南風通信

あちこち 風のように

四国みぎしたフリー切符の旅(復路1・甲浦編)

 

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あの列車一人旅から気が付けば一か月近くが過ぎようとしている。仕事は年度末の大行進中であり、諸々忙しくしている。日々はあっという間に過ぎてゆく。

この拙い文章を完結させるためにも、時間を巻き戻そう。四国みぎしたフリー切符の旅3日目の朝は、前日までの2日間の快晴とかわって曇り空がホテルの窓に広がっていた。旅は続くのだ。

無計画のこの旅であるが、一つだけ計画していたことがある。それはこの3日目に室戸岬のツアーガイドを受けることだ。しかし、心配だったのは天気だった。予報では午前中から降水確率は50%を超え、昼過ぎからその数値は上昇していた。迷いに迷ったが、前日に観光協会に電話を入れた。

「それでご予定はいつですか?」

「明日なんですが」

「え!明日ですか。わかりました」

そんな感じのやり取りで無事予約は完了した。

11時までに室戸岬に着かなければならない。その為の乗継は1つしかなかった。

 

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2月17日金曜日の朝、まだ通勤の混雑はそれほどでもありません。

6時47分徳島を出発。一昨日は夕方に見た景色を帰りは朝の光の中で見る。

車窓を眺めながらコンビニで買ったサンドイッチとコーヒーで朝食を済まします。簡単な朝食の後は、ただ窓外に広がる景色を眺めて過ごしました。

カタタン・カタタン。

列車の走るリズミカルな音が、この3日間でどうやら体に馴染んてきています。このリズムが心身にとても心地よい。

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曇っていた空から太陽の光が差し込み始めました。これなら何とか天気も持ちこたえるかもしれません。そんな事を考えながら、擦過する景色に旅を感じます。旅とは移動そのものの事なのかもしれません。

カタタン・カタタン・カタタン・カタタン。

心地よいリズムは、取り留めもない思考を想起させる。

不意に、遮断機の音が鋭く現れて、流れて消えた。

あいまいな展開の思考を中断する。

通勤、通学客も増えてきて、向い合った正面の座席に白っぽいシャツにグレイのジャケットを合わせた学生が、一人座って何かを読んでいました。彼の手には紙の束がありました。その表紙には「平成28年度卒業論文 構造性発色による光の制御」と書いてあります。専門学校の名前が書いてああるので、専門生なのでしょう。根っから文系のぼくは、単純に「この子すごいなあ」と敬意さえ感じてしまいました。

車内は通学の学生が9割。その学生の大半が「阿南」で降りてしまい、残りの乗客も「新野(あらたの)」でほとんど降りてしまいました。山河内を過ぎる頃には乗客が4人になってしまい、空席ばかりの車体は海部に向けて静かに運ばれて行きます。

「お金って何だろう」「経済の発展てどうなってゆくのだろう」「資産と資本の追いかけっこ」「資本の拡大はいつまで続くのか」

ぼくは、いつも経済や金融に囲まれて暮らしています。あまり真面目ではありませんでしたが、学生時代もマクロ経済学を専攻しました。そんなぼくは、お金や経済の本当の姿を実は全く分かっていないのではないか?

心地よい列車の振動を感じながら、お金と経済についてずっと考えていました。

この列車内の贅沢な時間は、全く生活に役立たない思考を呼び起こします。さっきの卒論に刺激されたのかもしれません。

 

9時23分甲浦着。ここ甲浦で降りたのは、ぼくと、ぼくより少し年配で髪と髭に白いものが混じった壮年の2人だけでした。彼はラフな黒っぽいジャンパーにベージュのパンツを合わせ、洗練された大きめの黒いボストンバックを持って歩いていました。

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2日前に立ち寄った、あの井戸端会議のおばちゃんたちがいる駅舎へ入ると、まさにおばちゃんたちは井戸端会議中でした。一昨日からここにいてずっとしゃべり続けていたかのように、全てがその時のままでした。

そこへさっきの壮年がスタスタと近づいて行って、良く通る声でおばちゃんたちに話しかけました。

「この辺はまったく変わらないねえ。27年ぶりに来たんですよ」

おばちゃんたちが驚いたようにその人の方に揃って顔を向けます。

「さっき、列車を降りてホームに立った時も思ったけど、こっちのほうも全く変わらないねえ」男は嬉しそうに話します。

その良く通る声は、ぼくら4人しかいない「がらん」とした駅舎内に不自然なほどよく響いていました。彼は続けます。

「以前もここに江藤新平の碑を見に来たんだけど、記憶があいまいで場所がよくわからないんです。知りませんか?」

おばちゃんたちが何かを説明していますが、ここまではよく聞こえませんでした。男は、「大丈夫。そんなに遠くないはずだから歩いていくよ」と、レンタサイクルを勧めるおばちゃんをおいて、スタスタと出ていきました。

江藤新平とは、確か佐賀藩出身の明治の政治家で、佐賀の乱の首謀者ではなかったかしら。その人物がこんな高知と徳島の境の山の中に、なんの関りがあるのだろう。

あの不思議な男に(あの風体といい、平日の午前中なのに何者?)興味が湧いていたところに、佐賀からも東京からも遠いこの地で江藤新平の名前を聞くと、これはちょっとしたミステリーのようです。

今回の旅でスマホを禁じていましたが、好奇心に耐えられず禁を破りスマホの電源を入れました。

 

以下、調べてみました。

明治7年に佐賀藩の士族が起こした「佐賀の乱」の首領として祭り上げられた江藤新平は、戦況不利と見るや薩摩に下り西郷隆盛に援軍を要請し断られている。なんでも西郷は兵士を見捨てて佐賀を脱出した江藤に対して憤ったらしい。(しかし後年その西郷は、多くの若き兵士とともに、薩摩城山の地に散った)

ここから江藤の逃避行は始まり、最後の望みをかけて上京を目指した江藤は、鹿児島を出た後、宇和島、高知、徳島を経て大阪に抜けようとしたらしい。しかし、ここ甲浦で捕えられ佐賀へ送られた。そして結果の決まっていた形だけの裁判の後、即日死刑。しかも斬首の後さらし首にするという厳しいものであった。

 

ここまで読んで切なくなりました。政府参議まで務めた者の最後としては、あまりにも寂しいと思う。

甲浦には、そんな寂しい物語があったのです。

捕らわれた場所に「江藤新平君遭厄地」の標石があるらしい。旅に出ると自分がいかに知らない事が多いかを思い知るのです。

27年ぶりに再び「江藤新平君遭厄地」を訪れようとする、さっきのあの男の人にも、彼の物語があるのでしょう。なぜ今、再び訪れたのでしょう。そして、27年ぶりにその地に立って何を思うのでしょう。

 

 

駅舎の中に「たびだより」というノートがあります。

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そういえば往路でぼくも書きました。その後だれか書いてるのかな。気になってノートを開きました。

何人かの旅人がこの2日間でここを訪れ、その記録を残してくれています。

 

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「2/16(木) おひる ツイッターやSNSの時代にノート手書きもいいよね! 旅好き(ほろ酔い)」

 

ひとりひとりに人生があり物語がある。旅はそんな事を改めて気づかせてくれます。

 

つづく