南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

活字漂流記 ①『ダンス・ダンス・ダンス(上)』

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学生の時に読んだ村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返している。かつては、この作家の新刊が出るたびに単行本を買って読んだものだが、いつ頃からかこの作家の小説を面白いと思えなくなった。最後に新刊を買って読んだのは「海辺のカフカ」だったろうか。

 

改めて読んでみると、ストーリーは全く覚えていなかったのだけど「いるかホテル」や「羊男」などのキーワードは朧気に覚えていた。中でも特に記憶に残っていたのは「高度資本主義社会」という言葉が、作中に何度も出てきたことだ。

 

2019年の今、1988年に出版されたこの小説を読んでみると、ポップな幻想小説のようでいて、意外にも、当時の時代を的確に表した作品で驚いた。

思えば「ダンス・ダンス・ダンス」が世に出た年は、日本はバブルの真っただ中だった。

この頃、まさに「高度資本主義社会」を形成しつつあった日本は(作中で言われるほど洗練されたものではなかったかもしれないが)、国や企業や市民を巻き込み、天界へ駆け上がるつむじ風の様相を呈していたように思う。しかし、その翌年にバブルがピークを迎え、その後崩壊した事もあって、この小説は余計にシンボリックだ。

 

主人公の「ぼく」は、フリーのライターとして生活の糧を得ながら、「それなりにまっとうに」暮らしている34歳の男だ。結婚はしたが妻はある日突然家を出ていった。そんな彼の仕事は、美味しいお店を取材し雑誌で紹介記事を書く事だ。

彼はとても丁寧に仕事をする男で、「下調べと綿密なスケジュールの設定」により、とても効率的かつ真摯に仕事を行う。

しかし、彼は自分の仕事を好きではなく、自分がやっている事は何の意味も無い事だと思っている。そして自身の仕事について次のように語る。

 

「雑誌に出してみんなに紹介する。ここに行きなさい。こういうものを食べなさい。でもどうしてわざわざそんなことしなくちゃいけないんだろう?みんな勝手に自分の好きなものを食べればいいじゃないか。そうだろう?」

「そしてね、そういう所で紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。需要と供給のバランスが崩れるからだよ。それがぼくらのやっている事だよ。(中略)何かをみつけては、それをひとつひとつ丁寧におとしめていくんだ。真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていくんだ。それを人々は情報と呼ぶ。生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網ですくっていくことを情報の高度化と呼ぶ。そういうことにとことんうんざりする」

 

彼はそういった自分の仕事を、「文化的雪かき」と揶揄する。情報さえも高度資本主義社会に組み込まれ、消費されているのだ。

1980年代が「情報の洗練化」された時代だとすれば、インターネットやSNSが発達した今の時代をなんと表現すればいいのか。「SNS映え」が流行語になる昨今では、みんなこぞって「雪かき」をしているのかもしれない。もちろん僕も。

 

「高度資本主義社会」については、こんな記述もある。

作中に出てくる中学の同級生は、「経費を使って」高級外車に乗り、分厚いステーキとサラダを食べ、高級コールガールと寝る。そして、「クリーンでぴかぴかな領収書」を受け取る。

「経費」はお金でさえないという。使うことが義務でさえあるようなものなのだと。そして、それが「高度資本主義社会」なのだと。

しかし、そんな生活をしながらも、自分が本当に求めるものは「みんなぼくの手の指の間からするっと逃げていく」のだ。

これを書いていて、ふと「グレート・ギャッツビー」を思い出した。全てを手に入れたにも関わらず、本当に欲しいものが手に入れない男の悲劇。村上春樹が影響を受けたと公言する物語だったと思う。

 

社会が1つの方向へ向かって 怒涛のように突き進み始める時、その中に組み込まれない人間は非国民のようにに扱われる。これは、もちろん戦時中だけの事ではない。社会が大きな曲がり角を曲り、それから迷いを振り切るかのように突き進み始める時には、いつだってそのようなものだ。国でも企業でも。

