南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

私も、プロレスの味方です

f:id:fuku-taro:20190113132012j:plain

 

 

幼い頃、母に連れられサーカスに行った事がある。普段贅沢をしない母が、何故急にサーカスに連れて行ってくれたのかはよく覚えていない。

母とバスに乗って出かけると、町の辺境の埋立地の広場に、魔法のランプのような形のテントが立っていた。そのテントは大きくてカラフルで、場違いなような明るさで佇んでいた。

テントの中は薄暗かったが、観客たちの「今か、今か」の期待と熱気が渦巻いていた。その薄暗い中で、ライトに照らされた演者たちが次々に現れては消えていった。中でも印象深いのは、地球儀のような鉄の籠の中を疾走するバイク。象と道化の玉乗りの共演。そして、空中ブランコ。

テントの一番高い柱の所から伸びる、2本のワイヤーが結ばれた小さなブランコが大きく揺れた瞬間に、すらりとした女が飛んだ。ライトの光の追い付かない薄暗さの中に、宙に浮かんだ肢体が白く浮かび上がった。

サーカスのテントの中と、地方の小さな体育館のプロレス会場は、どこか雰囲気が似ている。

 

ぼくは、子供の頃からプロレスが好きだ。それは、あの日のサーカスのせいかもしれないなあとも思う。母が連れて行ってくれたあの日の空間は、非日常のワクワクに溢れていた。プロレス会場にも同じワクワクが溢れている。プロレスは会場観戦に限るのだ。

 今の日本のプロレス界には一人のスーパースターがいる。その名を「ケニー・オメガ」という。このカナダ生まれの天才レスラーの存在はユニークだ。従来のプロレスの世界観は、遺恨渦巻く修羅の世界であったし、善玉と悪玉の対立構図がその世界のベースだった。しかし、ケニーの存在は悪玉でも善玉でも無いように見える。

大観衆の前で、リングのトップロープをノータッチで軽々と飛び越え、場外の敵に体ごと全体重を浴びせる荒業を駆使するその姿を見て、ぼくは幼き日のあの空中ブランコのシーンを想起する。美しき演者ケニー・オメガ。これ以上プロレスを語るのはやめておこう。ちと熱くなり過ぎた。 「そっち行かない」(ケニーさんの真似をするアザゼルさんの真似)

 

 愛読しているアザゼルさんのブログ。⇩

xlab.hatenablog.com

 

 

この年始のビッグマッチを終えたケニー・オメガの周辺が騒がしい。所属する新日本プロレスを退団して、主戦場を海外にするとかしないとか。

このニュースを見てぼくは軽く動揺した。ケニーはこれからの新日本プロレスに不可欠だと思っていたから。もしくは、新日本でのケニーをもっと見ていたかったから。

 

f:id:fuku-taro:20190113132103j:plain

 

昨年12月にケニー・オメガ選手は、WEBサイト「ほぼ日」で、糸井重里氏、マキシマムザホルモンのマキシマザ亮さんと対談している。

糸井氏が作ったゲームソフト「MOTHER」の大ファンだという事で実現したこの異色対談を、今日改めて読み直した。

 

www.1101.com

 

対談の中でケニーはこう語っている。

 

「(前略)新日本プロレスをもっと世界的なブランドにしたいからです。それをちゃんと考えないといけない。みんなそれに向けてがんばっているし、どんどんレベルアップしています」

 

ぼくは単純に彼のこの言葉を信じたいと思っていたし、今も信じたいと思っている。

 

「みんなプロレスの試合を見ても、すぐに忘れてしまいます。私はそれがすごくイヤです。身体を犠牲にして、ボロボロになっても、みんなすぐにパフォーマンスを忘れる。それがすごくイヤだと思った。だから、どうやったらみんなの中に思い出を残せるかを考えた。(中略)糸井さんに会いたかったのは「MOTHER」ファンとしてだけじゃなく、そういう「想い出を残す」ことについて、そういうことが出来る人から、なにかを学びたいと思ったんです」(以上引用)

 

