南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

かつて、コンプライアンスのない時代があったのだ

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沖縄 本部町 2020/2

 

 

 最近、何だか世の中がきゅうきゅうとして息苦しく感じることがありませんか。

 

 いつからこんな風になったのかしら、と考えていたら、コンプライアンスという言葉が思い浮かびました。法令遵守だそうです。今では法令遵守を越えて、常識遵守、忖度遵守、空気読むの遵守な世の中になってきたぞ、と思わないでもない。ふう。

 

    コンプライアンスなんて言葉は、90年代の前半までは、誰も知らなかったんですよ。そういえば、そんな時代のエピソードを思い出しました。

 

     それは、90年代の九州のある地方都市での事。夏休みの声を聞くと、多くの若者が自動車学校になだれ込んでいました。そして、ぼくもその若者たちの中の一人でした。

  今もそうなんでしょうか、当時、自動車学校には「公認」と呼ばれる自動車学校と「非公認」と呼ばれる自動車学校がありました。「非公認」の方は「公認」に比べて圧倒的に料金が安かったので、当然、ぼくは「非公認」の方に通う事になりました。

この「非公認」の非公認ぶりが凄かったんです。まあ、まともではあり得ないような所でした。

 

  ある日、教習コースを何回か回って自動車学校にも少し慣れてきた頃のこと、教習コース沿いの大きな水銀灯の柱が根本からグニャリと折れて、枯れたヒマワリのようになっていました。教習車を運転しながら、その事に気づいたぼくは「あの水銀灯のどうしたんですか?」と、隣のシートの教官に尋ねました。「ああ、あれなぁ………」教官は言いにくそうに続けました。「◯◯が教習車でスピードを出し過ぎて、ぶつけて折れたんや」

  この自動車学校の教官の中には、けっこういい加減な人も多くて、「◯◯は、運転のスジが良いわい。コースを△△秒で1週しよった」などと、笑いながら、本気で感心しているおじさん教官なんかもいた。その話を、他の教習生の隣に乗った時にするものだから、若いバカ男子たちは、教習コースでタイムアタックを競い始めたのでした。

「◻️◻️が△△秒を切ったぞ」などと、新記録が出るとあっという間に噂が広まり、我こそはとペダルを踏み込むのです。今、思い出しても馬鹿げてますが。

  そういったバカ男子たちの無謀な競い合いの末に、コースアウトした教習車が水銀灯に突っ込んだのでした。幸い、運転していた◯◯くんに怪我はなかったと聞きますが、ここの教官たちなら、多少の怪我でも「大丈夫。死にやせん」などと言って、事故を揉み消そうとするかもしれないな、と思いました。

   車庫入れの教習では「これが、でけんと女の子とラブホテルに行けんぞ」などと、ハッパをかけてくる教官たち。まあ、長閑な時代です。

  こんな事もありました。夏休みも半ばになると、免許を取ろうと、自動車学校にやってくる若者たちが更に増えてきます。実技教習の時間割りは、いっぱいいっぱいになってしまい、教習を受ける者の数が多すぎて教官の数が足りなくなってくるのです。そんな時には、「おい、ふくたろう、お前、もう運転に慣れたやろう。☆☆さんに教えてやってくれ」と、初めてハンドルを握って1週間程度のぼくに新人の教習をさせるのです。まあ、可愛い女の子の指導をする事もあったりして、それなりに楽しかったのですが。教習コースでのドライブデート。あまり笑えませんか。

 

  この文章を読んで、それこそコンプライアンス違反だ、などと目くじらを立てないでくださいね。もう、随分と昔のお話ですし、昔話にはいろんなフィクションが入ることもあるでしょう。ともあれ、コンプライアンスの無い時代を過ごしてきたものだから、余計に今の世の中が窮屈に感じるんです。困ったものです。