南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

同じ阿呆なら遊ばにゃ損損

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今日は日曜日。そんな事を忘れそうなくらい遊び呆けています。

金曜日から台北に来ています。今回はツマ、いもうと、めいとの四人組。男は不肖ワタクシ1人ですので、女性陣のご希望を優先した旅行になっています。

最近は旅行記を書く気力がなく、気がついたことを後日、手短に書くかもしれません。

それはそれとして、あと2日間阿呆になって遊びます。

私の好きなヒトサラ

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ある雑誌に「私の好きな3皿」という名物コーナーがあって、いいなあと思った。そこで、このブログでも年末にでも、この年の「私の好きな3皿」を選んでみようと思ったりしたわけです。 とりあえず、好きな食べ物を並べていき、後で選ぼうと言う方針でやってみたいと思います。

 

そこで、今回は、地元大分県が世界に(?)誇るファミリーレストラン、ジョイフルのツインハンバーグなのです。

ペッパーハンバーグとチーズハンバーグの2つのハンバーグが、鉄板の上でジュージューと音と湯気を立てながらやってぎす。2つで340グラムあるそうです。お肉をガッツリ食べたい時にもってこいです。これで税込み878円!!ジョイフル偉いよ、ホントに。

 

大分県で90年代を若者で過ごした僕らは、友達と話し足りなかったり、なんだか家に帰りたくない時は、何時間もジョイフルで過ごしたものです。夜明け前の気だるい時間を何度ジョイフルで過ごしたことか………。

 

そんなジョイフル愛のあるはずのぼくですが、転勤で大分県外にいた時に当地でジョイフルに入ったことがない!

理由はよく分からないのですが、たぶん、例えばですけど、学生時代上京した時に、東京で偶然会った同級生に、気恥ずかしい気がして「よう」「おう」と短い挨拶しかしないような。分かります?こんな気持ち。

 

とにかく、ジョイフルに対する思いはそんな感じなんです。

 

というわけで今回はこんな感じ。果たしてこの企画うまくいくのか?

沖縄に住みたい

 

 

夏の甲子園の決勝が行われた。

ぼくは、あまり高校野球を観ない人だ。それは、高校野球を巡る成り立ちが好きでないから。

そもそも自分が小中高生の頃にやっていた部活動がサッカー(Jリーグもない頃だ)と剣道だったので、なぜ同じ部活動で野球だけがチヤホヤされるんだ?というヒネクレタ原風景がある。それに純粋な高校生達をネタに大人の世界でお金が動くことが(放送の面で)好きでない。純粋な高校生達が無給で働かされて使い捨てのように思えてしまうのだ。

 

そんな風に思ってしまう自分の事が、正直にいうと好きではない。

 

ぼくは羨ましいなあと思う人がいる。例えば、それは高校野球に青春の輝きを見いだせる人。例えば、それはジャイアンツが勝てばご機嫌で負ければ不機嫌な人。例えば、それは大谷選手が活躍すれば嬉しく思える人。

 

これは皮肉でも何でも無く、純粋にそう思う。ぼくもそのような人になりたいと。けどそうはなれない。それは、ぼくがひねくれているからだ。

 

そんなひねくれたぼくが、今年の甲子園の決勝を前日から楽しみにして、当日のTVの前で待ち構えた。それは沖縄尚学と日大三高の決勝戦だったから。沖縄に3年弱住んでいたぼくは、もちろん沖尚を応援していた。沖縄対東京だったということも、きっとその気持ちを強くしたと思う。別に日大三高が嫌いな訳では無いけど。

 

結果はご承知の通りだが、ぼくにとっては格別に嬉しいものだった。

ジャイアンツや大谷選手の活躍を楽しめる人たちは、このような高揚感をたびたび味わえるんだろうなあと思うと、改めて羨ましくなった。

 

この決勝戦の行われた時間帯に、沖縄の街は機能停止のような状態に陥ったという。

 

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3年ほど住んだ沖縄の街と、出会った沖縄の人たちを思い出す。

少しの時間でも沖縄に住んだからか、本土に戻ってからのメディアの沖縄の扱い方に違和感を感じる。ぼくが住んでいた沖縄は、南国リゾートなだけではなかった。

戦争の傷跡、米軍基地への複雑な思い、同じく本土への複雑な思い。それでいて、心やさしく、明るい前向きな人たち。

 