主人公が警察に取り調べを受けるシーンでの刑事のセリフが印象的だ。

「なあ、今は1970年代じゃないんだよ」反抗的な態度をとる「ぼく」に刑事は言う。「ああいう時代はね、終わったんだよ。それで、私もあんたもみんなこの社会にきちっと埋め込まれてるの。権力も反権力もないんだよ、もう。誰もそういう考え方はしないんだよ。大きな社会なんだ。波風立てても、いいことなんか何もないのよ。システムがね、きちっとできちゃってるの。この社会が嫌ならじっと大地震でも待ってるんだね。穴でも掘って。」

80年代から随分の時間が流れて、日本は更に高度にシステム化されている。それを「ソフィスティケートされた社会」と呼ぶのだろう。野良犬が町中から消え失せ、リードに繋がれた愛玩犬ばかりが澄まして歩くようなことだ。そして、そこから逸脱する事は、今の時代には更に困難になっているようだ。

 

更に「高度資本主義社会」について。

上巻の最後の方で登場する、ある才能の枯渇した作家が言う。

「なんでも金で買える。考え方だってそうだ。適当なものを買ってきて繋げばいいんだ。簡単だよ。その日からもう使える。(中略)こだわっていると時代に取り残される。小回りがきかない。他人にうっとうしがられる」

 

数十年ぶりの再読で、この作者の「時代を読み取る力」というようなものを、再発見したように思う。

ぼくが、ある時期からの(意外に社会派の)村上作品を面白く思えなくなってしまったのは、実社会があまりにも複雑になってしまった為なのか、それとも作者の認識と実社会が乖離してしまったのか、この作者の「読み取る時代」というものに簡単には同調出来なくなってしまったかもしれないな、と思った。

 

もちろんこの小説は単なる社会批評の物語ではない。主人公(ぼく)の生活のように、深く内省的な哲学の物語でもある。そのシンボルであろう「羊男」に繋げられ、導かれるように物語は下巻へと続くのである。

 

久し振りの初期村上作品は、刺激的であった。

在台灣轉來轉去旅行⑧(たいわん うろうろ たび)

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【2018.8.21】③

<淡水へ>

ぼくらの台湾旅行は、ただただ歩き回り写真を撮ってばかりだ。台湾旅行も三度目になるのだけど、今まで台北市から出たことが無い。それでも、少し前の日本のような台北の街の雰囲気が好きだし、食べ物も何を食べても美味しいので充分に満足している。そんなものだから、未だにあの有名な観光地の「九份」にも行っていないのだ。

九份は台北市からちょっと遠い。中心街から移動に一時間以上はかかってしまうのは、限られた旅行日程の中で時間が惜しいというのがぼくと家人の共通した意見だ。だから、この記事はちょっと変わった人達の台湾旅行記事なのです。

 

そんなぼくらが初めて台北市を脱出することになった。

「もし、台北を出るなら淡水はどう?電車で40分で行けるから九份より近いよ」という家人のリサーチにより、淡水行が決まった。

「淡水は40分で行けるから9分より近いよ」って、知らない人が聞いたら何だか混乱しそうだなと、こっそり思ったんだな。

 

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.16時になる頃、電車は淡水駅に滑り込んだ。淡水はいかにも観光地といった雰囲気な場所であった。この「観光地」というものは、日本だろうが台湾だろうがやはり気分がアガるものなのだ。通り沿いにお祭りのようにカラフルな屋台が並んでいて、早速、その内の一つで、エビのから揚げを買った。香草の効いたエビは美味しく、食べ歩きにもってこいだったけれど、これが食べても食べても無くならない。正直、途中でうんざり気味になるので要注意だ。

 

そぞろ歩きをする人達は外国人観光客も多いけど、台湾の人も結構いたんじゃないかと思う。地元の高校生カップルが初めてデートするのにピッタリ、といった感じの場所だった。ゆったりと揺れる水面と、ひらけた風景を見ながら歩くだけで健康的な気持ちになるようだ。

 

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川岸に沿ってずっと続く遊歩道の向こう、発着場に向かってクルーズ船が入ってくるのが見えた。発着場のチケット売り場の周辺が、にわかに活気づく。しかし、せわしく賑わったのはその周囲だけで、他の人々はのんびりと対岸の景色を眺めたり、語らったりしている。

