日本三大祭というのは、京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」、東京の「神田祭」の三つを指して呼ぶらしいですね。ものを知らないぼくは、ああ、そうなんだあと思うばかりです。
いちおう九州人のぼくは、博多祇園山笠は入ってないの?あんなに人が集まるのに、と思ってしまいます。きっと、大きなお祭りの多い東北の人は、東北のお祭りを思い浮かべて同じことを思うでしょうね。
転勤族のぼくは縁もゆかりもない土地を転々と暮らしてきましたが、その土地に行って初めて知るお祭りというものが、意外と多いものです。
その土地では伝統的な祭りで、毎年の街をあげての一大行事なのに、県境を越えると他県にはほとんど知られていないお祭りがあったりします。
熊本に住んでいた時に知った「藤崎宮の馬追い祭り」などはその典型です。飾り馬を何十頭もの大行列で、中心街を一日中行進するというものです。馬に酒を飲ませて暴れさせたりするとかで、なかなか激しいお祭りでした。昔は、祭りの終わりには馬を潰して食べていたとか。馬刺しの国ですもんねえ、熊本は。
当時から動物虐待という人もいたそうですから、今もそんな感じで行われているかは分かりません。また観に行ってみたいお祭りです。馬刺しも食べたいなあ。
熊本の話はこの辺で止めまして、今回は沖縄県は那覇市のお祭り「那覇大綱挽(おおつなひき)」のお話です。
このお祭りは綱引きなんです。東と西に分かれてシンプルに綱引きを行うんです。なーんだそんな事か!という声が聞こえてきそうですが、そこはお客さん、見ていって下さい。損はさせませんよってなもんで、大綱なんですよ。とにかく大きんです。
どれくらい大きいかというと、こんな感じです。
ねえ、なかなかのもんでしょう?ここに写っているのは西方の半分ですよ。東方がおんなじだけ反対側に横たわっています。
そもそもここは沖縄県内を南北に結ぶ幹線道路の国道58号です。通称「ごっぱち」地元の人はそう呼ぶようです。
その幹線道路の中央分離帯を取り外して、綱引きの会場にしているんです。お客さん、聴き間違いじゃありませんよ。ここの中央分離帯は取り外し出来るように作られているんです。それだけでもこの綱引きがただの綱引きじゃないって分かるでしょう?
重量40トンを超えるこの大綱を引き合うっていうんですから、それは壮観です。え、そんな重たい綱が動くのかって?ええ、動きますとも。なにせ綱引きには27万人の人が参加したっていうんですから。
いきなり綱引きは始まりません。まずは旗頭(はたがしら)と呼ばれる男衆が、大きな幟を掲げて勇壮に現れます。この幡は腰に巻きつけた帯に柱を乗せて、人が抱えているんです。すごいよね。
那覇市のこの辺りは、普段から風がよく吹き抜ける場所ですから、幡が風に煽られて大きく傾くことがあります。そんな倒れそうになった幡を、周りの男たちが小さな「さすまた」のような棒で支えます。
旗頭が練り歩く間に、銅鑼を打ち鳴らす音や、爆竹が爆ぜる甲高い破裂音が鳴り響きます。この辺りは何だかアジアチックなんです。
この大綱挽は、昔は薩摩や中国大陸からの要人をもてなす為に行われていたとか。やっぱり沖縄は、歴史的にも日本とアジアを繋ぐ場所なんですね。この後、沖縄空手の演舞なんかもあって、琉球文化を堪能しました。
この大綱挽で特徴的なのが、場所柄、外国人の参加者がとても多いという事です。観光客もいますが、やっぱり米軍関係者が沢山やって来ます。
外国の人たちも、本当にこの祭りを楽しんでいます。綱引きというシンプルさも彼らにはウケているんじゃないかな。
運営側にも米軍基地関係の人たちもいるようで、いろんなものが混然一体となってこの祭りの大きなエネルギーを生み出しているようです。
まあ、外国の人たちは明るい。彼らを見ていると、人生の楽しみ方が上手いなあと思わされます。
重さ40トン以上の大綱ですが、実際に引手たちが引くのは、大綱から枝分かれした「手綱」の方です。そりゃそうですね。あんな大きい綱じゃ引けません。手綱が回って来て、いよいよ始まります。
録画しておいたTVの画面で見ると、やっぱりすごい人出ですね。
「はーいや!はーいや!」の掛け声で引きます。
一進一退で続いていた綱引きでしたが、突然、大綱が片方に大きく動き始めました。そして勝敗は・・・
・・・と、思われたのですが。
綱が切れた為に引き分けだそうです。そんな事滅多にないそうですが。
参加者たちは、勝敗はむしろ関係ない感じで、みな一斉に綱に群がります。大綱によじ登り大騒ぎする者たちも。綱引きに参加していなかった観客も、勝敗がつくと大綱に群がり始めます。そして、彼らの手に握られているのはノコギリ!
何をしているかというと、綱引きの綱を切って、みんな持って帰るのです。この大綱は縁起ものだそうで、これを持って帰り家に飾ると、厄除けになると言われています。
みんな、綱を手にして嬉しそうですね。大きな綱を抱えている強者が沢山いましたが、ぼくは控えめに小さめの綱を二本持って帰りました。
旗頭の人たちも徐々に片付け始め、大綱挽はおしまいのようです。
那覇大綱挽。ここに来なければ知らなかったお祭りでした。いや、でもスゴイ熱気でした。
おしまい。