TVの前で「沖縄尚学、優勝おめでとう。沖縄のみなさん本当におめでとう」と思う。

こんな気持ちにさせてくれた沖縄のすべてにありがとうと言いたくなった。

そして、またあの土地に暮らしてみたいと思う。それは現実的にはなかなか難しいことだけれど、あの土地でもう一度暮らしたいと心から願った。

酔いどれ談義

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酒を飲みながらする話の話題としては、とにかくどうでも良いものがよい。

 

いつだったか仕事仲間と二人で飲んでいるときに、「ビールのつまみに一番合うのはなにか」という事を、かなり真剣に(酔っていての事だけど)話したことがある。

互いにこれぞと思うつまみを一品ずつあげて、勝ち抜き戦のように勝敗をつけていく。

たとえば「ポテトフライ」と「からあげ」が出揃った時には、二人して「うーん、これはからあげだよね」という風に勝敗が決まっていく。敗れた側は新たに一品を出していく。「そうだなあ、じゃあポテトサラダでどうだ」と、ポテト好きの相手は言ったりする。

 

そんな具合に勝ち抜き戦は進んでいき、「川海老のからあげ」「もろきゅう」「焼き鳥」「しおから」「ポテトチップス」「冷や奴」が敗れ去っていった。そして、勝負も大詰めのこの時に残ったのは「餃子」と「だだちゃ豆」の二強であった。双方手札を出し切った感もあり、これが決勝戦という雰囲気になっていた。

 

「これはだだちゃ豆だね」「うん、そうだね」。

最後は意見の一致をみて、激闘の末であったが、勝負はあっさりとついてしまった。

 

そこで二人は、ぐびりと、もう何杯目かの冷え冷えのビールを飲む。この日の居酒屋には「だだちゃ豆」は無く、随分前に敗退した「ポテトフライ」を食べながらである。

 

良い気分になってきたおじさん二人は、次の対決ネタを思いつく。

 

それは「妙齢の女性に言われて嬉しい台詞はなにか」

 

アルコールで頭の緩くなったおじさん二人はここで考え込んだ。少々酔っ払っていても(酔っているからこそ)このテーマは真剣に考えたいものなのだ。

「素敵ですね」

「かっこいいですね」

「渋いですね」

「すきです」

おじさん達二人は、普段あまり言われない言葉を思いつくままに並べるが、なんかしっくりこない。

二人とも考え込んだ後に、飲み友だちが言った。

「うそつき・・って言われたい」

「うそつき・・」魅惑の言葉だ。

遠い過去に言われたような、言われないような。現在で言われたらなかなか問題がありそうな心を揺さぶる言葉「うそつき・・」

 

二人して緩んだ頭で、何かを思い出すような想像するそうな顔をしつつ、またビールをぐびりと飲むのであった。

POPEYEとおじさん

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雑誌POPEYEの旅特集が好きで、つい買ってしまう。最新号の特集は「サマーボーイと夏の島」というもので、サマーボーイでもないし、夏もそんなに好きでなくなったおじさんなのだけど、買ってしまうのだ。若い頃に旅した礼文島の事が載っていたからというのもある。

礼文島に行ったのはもう28年も昔の事か。当時のぼくは結構キツイ失恋をした後で、後輩のSくんと1週間をかけて北海道を車で旅していたのだ。地方から東京への転勤もあり、同時の失恋もあり、なかなか忙しい時だった。若いぼくは未練たらたらで、財布の中に彼女と写ったプリクラを入れたまま捨てられずにいた。

 

この北海道の旅は釧路から始まり野付半島を巡り宗谷岬を抜けて、稚内まで走破した。釧路のBARで会った若い男の事を(自分も若かった)思い出す。彼はその店のオーナーの友達だと言った。オーナーが出かけたまま、もう3カ月も戻ってこないので、仕方なく自分が店を開け閉めしているのだと。若い女の子2人組が店を後にした後、2人きりで閉店までいろいろな話をした。彼はいつか札幌に出て一旗揚げたいと言った。

 

