南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

ぼくは、プロレスの味方なのだ

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ぼくは、かなり年季の入ったプロレスファンだ。

今日のAbema TVで、武藤敬司VS清宮海斗のタイトルマッチを大いに楽しんだ。

 

日本のプロレスの源流は力道山に遡るが、そこからアントニオ猪木の系譜とジャイアント馬場の系譜に分かれている。

 

めちゃくちゃ大雑把に言えば、武藤敬司は猪木の系譜であり、清宮海斗は馬場の系譜だ。(プロレスファンの異論は大いに認める。武藤はその枠に収まりきれないだろう)

 

二つの系譜の魂は、時代と共に色合いを変えながらも、多様化が進んだプロレス界で、今も流れ続けているように思う。そう思うと、嬉しく感じてしまう。

 

今回の防衛戦は、58才のチャンピオンと24才の挑戦者の戦いだった。

 

58才のチャンピオンなんて、他の格闘技ではちょっと考えられないだろうけど、プロレスならば有り得るんだな。これが。

 

プロレスは、観客に魅せながら戦い、そして、説得力を持たせて勝たなければならない競技だと思う。

 

今回、その魅せる力と、勝つ説得力の両方を58才のチャンピオンは持っていたのだ。これは凄い事だと思う。この老獪なチャンピオンに、勇気をもらったおじさんたちは多いのではないかなあ。

 

今、放映中の宮藤官九郎のドラマでも、主人公の長瀬智也はプロレスラーという設定で、少しプロレスが盛り上がっているのかもしれない。

 

戦後復興の街頭テレビで、外国人レスラーにチョップを叩き込む力道山の姿に、当時の人々が勇気をもらったという。今の閉塞感のを打ち払うには、プロレスという分かりやすいエンターテイメントも良いものだと、プロレスの味方である僕は思うのだ。


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