今思えば意味深な言葉だと思う。

 

「ほぼ日」の対談の全文を読んでいただければ「ケニー・オメガ」というプロレスラーのユニークさが少しは分かってもらえるかもしれない。

 

今回、ぼくは数十年ぶりに週刊プロレスの特集号を買った。この年始に行われた棚橋弘至とのビックマッチが彼の日本での最後のタイトルマッチになるかもしれないからだ。しばらくはケニー・オメガの動向から目が離せないプロレスファンは多いはずだ。

f:id:fuku-taro:20190113132141j:plain

 

 

 

 

あけましておめでとうございます!

f:id:fuku-taro:20190106131127j:plain

改めまして、明けましておめでとうございます。

この年末年始を、九州への里帰りでのんびり過ごしました。

転勤で九州を離れていて思うのは、やっぱり九州の味が恋しいなあ、という事。そんな訳で、この数日の食事はとんこつラーメン率が高かったです。やっぱり美味いんだなあー、とんこつラーメン。

あと、日田焼きそばの「想夫恋」!これは美味いんだなあ。ぼくは日田焼きそばが、焼きそばの中で一番美味いと思う。鉄板に押し付けて焼き上げるから、麺がパリパリとしてるんです。他の焼きそばにない食感でたまりません。

食べてばかりの正月でしたので、体重が心配です。まだ体重計乗ってないけど。

そんな感じで正月ボケの状態ですが、今年も宜しくお願い致します。

 

f:id:fuku-taro:20190106125818j:plain

f:id:fuku-taro:20190106125912j:plain

f:id:fuku-taro:20190106130112j:plain

f:id:fuku-taro:20190106130227j:plain

 

 

私的不定期名曲選⑭「この曲もえーやん!」/SNOW DANCE (DREAMS COME TRUE)


DREAMS COME TRUE - 「SNOW DANCE」

 

このMVの中で、吉田美和さんは「1900年代の最後の夏」と歌っていました。それから18年経って、今、平成最後の冬を迎えています。

久し振りに聴いてみて、あの頃の吉田美和さんって、こんなに可愛らしかったんだなあ、と思います。才能がキラキラと輝いているような人だなあと。

 

これが、今年最後の更新になりそうです。『南風通信』にお越しいただいた、全ての人に感謝申し上げます。いつも励みになっています。

どうぞ、良い年末年始をお過ごしください。

いつの日も、大変なことよりも、良いことの方が多くありますように。

そして、皆様にとって来年が素敵な1年になりますように。

 

在台灣轉來轉去旅行⑤(たいわん うろうろ たび)

f:id:fuku-taro:20181124230439j:plain

 【2018.8.20】③

<雨上がりの葱油餅>

夏の台湾を旅行するにはサンダルを履いて行け、と何かで読んだと事がある。永康街を抜けてカメラのシャッターを切りながら周辺を散策していると、雨粒が落ちてきた。短い時間に強くなった雨は、点々と路面を暗く染めていって、そこここに小さな水たまりをつくっていく。そういえば折り畳み傘も持って行け、と書いてあったけど、こちらの方は忘れていた。永康街を東門駅の方へ戻る途中、目に付いたカフェで雨宿りをすることにした。

ところで、夏の台北市内を歩いているとホットパンツ姿の若い女の子を見かける事が多い。これは流行もあるのかもしれないけど、やっぱり単純に暑いからだろうなあ、と思う。それに急な雨が降っても裾が濡れないしね。

  

f:id:fuku-taro:20181124231115j:plain

f:id:fuku-taro:20181124231206j:plain

f:id:fuku-taro:20181124231251j:plain

f:id:fuku-taro:20181124231421j:plain

f:id:fuku-taro:20181124231846j:plain

f:id:fuku-taro:20181124231931j:plain

f:id:fuku-taro:20181124232015j:plain

f:id:fuku-taro:20181124232416j:plain

f:id:fuku-taro:20181124232716j:plain

 

