「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。
砂浜が美術館だとすると
沖に見える「くじら」が作品です
海に打ち上がる「花火」が作品です
「海亀」が卵を産みにくることが作品です
「美しい松原」が作品です(だから残そうとしています)
「らっきょう」は砂浜の作品です
「黒砂糖」は無農薬の作品です。
磯の動物の名前をたくさん知っている「子どもたち」が作品です
4キロもある砂浜は私たちの大作ですが、この作品は毎日ちがう顔をして います
私たちは、考え、行動し、日本全国に「大切なことを伝えてゆく作品」 を、この「砂浜という美術館」から、発信してゆこうと思います」
(砂浜美術館HP:「その日」そもそものきっかけ・39日間の物語より)
高知県西部、幡多郡。
国道56号を黒潮町に抜け、道の駅「ビオスおおがた」が見える頃には、海岸沿いにクロマツの林が広がりだしました。
車を止めて歩き出すとすぐに、小さな野球場が見える。こじんまりとした「大方球場」は、それでもきちんとベンチが設置されていて、バックネットも球場をぐるりと囲むフェンスもしっかりしている。
快晴の空の下では少年野球の試合が行われていて、白いユニフォームの外野手が、緑の芝のフィールドをボールを追って駆けてゆきました。
高知市中心部から車で1時間45分かけて到着した「砂浜美術館」は、少年時代の夏休みのような、どこか懐かしい海辺の風景の向こうにありました。
「砂浜美術館」の事をご存知でしょうか?
「砂浜美術館」は建物のない美術館です。それは1つのコンセプトなのです。
すべては、1989年、大方町役場の企画調整係の若い職員と、グラフィックデザイナー梅原 真氏の出会いに始まります。時は折しも日本中がバブルの絶頂に浮かれている時期でした。
「地元の高校を卒業して、この地域に就職したわたしたちは、マスコミから流れてくる都会の情報におぼれ、いつも都会を追いかけ、あこがれてきた。しかし一所懸命追い掛けても、都会はそれ以上に早いスピードで先を走り、けっして追いつくことはできなかった。
いつも都会に媚び、いま「自分の住んでいるまち」が見えない「地方の若者像」がそこにあった」
(砂浜美術館HP:「その日」そもそものきっかけ・39日間の物語より)
その出会いから発した「地元から何かを発信したいという熱」は、この「はぐれ公務員」たちの周りに地元の20代30代の若者を巻き込んでゆきます。
そして、その熱が形になっていったのが「Tシャツアート展」という企画でした。通常の役場の手続きや決裁を経ずに、町長との直談判を経て実現したこの企画は、写真家の作品を200枚のTシャツの胸にプリントし、洗濯物を干すように展示するというものでした。
地方における単発の町おこしが、一時的な盛り上がりに終始しその先がなく、やがて自らの重みにつぶれてゆく様を、当時の梅原氏は「しっかりした考え方がないからだ」と憤ったといいます。
そして、この時、梅原氏が書いた「1000万円の企画書」の中のコンセプトのキーワードが「砂浜美術館」なのです。
快晴の5月4日。30回目の開催となる「Tシャツアート展」は、大勢の人で賑わっていました。200枚のTシャツからスタートした企画は、1000枚のTシャツが海風にたなびく壮観なものになりました。今ではそれぞれのTシャツの胸には、全国から応募のあった作品がプリントされています。
この日、ぼくは久し振りにサンダルで砂浜を歩きました。南国の日に焼けた白い砂が、ぼくの足を焼きそうになります。そして、その熱は、あの1989年の若者たちの熱のようでもあるな、と思いを馳せたのでした。
しばらく雄大な太平洋と美しい砂浜の体感に身を任せていました。そうしていると、「砂浜美術館」は、自然と人間と都市生活とについての何かを、しずかに問いかけてくるように思えるのでした。
地元産サトウキビから作った天然の黒糖を絡ませたローストナッツは絶品