南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

変化の日々に疲れたら

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那覇市 2021.11

 

思えば、社会人になってストレスフルな職場で働くことが多かった。新卒で入社した会社は、今の基準でいえば完全にブラック企業だった。

 

当時の職場で、キレた支店長が中堅営業マンに跳び蹴りをした光景を忘れられない。その会社で15年ほど働いたが、上意下達のノルマの世界は、まるで戦時体制の軍隊のようだった。ノルマの絨毯爆撃とコンプライアンスの地雷原の中を駆け抜けた日々。その戦火を共にくぐり抜けた戦友とは、会社が変わった今も良い友人だ。

 

そのせいか若い頃からストレスとの付き合い方に関心があり、ストレスに関する本を何冊か読んだりしていた。人間は「変化をストレスと感じる」ということが、その時に学んだことの要旨だ。良い変化も悪い変化も「変化はいずれもストレス」だという。そこでは「結婚」も「離婚」も同様「変化」であって「ストレス」なのだ。

 

ある本によれば、ストレスは出来事ごとに数値化されていて、ストレス数値が一番高かったのは「配偶者の死」だった。働く人にとっての「職場の変化」や「昇進」や「転勤」なども全てストレスとして数値化されていた。それらの出来事が重なるときに、それぞれのストレスの数値は加算されていき、合計値がある上限を超えてしまうと心身に異常が現れるという。

 

だから、変化が多くストレス数値の合計値が高くなる時期には(転勤と同時に結婚し子供が生まれるなど)、それを見越して心身を休めるように計画をした方が良いというのが、その本から得た知恵だ。そんな時にストレス解消を謳って、無理な弾丸旅行に行ったりしてはいけない。そんな時はじっとして心身を休めるのだ。怪我をした野ウサギが穴の中で回復を待つように。

 

今の世の中を見回してみれば、変化、変化の日々だ。コロナウイルスの出現で世界の慣習は一変した。それに伴うリーモートワークや、休業指示など、日常はまるで変わってしまった。日本全体のストレス数値は随分と高く積み上がっているのではないだろうか。

 

そんな状況下、日本での感染者は不思議なことに低位で推移し続け、日常が戻りつつあるという。メディアが「リベンジ消費」などといって「動いて金を使え」と大衆を煽る。そこへ「オミクロン株」の登場だ。今度は、メディアは打って変わって、それは危険な変異株だといい危機感を煽り始めた。

 

人間にとって「変化」はストレスだが、ウイルスにとっての「変化」はそれほどストレスではないらしい。怪我の癒えた野ウサギと一緒に、もうしばらく穴の中でのんびりしていたくもなるこの頃だ。