるだろうと思う。料理も充実していて、メニューはどれを食べようか迷う程多いので、大人数で色んな料理をシェアすると楽しい。

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レバニラ炒めには「島豆腐」が入っている。

 

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トンカツは分厚くてボリューミー。

 

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五目焼きそばは超特大で、小食の人は完食できないかも。

 

 

 

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 「まんじゅまい」には何度か訪れたのだけど、ある金曜日に行った時は、いつもと少し雰囲気が違っていた。テーブル席の奥に椅子が一脚据えられていて、そこに三線を抱えたおじさんが座っている。

 

「金曜と土曜は八時から九時の間はライブをやってるんです」

 

女将さんらしき人が注文を取るに来た時にそう教えてくれた。

 

「今日は少ないけど、いつもは満席なんですよ」と言う。

 

この日は台風が接近して来ていたので、店内の客は少なめだ。そんな少人数のライブ会場で三線の演奏を聴くのは、ラッキーだった。

 

ぼくとツマが、メニューから「煮てびち」と「麩チャンプル」と生ビールを頼むと、新しい曲の演奏が始まった。

民謡のような伝統的な演奏が続く。明るい曲が流れれば、大将や女将さんが手に持った楽器を打ち鳴らし、沖縄風の「あの口笛」を吹く。そうすると店内の南国ムードは一気に高まる。

また、静かな曲をしみじみと歌えば、この地の風土が心に染みこんでくるようだ。

 

ぼくとツマは、三線のおじさんが一曲終える度に大きな拍手を送った。そんなぼくらが、いかにも他所からやって来た人に見えたからだろうと思う。おじさんは「島人ぬ宝」と「島唄」をメドレーでやってくれた。

 

ぼくのオリオンビールのジョッキは空になり、3杯目をお代りした。ツマが厳しい目でぼくを見る。ぼくはその視線を避けるように、おじさんんが演奏する「島人ぬ宝」に聞き入るのだった。

 

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煮てびち(豚足)

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麩チャンプル。

 

 

「島人ぬ宝」~「島唄」のメドレーは6分ほどあります。ちょっと長いけど、南国ムードに浸れると思います。時間がある方は是非どうぞ!

www.youtube.com

やちむん通りのバナナおじさん

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 8月の沖縄には、国内外から沢山の観光客がやって来る。そして、観光客向けの飲食店や土産屋が延々と並ぶ国際通りは、一日中人でごった返している。この通りでは、中国語、台湾語、韓国語などアジア圏の言語が交じり合って耳に飛び込んでくるので、特に夕暮れあとの人混みを歩いていると、自分がどこの国にいるのか分からなくなりそうになる。

 むっとした湿気を逃れるようにコンビニに逃げ込むと、そこの店員さんの9割は外国人で、またもや自分がアジアの見知らぬ街にいるような錯覚に陥ってしまう。そんな混沌とした8月の国際通りにも、少し慣れ始めた、沖縄生活初心者の今日この頃である。

 

沖縄にやって来て2週間目のある日、引越しの段ボール箱も開き終えない部屋で、ツマが観光ガイドを見ながら言った。

「やちむん通りというのがあるよ。沖縄の焼き物なんかを売ってるお店がいっぱいあるらしいよ」

子供の頃、夏休みの宿題は「後に回す派」だったぼくは、引越しの片づけもこの方針を取ることにした。そして、段ボールの山を横目に、そそくさと出掛ける準備をしたのだ。

 

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<やちむん通りのシーサー> 

 

やちむん通りの「やちむん」とは沖縄の言葉で「焼き物」の事。17世紀に、当時分散していた伝統的な窯場が、琉球王府によって壺屋地区に集められたそうで、これが壺屋焼の始まりになる。やちむん通りは現在の那覇市壺屋1丁目にあり、正しく沖縄焼き物の原点なのだ。

 

平和通りから続く入り口には巨大なシーサーが鎮座していて、ここを訪れる人たちを迎えてくれる。そのシーサーの台座の噴霧器から、時折霧が立ち込める。これは巨大シーサーの威厳を高める効果を狙ったものだと思われるが、ぼくとツマは「あー冷たくて気持ちいいねー」などと、アホ顔を噴霧器に突き出しながら喜んだ。

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やちむん通りの石畳の道を進み始めると、とにかくシーサーだらけだった。シーサーは中国から伝わった魔よけの「獅子」が沖縄の発音で「シーサー」に変わったものだという。一体で設置されることもあるが、一対で置かれる事が多いそうだ。一対のシーサーには雄と雌があり、口を開けたのが雄で口を閉じたのが雌となる。雄は福を呼び込み、雌は災難が家に入るのを防ぐという。一対のシーサーは、右が雄で左が雌と決まっているので注意が必要だと、目にした沖縄本にあった。