Together cafeの大きめのカップのコーヒーをゆっくりと飲みながら、ガイドブックを覗き込んでの作戦会議をするくらいの時間で、雨は小雨になった。雨のお陰で気温も少し下がったようだし、出発しよう。食いしん坊のぼくらには、永康街を離れる前に寄っておかなければならない場所があるのだ。

それは屋台なのだけど、永康街を歩いたことがある人なら、いつも行列が出来ている葱油餅(ツォンヨービン)のお店と言えばピンとくるだろうと思う。その屋台「天津葱油餅」には今日も人だかりが出来ていた。雨は弱くなったけど、まだ、パラパラと小さな雨粒が降っているのにである。 

ここでハムと卵入りの葱油餅をオーダーする。客は皆、葱油餅を買うと、建物の軒下で雨を避けながら食べている。ぼくらもそれに倣って軒下で熱々の葱油餅を早速頂いた。永康街ではこれを必ず食べる事になっていて、お腹の余裕具合に関わらず、いつ食べても美味い。葱油餅はぼくらにとって、台北に来ている事を実感させてくれる食べ物の一つなのだ。

 

f:id:fuku-taro:20181124235053j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235157j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235314j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235429j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235526j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235919j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235605j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235644j:plain

f:id:fuku-taro:20181124235807j:plain

f:id:fuku-taro:20181124232931j:plain

f:id:fuku-taro:20181124233026j:plain

 

 <足裏マッサージの死闘>

午後遅くには、いつもお世話になっている足裏マッサージの店で疲れを癒してもらう。MRT行天宮駅の近くにある、「活泉足體養身世界」のオーナーは日本人なのだけど、黒い直毛の長い髪をサイドに流し、色の入った眼鏡をかけている細身の男性で、その風貌はジャッキーチェンの香港時代の映画に出てくる東洋人を思い起こさせる。今回、マッサージを担当してくれた女性は50歳過ぎらしい小柄なおばちゃんだったけど、足のツボを押す指の力は極めて強く、ぼくは顔いっぱいに脂汗を浮かべてその痛みを耐えていた。ぼくがあんまり汗をかくので、途中でおばちゃんはマッサージの手を止めて、エアコンの温度を下げに行ったほどだ。同じフロアで施術をしていたマッサージ師たちがぼくの方を見て微笑んでいる。「マダ、アツイデスカ?」おばちゃんがそう言うので「ア、ダイジョウブデス」と、何故かおばちゃんと同じようなギコチナイ日本語で応える。いやいや、暑いんじゃなくて脂汗だよ、と心の中でツッコミを入れたが、日本男児の心意気で何も言わずに、涼しい顔で痛みに耐える事にした。汗だくの涼しい顔で。

  

f:id:fuku-taro:20181124233212j:plain

f:id:fuku-taro:20181124233309j:plain

f:id:fuku-taro:20181125000055j:plain

f:id:fuku-taro:20181124233401j:plain

 

<蝦釣堀熱闘編>

毎回、台湾旅行の旅程は家人が念入りな情報収集を経て決定する事が、我が家の不文律となっている。そこに、ぼくの主張が入り込むことに成功するのは極めて稀である。しかし、今回の旅行を前にぼくは徹底抗戦の構えをもって主張を貫いた。

「エビ釣り堀に行きたいのです」

ぼくが台湾のエビ釣り堀のことを知ったのは、もう20年近く前の事だと思う。趣味でやっているバス釣りの専門誌「ロッド&リール」に、台湾釣行記が載っていて、そこでこのエビ釣り堀の事が出ていたのだ。海外まで釣りに行く記事を載せるなんて、あの頃のバス釣り業界はまだ景気が良かったんだなあ、と懐かしく思う。バス釣り業界は、その後の曲折を経て今に至るが、台湾釣行記を特集した「ロッド&リール」は今年休刊となってしまった。寂しく思う。

話を戻す。ぼくと家人がエビ釣り堀に着いたのは夜の8時くらいだった。家人はやはり、あまり乗り気ではないのだけれど、足裏マッサージで足取りが軽やかになったぼくは、スタスタと中に入っていった。