 

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家人のリサーチによれば、水辺の遊歩道を少し歩いたところに「VILLA・DAN SHUI(ヴィラ・タンスイ)」という、洒落たカフェレストランがあるという。そこで休憩しようという事になったのだが、歩いても歩いても目的地は見つからない。

 「もう着くはずなんだけど」と、駆け寄ったお店はいずれも目的地ではなく、結局、1時間程歩いてようやく「VILLA・DAN SHUI」に到着した。ほうほうの体で店内になだれ込む。そして、ようやくありつけた冷え冷えの、レモンピールソーダの爽やかな甘さが有難かったこと、有難かったこと!

 

夕刻を迎え、店内はディナータイムに移ろうとしている。他の客らは皆、きちっとした服装でテーブルに付いてゆく。もうしばらくすれば、窓の外はマジックタイム包まれるのだろう。そんな状況で茹で上がったような顔のぼくらは、ウエイターの顔色を伺いながら冷たいドリンクをゆっくりと飲み続けたのだった。

 

 

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つづく。

 

冬から春へ

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【2019.1.23】

2017年10月から期間限定で運営された高知市のミニシアター「kinema M(キネマM)」が、一旦休館となりました。

最終日の夜、建物の正面のボードには、

「THANK YOU!  WE‘LL  BE  BACK  IN  2021」の文字が、並んでいました。そして、「MI・TE・RO・YO!」

カメラを構えていると、奥から kinemaMの代表で映画監督の安藤桃子監督が、ふらりと出て来られました。その瞬間をパチリ。

この映画館のお陰で素敵な映画に出会う事が出来ました。感謝です。

終わりは始まり。そして2021年にもう一度。

 

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【2019.2.3】

釣れない釣り人の活動も始まります。2月の波介川は、まだ冬の表情です。

この日、今年最初の魚が釣れました。本命のバスではなくニゴイ君でした。冷たい風に手がかじかむこの時期、オイル式の携帯懐炉が重宝します。

 


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【2019.2.10】

高知市のグリーンロードにある屋台「ボギー亭トラちゃん」には、ちょくちょくお邪魔しています。

ここの大将は、ゴルフと阪神タイガースが大好きだそうで、それでこんな屋号になったそうです。

ピンクの細長い蒲鉾のようなものは「すまき」といいまして、高知独特のおでん種です。いも焼酎のお湯割りと合わせて、冬の屋台もぽかぽかです。

 

 

 

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【2019.2.17】

下手な写真を続けています。写真を始めてから光に敏感になったような気がします。どこに光が当っているか、どこから光が射しているか。

近所の公園で、小さな桃の花が咲いていました。逆光気味にシャッターを切りながら、降り注ぐ光に春を感じます。

私的不定期名曲選⑮「この曲もえーやん!」/すべてのありふれた光 ( GRAPEVINE)


GRAPEVINE - すべてのありふれた光 (Music Video)

 

2000年前後の事だったと思う。当時、大田区の大森に職場があって、毎晩その界隈を飲み歩いていた。まあ、あの頃はよく飲んだものだと思う。バカなお金の使い方をして良い気になったり、かなり危なかったなと、今になって冷や汗をかきそうな出来事に遭遇したりと、自分史の中の「無頼派気取りの時代」だった。恥ずかしい事に。

 

ある夜。たしか、京浜東北線のガード下のバーだったと思うが、カウンターで見知らぬ男と並んで酒を飲んだ。ぼくはたぶんもう何軒かをハシゴしてその店にたどり着いたのだと思う。そこそこ酔っていた。

気分が良かったせいもあって、その見知らぬ男に声を掛けたのが始まりだ。最初はお互いに「この店はよく来るんですか」みたいな当たり障りのない事を話したが、いずれ話題は音楽の事に落ち着いた。ぼくもその男もロックミュージックが好きだという共通点があったので、話は意外に盛り上がった。どんなバンドを聴いてきたか、そして、どんなロックが好きかについて。

 

90年代の日本はユーロビートブームに沸き、ダンスミュージックが街を席巻した。日本語ラップが台頭しつつあったりもして、ロックミュージックは片隅に追いやられているような気がしていた。ぼくと見知らぬ男はそんな状況が不満で、ロックミュージックの再興を願っていたのだ。

