南風通信

あちこち 風のように

2018年のフットボール・デイズ

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サッカーは熱病のようなものだと思っている。そして、その症状は贔屓のチームがあると劇的に重症化する。

 

W杯の直前に解任された前監督の最後の親善試合が、讃嘆たる結果だったことに、世間もマスコミもまるで無関心のように見えた。日本がW杯に出場するようになって、それなりに関心を持って観ているのだが、今回のW杯ほど開催直前まで盛り上がらなかった大会は思い浮かばない。以前だったらもっとこの讃嘆たる状況に苦言を呈したり、怒ったり、こうすべきだ、あーすべきだとの議論が巻き起こっていただろう。サッカー人気が低下したのかな、と本気で心配した。

そんな「無関心な日本代表」は、W杯本戦のGリーグで予想外の善戦をみせて、世間をにわかに熱病に沸かし始めた。ほっとしている。

 

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今回のブログで書きたいのは、件の「ポーランド戦終盤の他力本願采配」についてだ。

サッカーは「代理戦争」と言われることもあるが、その国を代表したサッカーチームには、その国のお国柄が色濃く出ると言われる。ステレオタイプに言えば、南米のサッカーは自由に個々の能力で勝負し、欧州のサッカーは緻密な組織プレーで戦うなどがよく言われることだ。

・・・で、今回の「ポーランド戦終盤の他力本願采配」は、真に現代の日本のお国柄を色濃く表していると思うのだ。サッカーがスポーツであるからこそ「最後まで勝利を目指して、正々堂々と攻め続けるべきだ」というスポーツとしてのモラルが言われるのだろう。しかし、今回のW杯出場監督の中で最も運が良いと思われる(?)西野監督は、そういったモラルよりも結果を取りにいった。そして、リスクを避けて安全策を取った。それは、まるで熾烈な国際競争の中で劣後している企業の経営者のようだ。モラルよりも結果。最近の日本の優良企業の度重なる不正や不祥事は、モラルよりも結果という風潮が行き過ぎた姿に見えないか。「モラルよりも結果」が「モラルよりもルールよりも結果」に進んだ時に不祥事が起きる。西野監督はルールを踏み越える事はなかったのだから、まあ良いんじゃないかと思わないでもない。

むしろ問題なのは、今回の采配がコロンビアとセネガルの結果に左右される「他力本願」だったことだ。自分の力や努力だけではどうしようもない事があるという事を受け入れ、それを当然の前提として、その中で自分はどう生きるべきかの最善を考える(それが正しいかどうかを問わず、ベストでないとしても)。なんだか現代の日本の世情のようではないだろうか。

そういった世界を生きてゆくには「運」に任せるしかない部分もある。そして、今回のW杯の西野監督は、(確信犯的に)自分の「運」に賭けているのではないかと思っている。自分ではどうしようも無い事が多くある世界で、理想よりも現実的な結果を求める。そして最後は運まかせという「諦観」にも似た心情。

ぼくは、もうとっくに若者ではなくなってしまったが、それでも未だに理想を掲げて生きてゆきたいと思っている。しかし、この荒野で理想の旗を掲げ続けるには、結果を出し続けなければならないのも現実だ。

 

浅い夢を見るリアリストたちが、懸命に生きるこの国の代表選手たち。

現代の日本サッカーは「熱病」ではいられないようだ。 

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