 

f:id:fuku-taro:20181124233449j:plain

f:id:fuku-taro:20181124233535j:plain

f:id:fuku-taro:20181124234003j:plain

f:id:fuku-taro:20181125000303j:plain

薄暗い店内には、コンクリートの大きな水槽が据えてあって、その水槽をぐるりと囲むように客が座っている。そして、各々が細長い釣竿を水面に向かって突き出しながら、その竿先から垂れるに糸に付けたウキを見つめている。

家人は「私は見てるから」と、既に当面の消極的な方針を表明している。ぼくは、受付の男にお金を払い、レンタルの釣竿セットと餌を受け取る。料金は1時間で300元だというので、日本円でだいたい1100円くらいだろうか。

店内を改めてぐるりと見渡すと、客は観光客と地元の若者と半々くらいに見える。すぐそばのテーブルにたむろしているモヒカン風の男のグループは、地元の若者たちだろう。フロアーの奥の方から日本語も聞こえてくる。彼氏に連れられてきた若い女の子の客もいるようだ。

ぼくと家人は、客の並ぶ水槽と壁に挟まれた狭い通路を奥へ進み、自分たちの釣座を定めて座った。ぼくらの正面から角を経てこちらまでの団体客は日本人だった。その男女7、8人のグループは、大きな声で嬌声を上げながらエビ釣りを楽しんでいる。

小さくて繊細な針に、白い小エビの餌をつける。エビで鯛を釣るにはあらず、エビでエビを釣るのがここの流儀らしい。ぼくは第一投目を水中に入れる。ポンプで空気がブクブクと湧いていて、そのせいで水に流れが生じる。水面に浮くウキはその流れに乗ってゆらゆらと流れてゆく。すると、ウキの流れが止まり、水中に引き込まれた。合わせを入れると、竿から伸びる糸の先の水面下で、確かな生命力が必死の抵抗を試みている。針にかかったエビは結構引くのだ。

f:id:fuku-taro:20181125000439j:plain

抵抗空しく釣り上げられたエビは、ぼくの手の中に納まった。何だかんだで家人も楽しそうだ。すると、隣に座っていた日本人の男が話しかけてきた。

「座ってから釣るのが早いですねー」

「ええ、あ、まあ」

ぼくはフレンドリーなその男に、曖昧な返事をする。釣りに集中し過ぎていて答えが咄嗟に浮かばなかったのだ。

バス釣りを20年以上やっているが、釣りはどんな釣りでも通じるところがあるようだ。

その後は、そのフレンドリーくんと会話を交わしながら釣りを続ける。

彼らは広島から来たらしく、そのメンバーは皆、職場の仲間で、社員旅行なのだとか。会話の途中で彼のウキが水中に沈み横に移動していく。ぼくはそれを見ながら、水中で針をくわえたエビが水底を急ぎ足に歩いていく様子を想像する。彼はまだ合わせずに、じっくり送り込んでいる。エビが付いている事を確信し、ウキの動きを見ながらタイミングをはかっているのだ。隣でぼくはジリジリとする。

「うわあ、あれぇーー」

ようやく合わせを入れたフレンドリーくんの竿は、スカッという感じで空を切った。その先にエビはもういなかった。

「今、エビが食ってたんだよー。絶対食ってたんやけどなあ」

フレンドリーくんは仲間たちに向かって言う。

「本当かあ?気のせいじゃねーかー」「へたくそー。わははは」

一同がまた盛り上がる。

その後、ぼくとフレンドリーくんは一匹づつのエビを釣った。

そして、やがて、フレンドリーくんのグループは満足そうに帰って行った。

f:id:fuku-taro:20181124233727j:plain

日本人の団体客がいなくなり、周囲が静かになる。ぼくはまた、釣りに集中する。ふと気が付くとぼくの隣に地元の若い男が座って竿を構えている。さっき入口付近のテーブルに居たモヒカン男のグループに居た青年だ。周囲を見渡すとモヒカン男も釣り竿を構えて真剣な表情を浮かべている。彼らはどうやらここの常連らしい。彼らの使っている竿や仕掛けは、ぼくが使っているレンタルのものとは、少し違っていた。きっと各々「マイ釣竿」を持ち込んでいるのだろう。竿を高く構え、ウキが吸い込まれた時の合わせは、鋭く無駄がない。