 

いくつかのロックバンドの名があがった後、その頃「退屈の花」というアルバムでデビューしていたGRAPEVINEの事が話題にあがった。

ぼくは「退屈の花」のCDを買って聴いていたので、このバンドが地味だけど、とても本格志向で良いバンドだと思っていた。その事を伝えると、その男は嬉しそうに、GRAPEVINEの良さについて語った。

しばらくして彼が言う。

「俺、GRAPEVINEのドラムスの亀井さんと知り合いだけど、話してみたくない?」

ぼくが酔った顔で彼を見つめ少し驚いて見せると、彼はジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出し電話をかけ始めた。

「お疲れっす。いや、いま大森で飲んでまして、隣にいる人がバインのファンだっていうんで電話したんです。ちょっと代わりますね」

ぼくは急な展開に戸惑いながら携帯電話を受け取った。

「あ、もしもし」

「あ、どうも」

 

電話の向こうでぼそぼそとした低い声が聞こえた。少し眠そうな声だった。もしくは、酔っぱらった知人からの深夜の電話に、少し戸惑っているような声。

 

「あ、退屈の花、聴きました。とても良かったです」

「あ、ありがとうございます」

 

たどたどしい会話が数往復して、ぼくは携帯を隣の男に返した。

 

もう二十年近く前のバーでの出来事を不意に思い出したのは、カーラジオのFMから、この曲が流れて来たからだ。

 

「GRAPEVIN すべてのありふれた光」

 

あの晩の男とその後会うことはなく、あの携帯電話の声の主が本物かどうかも分からない。

GRAPEVINが「葡萄のつる」という意味で、西洋では「よくない噂」という意味でも使われると知ったのは、つい最近の事だ。

20年経って、このバンドがブレずに本格派のロックバンドであるという事を嬉しく思った。そして、聴いていない古いアルバムたちを、一つづつ順番に聴きたくなった。

 

 

 

在台灣轉來轉去旅行⑦(たいわん うろうろ たび)

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【2018.8.21】②

 

<何度でも行きたくなる街>

迪化街は沢山の老舗店がならぶ問屋街だが、そのレトロな街並みには目を奪われてしまう。今風に言えばとても「映える」のだ。古い街並みにカメラを構え、パチパチとシャッターを切りながら歩くものだから、ぼくの歩みは遅くなる。その先を家人は店先の商品棚を眺めながら歩いて行く。

 

この街は、乾物屋や布屋などが軒を軒を連ねていて、いかにも問屋街と風なのだけれど、古い建物をリノベーションしたお洒落なカフェなどもあったりして、伝統的なものと新しいものとのモザイクのように並んでいる。観光客にも人気のエリアなので、近年、リノベされた雑貨屋やカフェが次々にオープンしているらしい。ここに来る度、いつもどこかの建物が工事中だ。この日も長い鉄パイプを抱えた作業員たちが炎天下の中えっちらおっちら歩いていた。工事現場から上半身裸の屈強な男がヌッと現れてギョッとしたりもする。こんな暑い中での作業は裸の方が快適かもしれないな。

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迪化街ではいくつか買い物をした。台湾に来る度にここへはやってくるので、少しは慣れたものだ。家人は事前に充分なリサーチをしていて、例のアナログな、たくさんのタブで区分けされたトラベラーズノートを片手に歩く。「迪化街」のタブのページに「お土産」の欄が見える。そこに買いたいものや簡単な地図が書きつけられている。ぼくは家人の後を付いて行くのみだ。

自分用にもお土産用にも丁度よい、小分けされた乾物が売っている「點子生活」は、明るくてお洒落なお店だ。ここで買い物をしていると、日本語のとっても上手な若い女の子が応対してくれた。

