2018年8月9日。ぼくらはビルの屋上で夕方の空を見上げていた。薄く雲がかかった空の下、ビルの谷間に路面電車がゴトゴトと音を立てながら進んでいく。日が傾くにつれ街は熱を帯び始めている。
甲高いジェットエンジンの音を響かせながら、ぼくらの頭上を6機の航空機が西南から北東に抜けて行った。それを追うように、皆、頭を傾ける。今年のよさこい祭りはブルーインパルスの展示飛行で開幕した。
午後6時前。市内中心部のビルの屋上で、皆、仕事の手を休めて航空ショーを眺めていた。あそこのビルの屋上でも、こちらのビルの屋上でも空を眺める人影が並ぶ。缶ビール片手の強者もいる。もう街はとっくに、祭りの熱にやられている。
<夜になったら、いらっしゃい>
改めて触れておくと、「よさこい」とは土佐弁で「夜にいらっしゃい」という意味である。よさこい節には数多くの替え歌の歌詞があるそうだが、最も有名な歌詞はこれだろう。
『土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい』
高知の五台山竹林寺の僧が、20も下の17才の鋳掛屋の娘と駆け落ちした史実をモチーフとするものらしい。「夜にいらっしゃい」。よさこいには、少し色気がある。祭りの4日間、艶やかに飾った女と、粋を纏った男が、夜まで踊り舞うのだ。
<はちきんと志願兵>
よさこい祭りで踊る事は、文句なしに楽しいものだ。しかし、その当日を迎えるためには苦労も多い。例えば、祭りの数ヶ月も前から練習は始まる。それは、まるで中高生の部活動のように真剣で熱心なものだ。踊り子たちは皆それぞれの日常をやりくりしながら、その練習に参加するのだ。
費用の負担もある。参加者は自費で参加料を支払い祭りを踊る。参加費は衣装代も込みで一万円では到底足りない。地域の経済情勢もあり、最近はチームの母体からの資金支援も厳しいようだ。某有名チームがインターネットを用いて資金調達をしたという話も聞いた。同じ四国の徳島阿波踊りが財政的に破綻したというニュースは、きっと高知のよさこいにも少なからず影響を及ぼすのではないかと思う。
そんな諸事情がありながらも、よさこい祭りを踊る各チームは、この真夏の数日間に賭け情熱を爆発させる。その中核を務める踊り子たちは皆志願兵だ。少なくともぼくらのチームでは、各人に何の利害関係もない。そんな所属も背景も異なる人たちが集まり、一つの事をやり遂げようとするのはとても大変な事だろうと思う。ぼくらのチームを引っ張っているのは皆女性たちだ。チームリーダーは、率先して喜々と踊っているように見えるが、その陰にはきっと苦労もあるだろうと思う。
「よさこいが好きやき、踊りよるだけながよ」
それでも彼女たちは、「男前」な笑顔を輝かして、きっとそう言うだろう。そして、本人たちにしてみれば実際にそうなのかもしれない。
<よさこい従軍カメラマン>
ぼくが、よさこい祭りに参加するのは3回目になる。そして、今回のぼくには秘策があった。ランニング用に使っている小型のウエストバックを衣装の下に巻き付け、防水仕様のポケットの中にコンパクトカメラを入れておいた。
毎年、祭りに参加する中で、外から見たよさこいではなく、踊り子として内側から見たよさこいを写真に記録したいと思うようになったのだ。流石に踊っている最中の撮影は無理だが、演舞場となる商店街から商店街への移動や、出番を待って炎天下で待機している様子などをカメラに収めた。
最初は人見知りしていた子供たちが、徐々に慣れて大人とじゃれ合ったりする姿を見るのも微笑ましい。チーム内で、子供たちは子供たちで社会を形成し成長している。大人と子供がチームとして入り混じるのは、とても自然な光景だった。
暑さと疲れにヤラレそうになっている大人たちも、カメラを向けると顔を作ってくれる。しかし、時間が経過するにつれ、そんな余裕も無くなっていった。今回の記事で使った写真は、そんな「よさこい従軍カメラマン」の記録の一部なのです。
<陸の孤島のウミネコ>
去年のよさこいから、もう一年経ったのかと思う。時の流れは言うまでもなく早い。
毎年一緒によさこい祭りに参加している、我が職場の若手は今年も元気だ。
二十代の彼らにとって、一年間という時間の密度は、ぼくとは比べものもなく濃いものだろう。自分の二十代を振り返ってそう思う。
彼らを見渡してみれば、この一年で伴侶を見つけ、直に親になる者がある。