ぼくの隣の髪の長い男は、整った顔にひょろりとした体つきで、ボーダーのシャツが少し大きく見えた。昔、麻雀に憑りつかれて学校に来なくなり、留年を繰り返した大学の先輩がいたが、その先輩に似ていた。インテリ崩れの匂いのするそのボーダーシャツの男は、缶ビールを飲みながら釣っている。台北ではお酒を飲む人をあまり見かけないのだけれど、彼は美味そうに台湾ビールを飲んでいた。

ボーダー男が、高い構えから鋭く合わせを入れると、だいたいエビが釣れた。かなりの使い手なのだ。エビが釣れると仲間たちと大きな声の台湾語でやり取りする。

「今日は食いがシブいよ」

なんて言ってるのだろと思う。言葉が全く分からないけど。

 

f:id:fuku-taro:20181124233824j:plain

ぼくは1時間をかけて計4匹のエビを釣り上げた。数回のバラシが無ければ、もっと釣れたはずだけど、まあ良しとしよう。

この釣堀では、少しのお金を払えば釣ったばかりのエビを調理して食べさせてくれる。ぼくらはもちろん食べる事にする。ぷりぷりのエビを頬張った時には、さすがに家人も嬉しそうだった。

九時を回る頃には、店内はほぼ常連のみになっていった。彼らの釣りを眺めながら、まあ、健全な遊びだなと思う。ボーダーシャツが独特の構えで右手に竿を持ち、左手で缶ビールを飲んでいる。観光客のいなくなった店内で、彼らの長い夜はこれから始まりそうだった。

 

f:id:fuku-taro:20181124234054j:plain

f:id:fuku-taro:20181124234139j:plain

f:id:fuku-taro:20181124234403j:plain

f:id:fuku-taro:20181124234520j:plain

f:id:fuku-taro:20181124234736j:plain

 つづく

年末の日々

f:id:fuku-taro:20181216200021j:plain

近所の公園のイチョウの木が丸裸になっていました。暖かいと言われるこの冬も、いよいよそれらしくなってきたようです。

家人に付き合わされた漢方薬局で、ちょっと漢方にハマったりしています。

f:id:fuku-taro:20181216200118j:plain

 

 

それから、40歳以上限定のマラソン大会で10キロを走りました。途中で、ご老人と言って差し支えないような風貌の方から、軽く抜き去られてしまったり。鍛えてる方は年齢関係ないですね。見習いたいです。

 

f:id:fuku-taro:20181216200211j:plain

 

FPのグループの忘年会を終えて、ようやくパソコンの前でこれを書いています。このグループの忘年会は毎年13時スタートなのです。昼間とは思えない盛り上がり。さすが酒国高知ですね。忘年会続きでやや疲れ気味です。

f:id:fuku-taro:20181216202035j:plain

台湾の旅行記の続きが書き上がらず、近況報告になってしまったのでした。毎週更新は大変です。もっと頻繁に更新している方々を尊敬しています。今日はこの辺で。

私的不定期名曲選⑬「この曲もえーやん!」/ IMAGINE ( 忌野清志郎)


忌野清志郎 IMAGINE

 

12月8日はビートルズのメンバーだった、ジョン・レノンの命日です。1980年、長い育児休暇を終えたジョンは、妻のヨーコと一緒にアルバムを制作しました。「ダブルファンタジー」と名付けられたこのアルバムの中で、ジョンはとても幸せそうでした。

70年代のジョンは、政治色の強い活動をしていたり、ヨーコとの不和から迷走したりと不安定な時期でした。75年にアルバム「ロックン・ロール」で、ロックミュージックに回帰した彼は、やっと自分の歩むべき道に生還したように見えました。それから5年の育児休暇を経ての活動再開の直後に。

