「1時間幸せになりたかったら、酒を飲みなさい」
「3日間幸せになりたかったら、結婚しなさい」
「8日間幸せになりたかったら、豚を殺して食べなさい」
「永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい」
~中国古諺~
昔読んだ開高健の本に書いてあった格言は、当時バス釣りに没頭していたぼくの宗教のようになっていた。もしくは、免罪符のように。
ある年などは年間100日を超えて釣行した。その年は正月からボートで湖に浮いていたし、盆も湖畔に立っていたし、クリスマスも魚を釣り上げた。当時、ぼくはまだ独身で20代半ばの「2度目の少年時代」を過ごしていたのだ。なんとも長閑な時代であった。
そういえば、2001年9月11日あのアメリカでの同時多発テロがあった日もその翌日もぼくは友人と琵琶湖で釣りをしていた。
TVもラジオもひっきりなしにテロ関連のニュースを流し続けたあの日、やや神経症的な気分を振り払ってボートを進めた琵琶湖の湖上は、すべてが嘘だったかのように平和で穏やかだった。あの日ぼくと友人はそこそこのサイズとバスをそれぞれ釣り上げた。あの日湖上から見た景色を忘れる事が出来ない。
それから随分時間が経って自分を取り囲む環境が変わったり、釣りに必要な体力と集中力が相応に衰えていったりしたが、ぼくはまだ変わらずに水辺でロッドを振っている。
高知県は釣り人にとってはパラダイスだ。海あり川あり湖あり。しかもそのいづれもが生活に汚染されることなく健全に存在し続けている。
ぼくの今シーズン初の釣行は土佐市の波介川へ行く事にした。
河原の桜並木は盛りを過ぎて葉桜へと移行しつつある。
水辺へ降りてみると水色が白く濁っていた。周辺の田んぼは田植えをしたばかりの様子で、その影響があるのかもしれない。
水温は20度。春の産卵のシーズンを終えもう水中は初夏の気配だろうか。
様々なルアーといろいろな方法でバスを誘ったのだが、今日のバスはその気がなかったようだ。
どうしても魚の絵が欲しかったけど釣れないものは釣れない。
自然はなかなか人間のいう事を聞いてはくれない。しかし、水辺で自然に心身を委ねてみると穏やかな気持ちになり、時間の流れが緩やかになり、釣果は二の次になってゆく。
いやいや、それでもやっぱり魚に触りたい。そんな葛藤を繰り返しているうちに午後6時を回っていました。充分、半日はロッドを振っていたでしょう。心地よい疲れを感じる。釣れなくても釣りは良いものだ。
でもやっぱり釣りたいなあ。