旅の何日目かに稚内からフェリーで礼文島に渡り、かあちゃん宿という民宿に投宿した。スコトン岬をSくんと歩いている時に「Aちゃん、結婚するらしいですよ」と彼は言った。ぼくは動揺する心を見透かされないように、平静を努めた。

そして、スコトン岬にあった東屋の柱の陰にに、あのプリクラを貼って背を向けたのだった。

 

話は随分逸れてしまったが、このPOPEYEの誌面で見る礼文島は変わらずに美しくはあったが、景色を懐かしいと思えるほどには記憶に残っていなかった。

 

ともあれ、ぼくはPOPEYEの旅特集が好きだ。この島旅特集の前号はアジア旅の特集だった。でも正直言えば、おじさんがPOPEYEを読んでることに気恥ずかしさがあり、人には言えない。

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この三連休が雨ばかりの日々となり、時間がたっぷりできてしまったので、端から端までPOPEYEを読んでみた。すると、特集は若い編集者が書いているようだが、特集の後に続く連載のコラム群は、ぼくと同年代の人たちか書いている事に気づいた。このコラム群がやたらと面白い。正直、今まで全く読んでいなかった。

同年代の人たちが書く、江戸前天ぷらの神様の話や、レトロ冷凍庫の霜取り中毒の話、ムーンライダーズの鈴木さんが出てくる話などなど、ドピシャに楽しめる。インターネットと違い紙の雑誌は、自分の関心がない事柄まで幕の内弁当のように話題が詰め込まれている。それが、枯れかけた好奇心を刺激する。

ありゃ、これは普通に面白いぞと思ったりしたのだが、やはり、人には言いにくい。だって、ぼくが昔POPEYEを読んでいたのは高校生の頃だもの。これは、ぼくが高校生の頃から変わっていないということなのか、それともPOPEYEが幅広い年齢層を意識した編集になったのか。まあ、自分が面白いと感じられれば良いのだけれど。とにかく、ぼくは旅に、変わらない憧れがあるということだ。

思ひ出

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もう20年も前からラーメン一杯400円を、頑なになのかどうかは知らないが、ずっと同じ値段でやっているラーメン屋さんがある。

僕が初めて食べたのが20年前だったので、一杯400円はその前からずっと続いているのかもしれない。

大将と奥さんの二人でやっているのもずっと変わらず、お二人とも全く歳を取られないように見た目が変わらない。

 

ずっとこのお店は変わらない。時間の流れの外にあるように。

 

そのせいか、かつてこのお店でよく顔を見た男の事を思い出した。彼の兄は僕と同級で、中学時代は同じサッカー部だった。あの兄弟は見た目も性格も正反対だったなと思う。

 

兄は甘いマスクで足が早く、サッカーが上手かった。弟は豪傑のような風貌で決してスマートとは言えなかった。

 

その弟とこのラーメン屋でよく会ったものだ。もう20年近く前の事か。会うと大きな声を掛けてきて、簡単な近況を話した。けれど、いつも、今度、飯にでも行こうなという話にはならなかった。きっと兄貴の同級だから、少しは遠慮があったのだろう。

 

その彼が急に亡くなってから、もう随分の時が経つ。父親も彼らが小さい頃に急逝していたので、お葬式の喪主は同級である兄がやった。サッカー部の同級生が力が抜けたように祭壇の脇の椅子に掛けていたのを覚えている。その横で夫を亡くした奥さんとまだ小さな子供が涙を流していた。

 

ラーメン屋さんを後にする。この辺りは子供の頃に住んでいた家に近い。通りに出ると、中学時代にはもうすっかりおじさんの様な顔をしていたMくんの家が見える。古いけど木造の立派な二階建ての家だ。彼は長男だったはず。今もこの家に住んでいるのだろうか。

 

並びの酒屋さんも随分長いことやっている。高校生の時に悪友と二人で缶ビールを買って、近くの河原の土手でよく飲んだっけ。この酒屋には綺麗な姉妹がいて歳は僕らより1つが2つ上だった。悪友と、姉と妹のどっちがタイプだ?と言い合ったりした。

この辺りの景色には、思い出が沢山結びついている。ちょっと油断すると、思い出の森の中に迷い込んでしまいそうになる。