「ダブルファンタジー」のリリース直後の12月8日、ジョンはセントラルパークからほど近い、ダコタハウスの前で凶弾に倒れ亡くなりました。

 

「想像してごらん。国境なんて無いんだと」

ジョンの事を夢想家という人がいる。そうかもしれません。

21世紀になっても国家間、民族間の諍いは無くならないし、むしろ酷くなりつつように見えます。

忌野清志郎も「夢想家」でしょうか。

そして、大きすぎる夢は、その身を食い破るのでしょうか。

もう、二人とも、この世界には居なくなってしまいました。

 

それでも「イマジン」は、2018年の今でも流れ続けています。

 

 

在台灣轉來轉去旅行④(たいわん うろうろ たび)

f:id:fuku-taro:20181123084512j:plain

【2018.8.20】②

<可愛い台湾>

東門市場を抜けて金山路を渡ると、天井の無いマーケットが伸びている路地が見えてきた。肉や野菜や果物に惣菜と賑やかに並んでいる。日除けの下でいかにも商売人といったおばちゃんが、試食してゆけと切った果物を差し出すが、ここは遠慮することにする。だってこれからいろいろと食べなきゃならないからね。とにかく、こちらは活気があった。

交通量の多い信義路を渡り、永康街の入り口に差しかかると、鼎泰豊(ディンタイフォン)に並ぶ人の行列が見えた。今回、旅行前に家人と「小籠包は絶対食べよう」と誓い合ったのだが、この行列を見るとやっぱりスルーしたくなる。並んでる時間にアチコチ行けるでしょう?ぼくらの旅行は、知らない所を求めてウロウロする事が最優先なのだ。

昨年、永康街の奥にあるお洒落なレストラン「TAKE FIVE五方食蔵」で出会った、台湾に嫁いだという若い日本人女性の事を思い出した。

「鼎泰豊は日本人と韓国人の観光客ばかりで、地元の人は行かないんですよ」そう言って彼女は笑った。言葉に難儀して、言語学校に通っていると言っていたけど元気だろうか。たった一度、テーブルが隣になっただけの、日台の若い夫婦の事を思った。

 永康街を家人の後について進む。家人の付箋だらけのトラベラーズノートが活躍し、いくつかの雑貨店を巡る。来る度に思うのだけど、台湾にはお洒落で可愛い雑貨が多い。それらを眺めているだけでも気分が上がってくる。ぼくは文具や雑貨を見るのが好きなのだ。台湾に来るとぼくの「可愛いセンサー」の感度が上がってしまい、店内でたくさんの大人女子の客に紛れて「あ、これ可愛い!」などと言っているぼくを、家人は「女子おじさん」と揶揄する。可愛いものは可愛いのだ。気持ち悪いなんて言わないで。そんなこんなで、可愛い雑貨の店「雲彩軒」で、原住民の柄が入ったパスケースなど数点を購入した。

 

f:id:fuku-taro:20181123084551j:plain

f:id:fuku-taro:20181123084637j:plain

f:id:fuku-taro:20181123084812j:plain

f:id:fuku-taro:20181123084912j:plain

f:id:fuku-taro:20181123084958j:plain

f:id:fuku-taro:20181123085131j:plain

f:id:fuku-taro:20181123090253j:plain

f:id:fuku-taro:20181123090328j:plain

 

<美味しい台湾>

永康街にある「度小月」は、創業100年を超える、台南で有名な麺料理のお店だ。擔仔麺(タンツウミェン)という麺料理がここの看板メニューなんだけど、これは、むき身のエビと肉味噌の乗ったエビ出汁の麺料理で、ガイドブックでこれを見た時に一目惚れしてしまい、家人に「ここだけは行きたい」とぼくは主張したのだ。

「度小月」は台北市内に二店舗あるそうで、永康街のお店は比較的こじんまりとしたお店だ。テーブルについて早速、擔仔麺をオーダーする。それからイカ団子の揚げ物と、細い緑の茎野菜の炒め物も追加。