「ニホンノ ドコカラ キタンデスカ?」

「四国の高知です」

「コウチ! ワタシ スサキノ  シンジョウクン スキデス!」

嬉しそうに話すこの女の子は、とても日本の事に詳しかった。まさか台湾の人から「須崎」とか「しんじょう君」という言葉が出てくるとは思わなかったよ。

「しんじょう君」は須崎市出身のゆるキャラで、2016年のゆるキャラグランプリで1位を獲得しているのです。

「コウチハ カワガ キレイ」

四万十川や仁淀川の事を、ほんとによく知ってます。こんなに高知を好きでいてくれるとこっちも嬉しくなって、もっと台湾が好きになるのです。「好き」は伝染しますね。

すっかり良い気分になったぼくらは、點子生活で「からすみのソース」や「ドライフルーツ」や「黒糖ショウガドリンクの素」などを購入。高知好き女子は商売上手でもありました。ここで買った「からすみのソース」をぼくはすっかり気に入ってしまい、日本に戻ってからはこのソースを和えたパスタばかり食べていた。本当に美味しくてまた買いに行きたいと思っている。良い買い物ができたよ。

 

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 しんじょう君(2016年、ゆるキャラGP優勝パレードIN帯屋町)

 

 

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  <地元民で賑わう場所。もしくは聖と俗の交わる場所>

 

 迪化街の問屋街から歩いて10分ほどの所に、大稲埕慈聖宮という「廟所」があり、媽祖(まそ)という道教の女神を祀っている。この媽祖は航海の守護神であるらしく、大陸から台湾に渡った開拓民たちの信仰を集めたそうだ。海を越えて無事に台湾に渡った移民たちは、感謝の想いを込めて各所に媽祖廟を建てたという。

その慈聖宮から広がる街並みは、 迪化街のように観光客に媚びるような感じがない。ただ単に古びた家屋が、生活感をまとって佇んでいる。そして廟所からほど近い一角には、屋台街がずらりといった感じに並でいて、地元民が多く行き交う。屋台の前には、長い木の板を渡したようなベンチが置いてあって、そこに掛けて食事をする者たちがいる。また、葉の繁った大きな木の下で、テーブルに料理を並べて談笑する者たちがいる。ここでは観光客を見る事がなかった。

台北市内の飲食店では、お酒を飲んでいる人をまず見かけない。昨夜の「エビ釣り堀」で、釣り竿を片手に缶ビールを飲んでいた「インテリ崩れ青年」が、ぼくが唯一見たお酒を飲む台湾人だ。しかし、ここでは露店のテーブルの上に台湾ビールの緑色のガラス瓶が並んでいる。このテーブルにも、あのテーブルでも。台北市で「酒飲み人」を見ていなかったので、不意に現れた昼飲みの光景に少し面食らってしまった。

「ひょっとして、ここらは治安の悪い地域なのではないだろうか」

そんな思いが浮かんだが、その光景は被写体としてとても魅力的で、ぼくはファインダーから目を離すことが出来なかった。

あとで知ったのだが、慈聖宮の門前をなす屋台街は、地元民も認める美味い食べ物屋が集まる場所だった。だから、今回の旅で歩いた最も俗っぽいこの路地は、ぼくの次回のお楽しみになったのだ。

大通りに出て、ぼくらはフランス系量販店の「重慶カルフール」に向かった。ここではバラマキ用のお土産や、お気に入りの「葱ソーダクラッカー」を買うつもりだ。この日、この場所で一番俗っぽかったのは、ぼくと家人に違いないと思うんだな。

 

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 つづく。

在台灣轉來轉去旅行⑥(たいわん うろうろ たび)

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 【2018.8.21】①

朝目覚めて手元のリモコンでTVをつけると、台湾語が流れ出してきた。意味の全く分からないその音を聞きながら、ぼんやりと台湾にいるんだなあという事を確認する。

画面に目を向けると「台視財経」という文字が見える。並んだ数字の羅列はどうやら台韓貿易の推移のようだ。細かい事はよく分からないけど、台湾の景気が減速しているらしい。台湾語の女性キャスタ―の声を聞きながらベッドに戻り、またウトウトし始める。旅行に来て眠っていてはもったいないんだけど、ホテルのベッドって心地良いんだな。

 今回の宿泊したホテル慶泰大飯店(ガーラホテル)は、MRT行天宮から徒歩2分の場所にあり、いつも利用しているお気に入りの足裏マッサージ店「活泉足體養身世界」にも近く、台北をウロウロするにはとても便利だった。

