南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

ウイスキーの味わい

 

 土曜日の夜に友人Kと蕎麦を食べに行くことになった。初めての蕎麦屋だった。

 ぼくもKも蕎麦は好きだが、蕎麦を食う前の酒がもっと好きというタイプである。つまみながら日本酒を気持ち良く飲み、お互いの近況などを話した。

 

 蕎麦は美味しかった。関東には美味しい蕎麦屋が沢山あるけど、九州の地元では美味しい蕎麦屋にはなかなかお目にかかれない。だから、美味しい蕎麦屋は貴重なのだ。

 

 この一週間、仕事絡みのお酒が続いていたというKは少し疲れていた。店を出て彼と別れたのだが、時間はまだ夜の8時前だった。折角、出てきたのだからと、久し振りに夜の歓楽街を一人で歩くことにした。

 

 少し賑わいの戻った歓楽街を歩いていると、ふと、美味しいウイスキーが飲みたくなった。そういえば以前行ったことのあるバーが近くにあったはずだ。最後に行ったのが7,8年前だったので、長引くコロナ禍でお店が続いているか分からなかったが、行ってみることにした。

 果たしてそのバーはまだ生き残っていた。懐かしい看板を見つけ安堵しつつ、店のドアを押した。



思えばここは二十歳くらいの時に、生まれて初めてバーに入ったというお店だ。

当時、絵描き志望で今はドイツに住んでいるA君と、二人でおっかなびっくりでドアを開いたのが懐かしい。

 

久し振りのカウンターの向こうには、整った白髪を撫でつけたジェントルなマスターが変わらない姿で立っていた。バーというものに多く通っていたわけではないので、ここにもそう多く訪れているわけではないが、いつ来ても変わらない佇まいでマスターはそこにいる。なんだかそれが嬉しい。

 

カウンターでウイスキーを味わいながら、マスターと少し言葉を交わす。この店が開業して40年になるという。ぼくがおっかなびっくりでドアを開けたのが30年ほど前のこと。その頃から、記憶の中のマスターの風貌は変わらない気がする。

 

 

あの頃はカクテルがブームだった。「ハートカクテル」というオシャレなコミックが流行っていたり、「カクテル」という映画でトム・クルーズがスクリーンの中でボトルを回していたっけ。

 

ぼくは正直に言うと、あまりカクテルは好きでない。バーに来る目的はウイスキーで、中でもシングルモルトのアイラウイスキーがとても好みだ。独特のスモーキーフレーバーには中毒性がある。これにやられている同好の士も多いと思う。

 

若い頃と違って、量をたくさん飲みたいわけでもない。酔って忘れてしまいたいことがあるわけでもない。ただ純粋に美味しいウイスキーを味わいたいと思う。こういう風に思えるようになるには、相応の年齢が必要だと、二十歳の自分に言ってあげたい。

 

ウイスキーの語源は「命の水」だという。自分が生命力に溢れていた若き日にはなかったことだが、今はこの「命の水」が、生きるということを豊かにしてくれる実感がある。

 

小一時間をかけて二杯のウイスキーを味わい、席を立った。今夜もウイスキーの酒精に、生命を少し分けてもらったようだ。