南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

里山と郷愁

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沖縄には花粉症がないという。それは、沖縄にスギやヒノキがないからだそうだ。

そういえば、本土にいた頃は毎年2月の上旬くらいから、アレルギーの薬を飲み続けていたのだった。それはとても面倒なことで、しかしながら、仕方のないことだった。きっと今頃は花粉シーズンの真っ只中で、苦しんでおられる方も多くいらっしゃるでしょう。花粉症同士の皆さん、お見舞い申し上げます。

 

その花粉症がないはずの沖縄で、去年今年、この時期にぼくは少しアレルギーっぽいクシャミが出始める。この2年は周囲がコロナに敏感になっていたので、クシャミを連発していると嫌な顔をされる。

「花粉症なもので・・・」と言うわけにもいかない。

 

少し調べてみると、沖縄には独自の花粉があることが分かった。2月3月の時期には、リュウキュウマツの花粉が飛散するらしい。しかし、マツ科の花粉はひどい症状が出るこ事はあまりないらしく、それで、沖縄では花粉症患者がほぼ見当たらないわけだ。リュウキュウマツに反応しているとすると、どうやらぼくの花粉センサーは感度が良すぎるようだ。

 

ぼくは田舎の生まれだから花粉症になんかなりませんよ、と笑い飛ばしていた頃があった。20代の後半くらいまでだろうか。あんなものは都会生まれの人がなるもんでしょう、みたいに。その頃のぼくば花粉症なんか無く(ああ、なんて幸せだったんだろう)、季節になるとティッシュを手放せずクシャミを連発する職場の同僚を笑っていた。その後、花粉症の苦しみは十二分に味わうことになったのだが。

 

ルアー釣りが趣味で、山中のダム湖によく通ったものだが、ダムのあるところにはまず間違いなく、スギが大量に植林されていた。そんなところで一日中ロッドを振った日の翌日は、布団の中で朝目覚めると、目が腫れて、くっついて開けられなくなったりするのだ。

 

そんな過去を思えば、花粉症患者には沖縄は天国だと思う。

時間とお金と余裕があれば、花粉の季節を沖縄に滞在して過ごす、なんて事も良いのかもしれない。いやいや、ひょっとすると花粉症がしんどくて沖縄に移住したなんていう人もいるかもしれない。本土から沖縄に移住してきた人は、かなりの数いるだろうと思う。ぼくも仕事で多くの人に会うが、本土からの移住者と会う事が多い。

 

沖縄移住者にも実際に生活してみて、沖縄が肌に合う人と合わない人があるようだ。最近、お会いした高齢のお客さまは、元々関東の人だが「里山が恋しい」と言っていた。そういえば沖縄には里山の景色がない。そのお客さまは「年を取ると自分の生まれ育った景色が恋しくなるもんだ」と言われた。

元々は、奥様の病気の療養の為に移住してきたそうで、最後まで看病した奥様を数年前に亡くされ、今は一人で暮らしておられるそうだ。お話をすると、いつもこちらが元気をもらう。とても素敵な方なのだ。

身の回りの事は全部自分でこなし、シャンとして、緩やかに、そして、スマートに暮らしていらっしゃる。その佇まいに尊敬の念を覚える。もう80を超えているのだが、自分がその年になった時、そういう軽やかな生き方が出来るだろうか。

 

ぼくも転勤族でアチコチをうろうろする人生を送ってきたが、その方の言うことが少し分かるような年になってきたのかもしれない。やっぱり、どこかに郷愁のようなものがある。

 

しかし、一方で「故郷は遠くにありて思うもの」とも言うではないか。生活となれば、何処だってそれなりに煩わしさがある。人間関係が濃い地元なら、なおさらかもしれない。お客さまに比べて、やはり、まだまだぼくは青いのかもしれない。

 

そうなると、やっぱり「住めば都」というのが一番大切な心構えかもしれない。どこにいても、楽しみを見いだして生きていく。その為には肩肘張らずに、生活の中にささやかだけど本当の喜びを見いだしていくことが秘訣だろうか。

 

今の不透明な世の中で、それは実は大切はスキルなのかもしれないと思ったりするのだ。