この日は、ホテルのレストランでコーヒーだけの朝食を済ませて、さあ出発だー!と意気込んで出かけた。何故コーヒーだけの朝食かというと、家人が朝から食べに行きたいものがあるというのだ。どんなところに連れていかれるのかをぼくは全く知らされていないけど、彼女の選んだ店に外れは無い。今のところはだけどね。

 

 

<人喜油飯地獄(ひとよろこばしあぶらめしのじごく)>

 ホテルを出て5分も歩かないうちに、赤い瓦屋根の建物が見えてくる。屋根の一番上の部分が弧を描きながら両端に向かって反っていて、日本の様式とは異なっている。赤に緑の色遣いは、ぼくに琉球の伝統的な建築を思い起こさせた。それこそがMRTの駅名にもなっている「行天宮」だ。

 

「行天宮の脇の方だよ」と、家人は先をスタスタと歩いて行く。民権東路に沿って赤い塀が長く続くが、それが切れたところで細い路地に入る。

「あ、これかな?これだ、これ!」と家人が近づいて行く先にあるのは一軒の屋台(露店?)。何ともシンプルにパラソル一本で勝負しているという、ストロングスタイルの屋台おばばが佇んでいる。阿梅油飯というらしい。

「ここの油飯が美味しいのよ」

早速、ぼくらは2人で1個の油飯を頂くことにする。おばばが、ササっとビニール袋に油飯とキムチを入れて手渡してくれる。お値段は25元(約92円)。

「美味いよ、これ!」と、ぼくが感嘆の声を上げながら振り向くと、家人はとても自慢げだ。一口食べると日本のおこわに近い感じ。細長いタイ米風のお米に旨みがたっぷり詰まっている。付け合わせのキムチは甘辛く感じたが、ピリピリとした辛さが後を引いた。ぼくらは油飯をあっという間に平らげた。パラソルの下のおばばに「美味しいよ!」と声を掛けようと思ったが、お客さんが次から次にやって来てその機会は得られなかった。やはり評判の店なんだろうと思う。家人のお店リサーチはここでも連勝記録を1つ伸ばすことに成功したのだ。 

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 「さあ、次に行くよ」

家人は食べ終わるとすぐに移動を始める。この朝に食べるべきものがもう一つあるという。ぼくらはMRT行天宮の駅から松江南京へ移動し、ここで松山新店線に乗り換えて北門駅へ向かった。

MRT北門駅は、台北最大の問屋街である迪化街(ディーホアジェ)の入り口にあたる駅だ。ぼくらは迪化街の事を「ユカガイ」呼んでいる。台湾語読みがなかなか覚えられず、毎回やって来ているにも関わらず「ユカガイ」で通している。

 

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北門駅からしばらく歩くと「迪化街商圏」と書いた赤地に金文字の看板が見え、ここから先に進むと雰囲気は一気に問屋街に変わる。

「永楽布業商場」と書かれた大きな建物の前で家人は足を止め、「この中にあるんだけど」と言う。油飯1つを半分しか食べていないぼくのお腹はまだ満たされておらず、次の食べ物を待ちわびている。それは家人も同じようで、ぼくらは急ぎ足になりながら赤煉瓦の建物の中に進んで行った。

ビル内一階で、ひときわ人だかりの出来ている一角があり、人の立ち並ぶ向こうの奥に、天井から吊るされた扇形の看板が見えた。そこには「林合發油飯店」とあった。

「あ、あぶらめし・・!」

家人が選んだ朝食の二軒目は、またも油飯だったのだ。だけど、行天宮の露店とは少し様子が違う。油飯に乗っけるトッピングがいろいろとあるようだ。鶏もも肉、煮玉子、シイタケの煮つけなど。う、うまそうじゃないか。パートタイマーらしきご婦人方が、紙の弁当箱の中にテキパキと詰めていき、油飯鶏もも乗せ弁当が次々に出来上がってゆく。

ぼくらは鶏もも肉は遠慮して(まだまだ食べなくてはいけないものが沢山あるから、お腹を空けておくのだ)、油飯に煮玉子とシイタケの煮つけをトッピングしたものをオーダーした。

