南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

遊びを考える

2023.8 大分市

 

 最近は「遊び」について考えることが多かった。

 きっかけはカンニング竹山の新書「50歳からのひとり趣味入門(ポプラ新書)」を読んだことだ。きっかけとしてはこの本なのだけれど、この本を手に取ろうとした時点で、なにか日常に物足りなさを感じていたのかもしれない。

 本の事をネットで知って、近所の本屋に行った際に書棚を探したのだが、見つからなかった。近所の小さな本屋だから置いてある本の数も限られていて、まあ仕方ないよなと思う。アマゾンで買えばすぐに手に入るのだけれど、なんとなくそうしなかった。

 同じ本屋に行っては、竹山の新書は見つからずということを3度繰り返して、4度目にようやく件の新書を見つけた。一度手に取ってパラパラと眺めて書棚に戻して、その棚を離れた。写真の本を眺めたり、アウトドアの本を眺めたりしてから、やっぱり気になって棚から竹山新書を引き出してレジへ向かった。

 

 それから寝る前にパラパラと眺めながら数日をかけてその本を読んだ(ぼくは本を読むのが遅いのだ)。内容は題名のとおり、カンニング竹山のいろいろな趣味のことが書かれているのだけれど、竹山さんのキャラなのかもしれないが、趣味と堅苦しく捉えるよりも「自分を喜ばせる楽しみ」といった感じの気軽さが、読んでいて心地良い。

 

 この本のもっとも心に刺さる言葉は、プロローグにある。仕事に行き詰まりつつあった中堅芸人の竹山に、芸能界の大物が「遊び」効用を説くエピソードがそれだ。

 

 カンニング竹山の「遊び」の本を、寝る前の一時の楽しみとしているこの頃は、やたらと忙しい日々だったりする。そんな中でも「自分を喜ばせる楽しみ」=「遊び」のことを、まだまだ考えている。お気に入りの手帳に箇条書きにして、自分が楽しみを感じることを並べたりしている。

 そうしていると、今までも趣味としてやっていたことは勿論、なんとなくいつもやっていた事、やりたかったけど色々な制約で出来なかった事、やったことが無いけれど面白そうだなと改めて思えるものが十数個も書き出された。そもそもが手帳に文字を書くこと自体が「自分を喜ばせる楽しみ」だったりするのだ。

 

 ところで、話は飛ぶのだけれど、家のベランダはわりかし広い。だけど、ベランダに出てゆっくりと景色を眺めることなど数えるほどしか無かった。今夜のこの文章はベランダにコールマンのチェアを出して、月を眺めながら書いている。ショパンのノクターンを低く流しながら、ビールを手元に置いてあり、足下にが電気仕掛けのランタンの灯が揺れている。夜風は心地良く冷ややかで、虫の声が心を和ませてくれる。

 

 これも立派な「遊び」だと思うのだが、どうだろう。