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シーサーの並ぶお店が多い中、ちょっと変わった焼き物がある。近寄ってみると、人間のお骨を入れる壺だという。そこで思い出すのが高知での生活の最後の方で、いつもお世話になっているスナックのママから紹介された「洗骨」という映画の事。沖縄の離島では亡くなった人を風葬・土葬して、数年後にその骨を洗うという風習があるらしい。この映画を撮った照屋年之監督とは、お笑いコンビガレッジセールのゴリさんだ。この映画は期待を大いに裏切る良い作品だった。

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www.fuku-taro.net

映画「 洗骨」を見た時の事はこちら ↑

 

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シーサー対ネコ。ヤチムン通りにはネコが沢山いた。

 

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ここにもネコが写ってます。分かるかな。

 

 

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<出会いは突然だった!>

 

「バナナの実が生ってるの見た事ある?」

 

ぼくがやちむん通りの風景にカメラを向けていると、後ろの方で声がした。

「見たことない?あっちの方に生ってるから、連れて行ってあげるよ。こっちだよ」

振り返るとツマが見知らぬおじさんにグイグイと迫られて、たじろいでいる。ぼくは知っている。ツマは見知らぬおじさんがとても苦手なのだ。

「何?どうしたの?」

ぼくが2人に歩み寄ると、おじさんは武道の間合いの達人のような素早さでぼくに近づき、すかさず言った。

「バナナが木に生ってるの見た事ある?」

剣道の達人から、見事な面を一本取られたような感覚に陥る。汗の滲んだポロシャツを着た、ずんぐり体形のおじさんに不意にそう言われ、ぼくは混乱した。

「い、いや、見たことないけど」

「見せてあげるよ。あっちだから行こう。さあ、こっちだよ」

おじさんはぼくらの腕を取らんばかりの距離と勢いで迫ってくる。

ツマの顔を見るとそこには「あわわわわ」と書いてあった。

「おじさん、何?バナナがあるの?どこに?」

「こっちだよ!この奥に入ったところだよ」

そう言うとおじさんはぼくらの前をスタスタと歩いて行き、ぼくとツマもつられて歩き始める。一瞬冷静になったツマが「これはついて行ったらマズイやつなんじゃないの?」と顔で言う。

ぼくは何となく悪い人にも見えなかったし、こんなハプニングも嫌いではないのでついてゆく事にする。渋々とツマもぼくの後を歩いてくる。これがヤチムン通りのバナナおじさんとの衝撃的な出会いだった。

 

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 バナナおじさんはズンズンと進んで行く。やちむん通りを脇に入ってゆくと、そこには民家の塀が連なっている。狭い路地に連なる塀にはびっしりと蔦がまとわりついていて、その光景の珍しさに沖縄を感じた。バナナおじさんは進みながら、路傍の草木や花について解説してくれるのだ。どうやらバナナおじさんは意外に(失礼)博識の人のようだ。やがて、普通の民家の塀際に生った、青々としたバナナの房が目の前に現れた。

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「どう?バナナだよ。2つ生ってるよ」

「わあ、本当ですね。これは凄いよ」

ぼくは素直に驚きながらも、まだ警戒を解いてはいない。隣でツマもバナナには素直に驚いていた。そんな反応に気を良くしたのだろうか、おじさんは再び達人の間合いで言い放った。

「ドラゴンフルーツが生ってるの見たことある?」

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「い、いえ。見たことないですけど・・・」

社交辞令的にバナナのお礼を言って別れようとしていたぼくの目論見は、達人の間合いによって打ち砕かれた。ぼくは一言も発せなかった。

「こっちだよ。こっちにドラゴンフルーツが生ってるから来たら良いよ」

再び、ズンズンと進むおじさん。ぼくらは虚を突かれ、催眠術にかかったようにおじさんの後をついて行く。

次第に道幅が狭くなり、路地が込み入ってくる。この先の袋小路には、怖い人たちがいて身ぐるみ剥がされるんじゃないか、そんな考えがふっと浮かぶ。

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悪い予感が頭に浮かんだ、その瞬間、おじさんが興奮気味に言った。

「あそこにドラゴンフルーツが生ってるよ!あれだよ。見える?」

目の前に現れた、高い塀の上に伸びる民家の壁に茂る葉と茎。目を凝らすと濃い赤色のドラゴンフルーツの実が2つ見えた。

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「えっ、どこ?どれが?」ツマはすっかりおじさんの調子に乗せられつつある。

