南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

ジョイフル


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同僚と一緒に、お客さまを訪問する事になった。

そういう事はよくある。

 

その日は朝から忙しくしていて、その同僚と事務所を出掛けるギリギリまで、別の仕事に追われていた。ようやく同僚の車に二人で乗り込んだのはお昼の12時少し前だった。

 

客先までは車で30分程だったので、午後1時のアポまではそんなに余裕もなかったが、急ぎで昼食を済ませようと、大分県が誇るファミレスチェーン「ジョイフル」に飛び込んだ。

 

思えば、随分久し振りのジョイフルだった。全国転勤をしていた頃は、どこの街に行ってもこのジョイフルがあった。けれど、他県に住んでいた時にジョイフルに行ったことがない。なんとなく、知らない街で突然幼馴染に会ったような、気恥ずかしいような気がして。

 

高校生ぐらいから二十代の前半の頃までは、友人たちと遊んだ後、まだ家には帰りたくなくて、ジョイフルでコーヒー1杯で何時間も過ごした。

 

この頃はコーヒーがおかわり無料で、女性の店員がテーブルまでやってきて「おかわり如何でしょうか」と声をかけてくれた。ぼくらが何時間もいるものだから、何度も何度も「おかわり如何でしょうか」が繰り返された。ぼくらも律儀にコーヒーを飲み干しては、何度もおかわりを頂いた。いい時代だ。

 

朝方になって、客席には僕らしかいなくなった頃には、さすがに「おかわり如何でしょうか」のお姉さんはやって来なかった。そんな時間帯には、ぼくらはどうにも退屈しきっていて、仲間の誰かが「砂糖って、どれくらいまでコーヒーに溶けるか試してみよう」と、シュガーポットの中の砂糖をスプーンですくい、何杯もコーヒーに入れ始めた。しばらくは普通に溶けていた砂糖がカップの底に溜まりだし、やがてコーヒーの水面下に、溶けきれない砂糖の山ができた。ぼくらは疲れ切ってもいて頭が少しゆるくなっていたので、誰かが大声で笑い出したのにつられて、みんなで壊れたおもちゃのように、客のいない店内で大声で笑った。時代はバブル絶頂に向かう、1980年代の末期だった。

 

午後1時のアポに間に合わせようと、久し振りのジョイフルで、ぼくは日替わりランチを食べた。ハンバーグと唐揚げの定食だった。充分に美味しくて、それでいて500円玉1つ、ワンコインの代金だった。このインフレのご時世でジョイフルは偉いよ、と思う。

 

この日、懐かしいジョイフルに元気づけられたお陰か、午後の仕事を首尾よく終えることができたのだった。