幼い頃、母に連れられサーカスに行った事がある。普段贅沢をしない母が、何故急にサーカスに連れて行ってくれたのかはよく覚えていない。
母とバスに乗って出かけると、町の辺境の埋立地の広場に、魔法のランプのような形のテントが立っていた。そのテントは大きくてカラフルで、場違いなような明るさで佇んでいた。
テントの中は薄暗かったが、観客たちの「今か、今か」の期待と熱気が渦巻いていた。その薄暗い中で、ライトに照らされた演者たちが次々に現れては消えていった。中でも印象深いのは、地球儀のような鉄の籠の中を疾走するバイク。象と道化の玉乗りの共演。そして、空中ブランコ。
テントの一番高い柱の所から伸びる、2本のワイヤーが結ばれた小さなブランコが大きく揺れた瞬間に、すらりとした女が飛んだ。ライトの光の追い付かない薄暗さの中に、宙に浮かんだ肢体が白く浮かび上がった。
サーカスのテントの中と、地方の小さな体育館のプロレス会場は、どこか雰囲気が似ている。
ぼくは、子供の頃からプロレスが好きだ。それは、あの日のサーカスのせいかもしれないなあとも思う。母が連れて行ってくれたあの日の空間は、非日常のワクワクに溢れていた。プロレス会場にも同じワクワクが溢れている。プロレスは会場観戦に限るのだ。
今の日本のプロレス界には一人のスーパースターがいる。その名を「ケニー・オメガ」という。このカナダ生まれの天才レスラーの存在はユニークだ。従来のプロレスの世界観は、遺恨渦巻く修羅の世界であったし、善玉と悪玉の対立構図がその世界のベースだった。しかし、ケニーの存在は悪玉でも善玉でも無いように見える。
大観衆の前で、リングのトップロープをノータッチで軽々と飛び越え、場外の敵に体ごと全体重を浴びせる荒業を駆使するその姿を見て、ぼくは幼き日のあの空中ブランコのシーンを想起する。美しき演者ケニー・オメガ。これ以上プロレスを語るのはやめておこう。ちと熱くなり過ぎた。 「そっち行かない」(ケニーさんの真似をするアザゼルさんの真似)
愛読しているアザゼルさんのブログ。⇩
この年始のビッグマッチを終えたケニー・オメガの周辺が騒がしい。所属する新日本プロレスを退団して、主戦場を海外にするとかしないとか。
このニュースを見てぼくは軽く動揺した。ケニーはこれからの新日本プロレスに不可欠だと思っていたから。もしくは、新日本でのケニーをもっと見ていたかったから。
昨年12月にケニー・オメガ選手は、WEBサイト「ほぼ日」で、糸井重里氏、マキシマムザホルモンのマキシマザ亮さんと対談している。
糸井氏が作ったゲームソフト「MOTHER」の大ファンだという事で実現したこの異色対談を、今日改めて読み直した。
対談の中でケニーはこう語っている。
「(前略)新日本プロレスをもっと世界的なブランドにしたいからです。それをちゃんと考えないといけない。みんなそれに向けてがんばっているし、どんどんレベルアップしています」
ぼくは単純に彼のこの言葉を信じたいと思っていたし、今も信じたいと思っている。
「みんなプロレスの試合を見ても、すぐに忘れてしまいます。私はそれがすごくイヤです。身体を犠牲にして、ボロボロになっても、みんなすぐにパフォーマンスを忘れる。それがすごくイヤだと思った。だから、どうやったらみんなの中に思い出を残せるかを考えた。(中略)糸井さんに会いたかったのは「MOTHER」ファンとしてだけじゃなく、そういう「想い出を残す」ことについて、そういうことが出来る人から、なにかを学びたいと思ったんです」(以上引用)
今思えば意味深な言葉だと思う。
「ほぼ日」の対談の全文を読んでいただければ「ケニー・オメガ」というプロレスラーのユニークさが少しは分かってもらえるかもしれない。
今回、ぼくは数十年ぶりに週刊プロレスの特集号を買った。この年始に行われた棚橋弘至とのビックマッチが彼の日本での最後のタイトルマッチになるかもしれないからだ。しばらくはケニー・オメガの動向から目が離せないプロレスファンは多いはずだ。