南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

龍馬の手紙

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司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んだのは、30歳になるかならないかの頃だったと思う。ぼくは学生時代から乱読で様々なジャンルの本を読んでいたが、何故が歴史ものを敬遠していた。なぜ30歳にして「竜馬」を読んだのかは思い出せない。

しかし、遅くになって出会った「竜馬がゆく」は、全巻を一気読みさせるほど面白かった。これがきっかけとなって司馬遼太郎を読むようになった。龍馬は一時期のぼくのヒーローになった。

京都へ旅行に行った時は寺田屋と池田屋を訪れ、龍馬へ想いを馳せた。長崎に行った時は亀山社中を訪れ、龍馬も見たであろう長崎の街を眼下に見下ろした。

桂浜の龍馬像を見てみたいと思いながらずっと来れずにいたが、縁あって転勤で今高知にいる。勿論、桂浜には真っ先に向かい龍馬と対面する事ができた。面白いのは、高知の地元の人たちの中に、龍馬よりも中岡慎太郎を評価するものが多い事だ。曰く「船中八策に代表される龍馬の政治思想は、中岡が龍馬に授けたものである」と。また「龍馬は行動力の人であり、中岡は頭脳の人である」と。北川村には中岡の生家がある。まだ訪れていないが、是非行ってみたいと思う。

そういえば、20代の後半に鹿児島に住んだことがある。薩摩人の西郷びいきは、土佐人の龍馬びいきを大きく上回るように思う。しかし、それ以上に薩摩人の大久保利通ぎらいが印象に残った。「大久保は裏切りもん。大久保のせいで西郷さんが死んだ」

 

2017年3月4日に志国高知幕末維新博が開幕した。そして同日、高知城歴史博物館もオープンし多くの人でにぎわった。この高知城歴史博物館のオープン直前に、全国紙で紹介された龍馬に関するニュースがあった。それは、龍馬が暗殺される5日前に書かれた手紙が発見されたというものだ。

レプリカでなく現物が一般公開されるのは3月20日までという事で出かけた。

真新しくモダンな建物の3階に龍馬の手紙はあった。はじめて「竜馬がゆく」を読んでからずいぶん時間が経ち、自分の中の龍馬に対する思いも少しづつ変わっていったのだけれど、こうしてまた龍馬の息吹に心が感応する自分に気付く。現物の手紙の文字には間違いなく龍馬の心が宿っていた。

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ある意味龍馬は自由で革新的な若者の象徴だ。龍馬に出会ってから随分の時間が経ったが、今また龍馬に想いを馳せる。