南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

時間のエアポケット

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今年もいよいよ余すところが少なくなってきた。

有馬記念もM1も終わって、もう今日で今年は終わりでいいんじゃないのー、なんて思ったり。

でも仕事の方も年末行進中で、このままでは終われないそうもない。

 

そんな独特の落着きのない浮遊感のようなものは、年末特有のものだ。忙しかろうが、遊んでいようが、もうすぐ2023年は終わるのだという事が、ふうと一息入れたくなる気分を喚起する。

 

思えば、おぎゃーと生まれてから、いずれ死んてしまうまで、本当の意味でのゴールも終わりもないものだから。年末だとか期末だとかで、取り敢えずの終わりを作ると頑張れるし、やれやれ感や一息感も持てる。いつも、週末なんかのお陰で随分救われているしね。

 

束の間の取り敢えずの終わりを、今年も味わおう。そうして、取り敢えずの終わりの中で、普段考えられない事を、ゆっくりといろいろ考えるのも良い。この、普段考えられない事をゆっくりと考えるには、なんといっても年末が一番良い。今年の事を振り返ったり、来年を展望したり。それとも子供の頃や学生の頃に好きだった遊びに、ゆったりと浸ったり。なんの役にも立たない本や映画に触れたり。

 

そうだ。年末というものには、時間の流れのエアポケットのようなものが存在しそうだ。その中にするりと潜り込んで、一時は世間のシガラミから離れて、少年の日の秘密基地で過ごした、ある晴れた春の日のような時間を過ごしてみたいものだと思った。もしくは、ジョン・レノンのアルバムを始めて聞いた、ある夏の夜のように。

 

どうやら今夜のぼくは、時間のエアポケットに落ち込んでいるようだ。