「ほら、あそこにあるよ。あそことあっちにも」

「あ、ほんとだ!ほらあそこだよ!あの上の方」

ぼくとバナナおじさんは小さなドラゴンフルーツを指さしてツマの視線を誘導する。ようやくドラゴンフルーツを見つけたツマは感嘆の声を上げた。

 

「この先の家の庭に、ヤシの木があるんだよ。こっちだよ」

おじさんはまたズンズンと歩き出すのだった。ぼくとツマはもうすっかりおじさんに抵抗する気も失せてしまい、黙って後を追った。もうぼくらの警戒心は溶けてしまっていた。バナナおじさんは、ただの気の良いおじさんなのだ。

 

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 「ほら、ヤシの木だよー。今はヤシの実が生ってないから残念だねー」

本当に民家の庭にヤシの木が伸びているのだ。バナナと言いドラゴンフルーツといい、やはり沖縄は凄いところだと思う。

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民家の入り口にいろいろな形のシーサーがあった。それらを眺めながら歩くのもまた楽しい。家々の庭には緑が繁り、黄色や赤の鮮やかな花が咲いていた。南国風でカラフルなのだ。

「あの黄色い花はハイビスカスだよー」おじさんのガイドは続いていた。

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その後もおじさんの案内でシークワーサーやサトウキビなどを見て歩いた。おじさんは名前の聞いた事のない草木を指さし説明してくれる。

「この葉っぱは表と裏で色が違うんだよー。表は緑だけど裏は紫なんだよー」と指さす。

「この先には屋根に草の生えた家があるよー」

「ええ!何ですかそれ」

「ほら、あれだよー」

「うわ!本当だ!」

ぼくは、おじさんが指さす先を必死に次々とカメラに収めた。
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写真を撮っているぼくを残して、ツマとおじさんはどんどん進んで行った。ツマもバナナおじさんがすっかり気に入ったようだ。

「沖縄の人じゃないねー」

「ええ、転勤でつい最近沖縄に来たんです」

「そうなの」

「沖縄の前は高知で」

「ああそう」

「元々の生まれは九州なんですけど」

「そうなの。九州にはぼくの親戚がいるよー。今年の盆は台風で帰って来れなかったけどねー」

「それは残念でしたねー」

ぼくが追い付くと、ツマとおじさんの楽し気な会話が続いていた。

 

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その後もバナナおじさんのガイドは続き、結局3、40分は一緒に歩いたんじゃないかと思う。

一通り歩き終わって別れの時が来た。

「おじさん、どうも有難う。とても楽しかったです。本当にありがとうね」そう言ってぼくとツマは順番におじさんと握手したのだった。

バナナおじさんは、先ほどまでのグイグイ感が嘘のように、恥ずかしそうに軽くぼくの手を握り返した。

少し日の傾いたやちむん通りで、ぼくらは、その後も散策を続けた。硝子の器や陶器のお店がたくさん並んでいたけど、今回は店先を覗くくらいになってしまった。また、ゆっくりと来たいと思う。

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自宅に戻ってのんびりしている時、インターネットを眺めていたツマが「あっ」と声を上げた。

「なに?どうしたの?」

画面から顔を上げたツマの顔は、いたずらっ子のようだ。

「今日のバナナおじさんって、知る人ぞ知る有名人みたいよ。ネットの中のブログで今日と同じような体験をした人の話が出てる!」

ニコニコ顔のツマが、さも嬉しそうに、ぼくにそう言ったのだった。

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私的不定期名曲選⑱「この曲もえーやん!」/ ロビンソン(スピッツ)

www.youtube.com」

 

スピッツの曲を聴くと何となく九州(福岡)を感じてしまう。それは、とんがった純情という感じだ。

 

一応、九州人のぼくは、無防備な時に、ふと、九州的なものに触れてしまうと、自分でも驚くほどに望郷の念が胸に広がる。

TVの中で俳優の松重豊さんや光石研さんを見かけると、無性に嬉しくなってしまう。でも、ぼくは九州人であるけれども福岡県人ではないのだ。何故、こんなにも福岡に愛着があるのだろう、と思う。

 

きっとそれは、社会人としての第一歩を踏み出したのが福岡だったからだろう。ほんの3年間くらいの短い時間だったのだけれど、その頃の事を今も実によく覚えているのだ。

 

いろんな思いの染み込んだ 夕暮れの渋滞の列や、福岡弁の可愛らしい女の子の笑顔や、地の酒と肴での底抜けな宴や、スーパーの駐車場の脇の登り階段や、あてもなく走った夜の高速道路や、偶然の出会いや、嫉妬や、不安や、欲望や、希望を、今でもはっきりと思い出す。

 

スピッツの「ロビンソン」は、きっと九州に関係ない人たちにも、若かった頃の、いろいろな想いを心に蘇らせるのだろうと思う。