食レポは上手くないので上手く伝えられないが、どれも美味しく頂きました。擔仔麺は一人前としては小ぶりで物足りないかも。さすがに看板メニューで美味しんだけどね。ぼくと家人の一致した意見で、茎野菜の炒め物がとても美味しかった。野菜に干した小エビの出汁が効いてて、その旨みと野菜のシャキシャキ感がとても良いのだ。台湾一食目、ご馳走様でした。

f:id:fuku-taro:20181123085559j:plain

f:id:fuku-taro:20181123091226j:plain

f:id:fuku-taro:20181123091310j:plain

f:id:fuku-taro:20181123091343j:plain

f:id:fuku-taro:20181123091502j:plain

  

 

 <永康公園の愚かな思い出>

台湾の夏はとても暑い。この日も気温は30度を優に超えて、太陽はジリジリとぼくらを照射し続ける。毎年、この時期に夏休みを取るので、どうしても暑い台湾を過ごす事になってしまうのは仕方がないのだけど、まあ暑い。永康街の人波を泳ぐように歩き、喉がカラカラになってくると、フルーツジュースを飲みたくなる。台北には冷たくて、とても美味しい生フルーツジュースのスタンドが沢山ある。その充実ぶりを見るに、これは彼の地の暑さ凌ぎの知恵なのだろう、と思う。台北に来る度に、ぼくらもジュースで暑さを凌ぐのだ。中でもスイカジュースは秀逸だと思う。自然なスイカの甘みと、飲むとスーッと暑さが引いて行くような、体を冷やす効果もあるようでとても気に入って飲んでいる。でも、今年はまだスイカジュースを見かけない。昨年はコンビニにもあったのに。でも、味はやっぱりコンビニよりジューススタンドの物の方が格段に美味い。

永康公園の正面にあるジューススタンド「COCO都可」で、タピオカ入りのオレンジジュース(スイカジュースは無かった)を買って、永康公園の木陰で休憩した。永康公園は永康街の真ん中あたりに位置し、多くの人たちが木陰で涼んでいる。夕方になると小さな子供を連れたお母さんたちもやって来る。黄昏時には、観光客も住民も一緒くたに寛いでいる。

この永康公園には、ちょっとイタイ思い出がある。初めて台北を訪れた時にもこの永康公園に来たのだけれど、公園のベンチにスマートフォンを置き忘れてしまったのだ。スマートフォンが無い事に気が付いたのは、一日中遊び惚けてホテルに戻った午後10時過ぎ。NTTドコモなど各方面に電話を入れた後、ホテルの人に付き添ってもらい(有難かった)近くの交番まで遺失物届を出しに行った。交番で言葉が通じずに、お巡りさんもぼくも双方「どうしたものか・・」という雰囲気が漂い始めた時、筆談でコミュニケーションが取れる事が分かり、ぼくは心の中で「ブラボォー!」と叫んだよ。その時に台湾語でスマートフォンは「手機」と書くらしい事を知った。遺失物届は何とか提出する事が出来たのだが、その申請書には生活ぶりを記入する欄があり、「富裕」とか「困苦」とかそんな文字が並んであって丸を付けるようになっていた。旅行者には伺い知れないが、台北の生活や社会はそれなりに問題を抱えているのだろう、と思った。

それ以来、手にモノを持って歩いていると「鞄にしまって!」と家人から注意される事になった。そんな事があったりしたけれど、永康公園は台北で最も好きな場所の一つだ。

 

f:id:fuku-taro:20181123085214j:plain

f:id:fuku-taro:20181123085304j:plain

f:id:fuku-taro:20181123085410j:plain

f:id:fuku-taro:20181123085502j:plain

f:id:fuku-taro:20181123090020j:plain

f:id:fuku-taro:20181123091025j:plain

f:id:fuku-taro:20181123090746j:plain

f:id:fuku-taro:20181123090850j:plain

f:id:fuku-taro:20181123090947j:plain

f:id:fuku-taro:20181124230129j:plain

f:id:fuku-taro:20181124230354j:plain

つづく