人生で初めてフェスに参加した。
自分がフェスに行くなんて想像していなかった。何を持って行けば良いかも分からず、「フェス、持ち物」で検索したりした。
なぜ50代半ばになってフェスに行くことになったのかは、カンの良い読者は分かったかもしれないが、中森明菜が出ることになったからだ。
当日は朝から快晴で気温も上昇しそうだったので、きっと暑さにやられるだろうと考え、のんびりと午後からの参戦になった。お目当ての明菜は16時5分から。その前の15時からがウルフルズだったので、その時間に合わせて家を出た。
トータス松本を随分と久し振りに観たが、まったく変わらずに「トータス松本」だった。ロックスターのオーラを纏い、見事な歌と演奏で会場を魅了した。ウルフルズについてももっと書きたいが、今日は中森明菜なのだ。
今回の明菜のステージは「TK LEGENDARY WORRKS」としての出演だった。
発表されているメンバーは小室哲哉、鈴木亜美、氷川きよし+KIINA、そして、中森明菜が中心となる総勢7組のアーティストによるもの。
鈴木亜美の「BE TOGETHER」も良かった。氷川きよし+KIINAも流石のステージだった。だけど、今回は中森明菜なのだ。
氷川きよしがステージを去った後の一瞬の間に、13,000人の観客で埋まった会場に期待感が満ちるのが分かった。ぼくは、明菜が本当にステージに現れるのか最後まで信じられないような不安があった。この十数年の彼女を心配しながら見守っていた。
ぼくが生の中森明菜に会うのは二度目だ。一度目は中学二年の時だった。
サッカー部のチームメイトの長谷川くんに「凄い新人がデビューした。その娘が今度パルコで握手会をするから行かないか」と熱を込めて誘われたのだ。あまり気乗りもせずに連れて行かれたようなものだった。
パルコの(当時大分市にはパルコがあった)小さな会議室のようなスペースに集まったのは50人もいなかったと思う。入り口でシングルレコードを買わされた。出たばかりの「少女A」だった。まだ、全く売れていない曲だった。ぼくは長谷川くんに700円を借りてレコードを買った。(全く気乗りがしていなかったのでお金を持ってきていなかった)
殺風景な会議室のような場所に集められた少年達は、大人の音頭でかけ声の練習を何度もさせられた。「L・O・V・E ちょっとエッチなミルキーAKINA~」こんなフレーズを何度もやった。当時の明菜のキャッチフレーズは「ちょっとエッチなミルキー娘」だった。
田舎の少年達の練習の甲斐も出た頃に、司会の大人(おじさん)が声を張った。「それでは中森明菜ちゃんの登場でーす!!」
狭い会場の前方右のドアから、可愛らしい女の子がはずかしそうな笑顔を浮かべて入ってきた。有名になった後もよく見せた「恥ずかしそうなあの笑顔」だ。オーバーオールのジーンズ姿にポニーテイルだったと記憶する。
彼女は小さな木の台の上で「少女A」を歌い、ぼくらは練習の成果をその曲に合わせてコールした。その後に握手会が行われて、ぼくは中森明菜と対峙した。
その手は2日は洗わなかったはずだ。
明菜はこの後、宮崎に移動し当地で少女Aのキャンペーンを行うと司会の大人(おじさん)が言った。会場のリーゼントの兄ちゃんが「だったら俺のバイクのケツに乗ってけば良いよ。送っていくぜ」と明菜に呼びかけた。まだ、そんな事が言えるような無名に近い少女は、また、「あの笑顔」で笑って見せた。
帰り道で長谷川くんは満足そうな顔で言った。「少女Aよりも、スローモーションの方が良い曲なんやけどなあ」
それから間もなくテレビのザ・ベストテンで「少女A」は初登場した。そして、あっという間に明菜はベストテン1位の常連となり、その後の活躍はご存知の通りだ。あの恥ずかしそうな笑顔の少女は天高く舞い飛上がり、歌姫として時代に降臨した。
1989年のスキャンダルから、長く曲がりくねった道が続いた。
90年代になると、時代は歌謡曲を軽んじるようになったようにみえた。社会人になったぼくも歌謡曲を聴かなくなっていった。
そして、昭和最後の歌姫も、時代や色々なものに巻き込まれ飲み込まれて、輝きを失っていったように見えた。
2025年4月19日。ジゴロックのステージの右袖から彼女が現れた。
7月に還暦を迎えるという彼女は、年相応に年齢を重ねていた。ぼくは彼女と誕生月が同じだったことを思い出した。そして、そのことを喜んだ高校生の自分を思い出した。
ぼくは泣いていた。別に中森明菜の熱烈なファンだったわけじゃない。でも、彼女が視界に入り、会場が沸き立つ中で勝手に涙が流れていた。
周りには同年代の観客が多くいた。目を真っ赤にしているご婦人がいる。帽子のおじさんはタオルで目を拭っていた。多くの人たちが泣いていた。
ステージに向かって、女性の声が叫んでいた。「明菜ちゃん、ありがとうー。ありがとうー。ありがとうー」彼女の声も涙声だったと思う。
ぼくも心で同じ事を叫んだ。そして、知らない女性の声に「ぼくの分まで、もっと有り難うって言ってくれ」と思った。