春が来たことを、釣り人たちは、水辺の草花の芽吹く様や水生の生き物たちの動き出す様子から知る。カレンダーの日付が春を告げるよりもずっと前から、水辺にはその兆しが現れる。
冬の間、河原の土手が野焼きによって丸裸になった後、炭色にくすんだ土の中から芽を出した雑草は、この時期、一週間もあれば背丈を大きく伸ばすことが出来る。それと同時に菜の花たちは一斉に咲き広がり、生命のリズムが躍動の周期に入った事を宣言するのだ。それは、街の人たちが桜を愛でながら宴席を囲む時期よりもずっと早い。春を告げる花。ぼくは菜の花が好きだ。
今年初めての釣行は3月17日だった。この日は久し振りの波介川 を上流から最下流まで流してみた。釣果はなし。
翌週の3月25日はバスは釣れず、代わりにニゴイが釣れた。
ところで、春は、ぼくのターゲットであるブラックバスの産卵の季節だ。時期になると、水底が目視できるくらいの浅場に、白っぽく丸い産卵床が見え始める。低質が固く流れのない所で、オスは泥やゴミを体で払って産卵床を作る。そこにメスを招き入れ産卵と放精が行われる。ともあれ、春はバスが浅場に上がって来る事から、釣り人にとって、冬から待ち続けたチャンスが到来する時なのだ。
4月1日。今日も波介川へ向かった。春のチャンス到来を待ちわびていた釣り人はぼくだけではない。先週までは、ほとんど見かけなかった釣り人たちが、今週は大挙してやって来ている。川岸に立ちルアーをキャストする者。エンジン音とともに通り過ぎて行く釣り用のボート。そんな景色にシーズン到来を実感する。
川の水は先週よりも濁っていた。濁りは釣りにとってマイナス要因なのだ。環境の急な変化を魚は嫌う。
菜の花の咲く土手沿いをしばらく歩いていくと、水量のある流れ込みがあった。この流れ込みから流入する水は、本流の濁った水よりも透明度が高かく、本流と水がぶつかる辺りで濁りとの境目が出来ている。魚はこういった所で好んで捕食行為を行う。もちろん釣り人にとっては好ポイントだ。
濁りの境目にルアーをキャストし、いくつかのルアーの動かし方を試す。バスという魚は同じ場所で同じルアーを投げても、動かし方が違うと口を使ってくれない。だから釣り人は正解の動かし方を試行錯誤する。そもそも今選択しているルアーが正解かどうかも分からないので、ルアーの選択も試行錯誤しなければならない。そして、ルアー毎にそれぞれ複数の動かし方が存在する。バス釣りは、その日の正解を求めての試行錯誤のゲームだ。
ルアーを水底からしゃくるように鋭く動かすと、魚からの反応があった。よく引いたが本命のバスではなく、またもやニゴイだった。でも、魚の反応があるのは良い事だ。同じポイントで同じルアーとアクションを繰り返す。再び魚信が糸を走る。本日の2匹目は、ようやく本命のバスだった。体調25cmほどのヤングバス。魚の下あごを掴み水から引き抜くと、体表に鮮やかな模様の浮かんだ健康的な高知のバスだった。丁寧に針を外し魚をリリースすると、魚は、勢いよく棲み処へ戻っていった。リリースした手に残るバスの匂いを感じながら、いよいよ今シーズンもスタートしたな、と思うのだった。