また、ある者は、昨年のよさこいの直後に上司が異動で変わり、それまでの苦難の時代を経て仕事で羽ばたいた。「サラリーマンは運が8割。上司次第さ」。むかし、ぼくが若い頃、酒に酔った先輩がうそぶいた言葉を思い出す。「3年も我慢すれば、嫌な上司もどっかへ行くさ」。サラリーマンも色々大変なのだ。
別に、一見お調子者に見える男がいる。社内で軽薄そうに見える彼もこの1年で社外に多くの友人を作り、しっかりとしたネットワークを築いている。男も女も、ぼくの知らない若者が彼に声を掛けて笑顔を向ける。
職場で一番の若手がいる。彼は自分の居場所を作ろうともがいている。慌てなくてもこれからだ。
沖の島で巣を作るウミネコが、陸前高田で津波を避けて、空き家の瓦礫に巣を作り始めたという記事を、いつだったか見た。ウミネコは巣を中心としたコロニーを形成するという。雛たちはそのコロニーで成長し生きる術を身につける。そして、45日ほどで親鳥から「突き放し」をされて巣立つらしい。
高知という地方都市は四国山脈と太平洋に挟まれた陸の孤島だ。この一年をここで過ごした若者たちにとって、それはまるでウミネコのコロニーのようではないか。喜びや、困難や、友情や、愛情や、愚かさや、賢さを、人の中で学んできたのだろう。彼らはこの一年で少し逞しくなっていた。
いつか彼らがここを巣立って行って、やがて時が流れた後に、この地方都市で過ごした日々と「よさこいの熱」を、懐かしく思い出すことがあるだろうと思うのだ。
<よさこいを支える人たち>
ぼくらは、一日中、真夏のアスファルトの上で踊り続けた。商店街から商店街を移動し続け踊り続けた。朝からどれくらいの水とビールを飲んだだろう。地方車とサポートスタッフから届けられる飲み物なしでは、この行軍は全滅してしまう。
よさこいは多くの人たちの協力によって成り立っている。
チームに随行するスタッフは「陰の踊り子」だ。舞台に立たない彼ら彼女らは、演技の合間に飲み物を配給し、ゴミを回収しながら踊り子隊について歩く。霧吹きを吹きかけ、団扇であおぎ、炎天下の踊り子たちの体温を下げようとしてくれる。
よく見てみると、踊り子たちの中には首からメダルを下げている者がある。各演舞場には審査員がいて、優秀な踊り子にメダルを授与するのだ。
中でも「花メダル」には特別な栄誉がある。「花メダル」とは、通常のメダルと違い、金属製の丸いメダルの周囲を、花が咲くように飾りつけたものだ。「花メダル」を貰った踊り子の周りには、子供たちがワラワラと集まってくる。
「いいなー。どうやってもらったん?」「私にもかけさして」
この「花メダル」は、商店街の高齢者たちの手作りだ。一年かけて200個ほどを作るという。思いを込めて手間暇かけたメダルは、踊り子たちの憧れなのだ。
よさこい祭りに参加していて思う。人は自分一人では輝けない。場を与えられて、人から求められてこそ輝くことが出来るのだ。この祭りは全員が主人公だ。
<エピローグ>
ぼくらは今年もやり切った。この「やり切る」という事は、土佐人の精神の中心を形成する大きな要素のようだ。
「中途半端はいかんちや」
やるからには最後まで手を抜かず力を尽くすのが、この地の流儀だ。
日が落ちてきて、気温は下がって来たが、体の熱は内に籠ったまま下がることが無い。この体内に籠った熱は祭りが終わっても2、3日は引かないのだ。
ぼくらのチームは、夜の照明に照らされた最後の演舞場に辿り着いた。
「さあ、最後、やり切りましょう」チームの隊列の前の方で声が響く。
それに応えて声をあげる者、鳴子を打ち鳴らす者。
曲が流れ始め、今日、何度も踊った踊りを「最後だ」と思いながら、精一杯手足を動かす。体は重く、自分が思ってるほどの動きは出来ていないだろう。懸命に笑顔を作るが、疲労が隠せない。
長く伸びる商店街を、照明に照らされて進む。手を伸ばし、足を蹴るように上げる。演舞場の端まで踊り切り、ぼくのよさこいは終わった。しかし、曲はまだ流れ続けている。縦に長く列を作って踊るよさこいは、チームの先頭が踊り終えても、後方はまだ踊っているのだ。
ぼくは懐からカメラを取り出し、ゴールに向かって懸命に踊る踊り子たちに向けて構えた。カメラのモニターを凝視してタイミングを計る。照明の光が強すぎて、しんがりを務めて踊るMくんの姿が、白い光の中で消えては現れ、また消えた。
光の中で色を失った人影は、白い紙人形のようにひらひらと儚げに揺れた。光源からのラインを外れたMくんは再び色を取り戻した。躍動する。踊りは、いよいよ最後のパートに入るところだった。