 

 

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永楽布業商場ビルの前はちょっとした広場のようになっていて、そこの木陰になったベンチの上で、まだ暖かい油飯弁当を広げて早速頂くことにする。

「う、うまい・・・」

つい先ほど行天宮で生まれて初めて食べた油飯の感動を、この永楽市場の油飯は軽く超えて行った。細かく刻んだ豚肉、干しエビを炊き込んだここの油飯はとってもジューシーで、ちゃんとした料理という感じ。シイタケも煮玉子も台湾風の香辛料を感じる味付けなんだけど、これを嫌いな人は居ないんじゃないかといった味。なんというか、行天宮のものはおばちゃんの手作りで、こちらは料理人の一品という感じでしょうか。いやいや行天宮が不味いわけでは決してないわけで、それぞれに美味い。それから、油飯というけど油っぽい感じはなく、やっぱり日本のおこわに近い感じです。

「美味しーー」と家人も感嘆の声を上げます。こんなに美味いんなら鶏もも肉もトッピングすればよかったと残念に思います。

台北3日目の朝は、家人のチョイスによる油飯2連戦となりましたが、この戦いで2連勝を飾った家人の「選球眼」を褒めたたえたいと思うのでありました。食べ物屋選びで無敗の連勝記録を伸ばすことに成功した家人は、誇らしげな顔で油飯を堪能しているのでした。

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つづく。


冬の一日

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今日は大寒だとか。

ぼくはと言えば、年末年始の帰省でお金を使い過ぎて、今月はお財布が大寒(おおさむ)です。

そして今日は、今年初めてのFPグループの勉強会が開催されました。

お財布が「おおさむ」のFPなんて笑えませんね。でも、「お金は良い使い方をしてこそ価値がある」と自分に言い聞かせて頑張ります。

 

毎年FPグループでは、年末の日経平均株価を予想してメンバー全員で競うのですが、昨年末の日経平均株価の予想は、ぼくが一番近かったという事で表彰して頂きました。

わざわざ賞状まで作っていて、「遊びも全力でやり切る」高知人らしさが出ていますね。副賞は何故か「ビール語辞典」なる書籍でした。金融や経済の本で無く「お酒」の本を副賞にするところも高知らしいです。

 

ぼくの予想はもちろんヤマ勘です。メディアで、評論家みたいな人たちが訳知り顔で株価予想をしていますが、ぼくの経験上、それらはまったく当てにならないと思っています。(今年の株価は24,000円になる、とか)

「株価の予想なんて誰にもできない」というのが、長年この世界にいて思うことです。では、まったくの当てずっぽうかと言えば、そうでもない部分はあります。ぼくは、株価予想に近いのは天気予報だと思っています。一年後の今日の天気が晴れか雨かなんて分からないでしょう?せめて週間天気予報か、月間の見通しくらいが現実的じゃないでしょうか。その週間天気予報だって、その後の気圧の動きで変わってきますね。株価も同じようなものだと思っています。これについては、今も研究の途中です。

 

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暖かな大寒となった高知市は街の人出も多めです。おまちの用事を済ませて、日曜市に寄り道しました。お目当ては、日曜市の冬の風物詩「いも天」です。一袋250円のささやかな楽しみです。それから、目に付いたお餅も購入。よもぎ餅と雑穀餅の二つで120円なり。「おおさむ」のお財布に優しい感じです。

 

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急いで家に帰り、お茶を入れて家人と「もぐもぐタイム(もう古いですね)」に突入しました。

故郷に里帰りをする度に、1つづつ小鹿田焼の器や湯呑などを買っていますが、この正月に買ったお皿をおろします。でも、小鹿田焼はいっぺんに使うと「ガラガラし過ぎ」ますね。

お茶を啜りつつ、年寄りじみてないか俺?と、思った午後でした。 

 

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昨年から書きかけになっている台湾旅行記を、来週は何とか書きたいと思います。この1月で「南風通信」は丸2年を迎えますが、これからもゆるゆるとやって参りますので、どうぞヨロシクです。