南風通信

あちこち 風のように

岩崎弥太郎の生家へ行く

 高知市の東方に約40キロ、車で小1時間も走ったところに安芸市という町がある。阪神タイガースのキャンプ地としても知られる静かな町なのだが、この静かで小さな町に三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の生家がある。 高知にやって来て岩崎弥太郎の生家を一度見てみたいと思った。

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 数年前、NHK大河ドラマで俳優の香川照之が岩崎弥太郎を演じたが、その時の弥太郎は土佐の生家のやたら埃っぽい板の間で、生活の為に縄を編んでいた。そして「あばら家」風のセットの中で香川の演じる弥太郎は、いつものやたらとクドイ芝居で自らの境遇の惨めさを大げさにを嘆いていた。

 

 実際、弥太郎は「郷士株」(下級武士の株)を他家に売った地下浪人(じげろうにん)の家に生まれている。やはり経済的に困窮する事もあったのだろう。家は庄屋の支配下にあった。にもかかわらず弥太郎は「元郷士」という気位がとても強かったそうだ。また、幼少の頃より漢詩の才を発揮したそうで、10才余りの頃には他人に漢詩を献じていたらしい。

 

 岩崎弥太郎の生家は無料で一般公開されていて、小さな案内板が所々に出ているのだがちょっと分かりづらい。車でウロウロと迷いながら、まわりに何もない所にポツンと佇む「岩崎弥太郎生家」にようやくたどり着いた。

 

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しかし、調べてみると彼の人生は正に波乱万丈である。幕末の日本、そして土佐藩の混乱の波に翻弄されつつ、その中を力強く泳ぎ渡った人物なのだろう。

 弥太郎が22歳の頃、庄屋一味に父親が殴られて重傷を負う事件が起こる。この件で父親は理不尽にも投獄されてしまうのだが、弥太郎は父の冤罪を訴えて役所への抗議に日参する。しかし聞き入れられなかった事に腹を立てた弥太郎は「官は賄賂をもって成り、獄は愛憎によりて決す」と奉行所の門柱に墨で大書したのだ。その後弥太郎自身も投獄されてしまう。7ヶ月で釈放となったが、名字帯刀のはく奪のうえ村を追放となっている。

生家には幼少の弥太郎が眺めながら大志を膨らましたという、日本列島をかたどった庭石が残っている。彼はどんな思いでこの村を離れたのだろうか。

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 村を追放された弥太郎は、その後、土佐藩参政の吉田東洋の知己を得て表舞台へ出て行くのだが、ところで、この吉田東洋も激しい人で、江戸在任中に旗本を殴り土佐へ戻された経歴を持つ。弥太郎と出会ったのは土佐へ戻された後の蟄居中の事であり、村を追放され高知へ上って来た弥太郎と通ずるものがあったのではないだろうか。

 後に、藩政に復帰した東洋は、山内容堂の側近として土佐藩の改革を推進するが、この流れで弥太郎は外貨獲得と武器購入のために長崎へと赴き、龍馬と関わってゆく。そして龍馬亡き後、「世界の海援隊構想」は三菱商会へと引き継がれ、海運業で「東洋の海上王」 となり三菱財閥の礎を確立してゆくのだ。

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 ちなみに高知県内に三菱UFJ銀行はない。また、昨年11月、三菱UFJ信託銀行と三菱UFJ証券が高知から撤退していった。岩崎弥太郎の地元から三菱グループの看板を掲げる企業が去っていくのを見るのは感慨深いようにもある。

 しかし、世の中が変わって行こうと「三菱財閥の創始者 岩崎弥太郎」は、今も厳たる姿で、郷土安芸の地に立ち続けている。