南風通信

あちこち 風のように

釣れない釣り人の幸福な水辺2


 

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「1時間幸せになりたかったら、酒を飲みなさい」

「3日間幸せになりたかったら、結婚しなさい」

「8日間幸せになりたかったら、豚を殺して食べなさい」

「永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい」

 ~中国古諺~

 

 

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 夏が過ぎ、季節が進み、ここ高知にもハロウィンなんかもやって来ました。どうやら冬が近づきつつあるようです。

そして、「バス釣り人」にとっての良いシーズンも、もうじき終わりに向かいます。冬にも釣りは出来ますが、変温動物の「バス」という魚を、動きの鈍くなる冷水温期に釣るのは忍耐のいる作業になってゆきます。まるで修業のような真冬のバス釣りも、ぼくは嫌いではないのですが、あまりブログの記事にはしたくありませんねー。

季節が厳しくなる前に「バス」と遊びたい。ぼくは土佐市の波介川(はげかわ)を目指しました。

 

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 前回、釣りをブログの記事にしたのは、春の桜の季節が終わり、田植えが始まって頃でしたね。その後も、ちょいちょいと釣りには出かけましたが、今シーズンは小さい魚ばかりで大物は釣れません。大きな魚が釣りたいなあ。

 

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 夏の間、川の土手には青々と雑草が繁っていました。不用意にその雑草をかき分けて水辺を目指そうものならば、手足は草で切り傷だらけになってしまいます。釣り人受難の季節です。 ところが秋が深まると、伸び放題だった草も、綺麗に刈られていました。川辺も冬支度をしてるんですね。土手沿いを川面に魚影を探しながら歩いていると、景色に秋の深まりを感じます。大きな柿の実が釣れない釣り人を見下ろしていました。

 

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ぼくはもう随分長くバス釣りを続けています。それだけ長く続ける「バス釣り」の魅力は何か?と、問われれば二つの答えをあげる事が出来ます。

1つには「バス釣りそのものの面白さ」があります。「バス」ほどゲームフィッシュとして、生態が解明されている魚はありません。季節によって、天候によって、また、水域の地形や、時間帯や、風向きなどの様々な要因によって、「バス」という魚がどういった行動を取るのかが、科学的に判明しているのです。つまり「バス釣り」とは、今現在の水辺のすべての情報を元にして「バスの居場所」を探し、「バスの反応する釣り方」という正解にたどり着こうとする「自然相手の推理ゲーム」のようなものなのです。

 

もう1つの魅力は、水辺の四季の移り変わりを、心と体で直に感じる事が出来るという事です。春には春の、夏には夏の、そして、秋にも冬にもそれぞれに水辺の季節は表情があります。それらはどれも、とても抒情的に美しい。

 

ぼくは、秋の波介川を釣竿を片手に歩きながら、遥か昔の秋の水辺の光景を思い出していました。

 

もう随分昔。ある年の事。ぼくは、鹿児島県の「さつま湖」という湖に足繁く通っていました。晴天の秋晴れの日、釣竿を積んだゴムボートにモーターを付けて、ぼくは、手前のボート乗り場から湖の一番奥を目指しました。

湖の最奥は二股に分かれていて、それぞれが小さな湾の様になっています。その場所は浅く、泥底で、夏の間は蓮の葉が水面をびっしりと覆っていました。しかし、この日は葉は枯れ、細く茶色い茎だけが浅い水面下に伸びていました。

湖岸の山々は、鮮やかな黄金色に紅葉していた。

空は高くどこまでも青かった。

そして、小さな白い雲が浮かんでいました。

ボートが、向かって左側の小さな湾に入ろうとした時、それまで吹いていた風が、ふっと止みました。風裏に入ったのです。風に吹かれてさざ波が立っていた湖面は、ボートが奥に進むにつれて、段々と穏やかになってゆきました。凪の湖面は、やがて一枚の大きな鏡のようになりました。その湖面の鏡に、天空の高く青い空が映し出されました。その青の中を、浮かび上がった白い雲がゆっくりと流れて行きます。

天空の青、湖面に映し出された青。そして、それらが交じり合わないように境をなしているかのように、淵を取り囲む黄金の木々。

 

ぼくの心は、目の前に現れた幻のような光景に、飲まれてしまいました。

ぼくは、ゴムボートの上で横になり、仰向けになったまましばらく空を眺め続けました。釣りの事をすっかり忘れて。

あれは忘れがたい、さつま湖での「黄金の秋」

 

11月の高知は、まだ、紅葉には少し早いようです。

今日は20センチくらいの小さなバスが遊んでくれました。大物は今日もお預けのようです。

 

ぼくは、きっとこれからも釣竿を手に水辺を訪れるでしょう。

これから、どんな「水辺の記憶」に出会えるのか。

「水辺の記憶」は、ぼくの日常を少しだけ豊かにしてくれるのです。

 

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